第一部 第二話 無能な青年と無情な姫 その2

 宗次郎は外出用の服に着替えて外に出た。


「宗次郎様。お出かけですか」


「うん、森山。門さんとちょっとね」


 靴の違和感を直して、入り口を掃除していた家政婦に声をかける。


 森山は宗次郎が子供の頃から穂積家に仕えてくれている女性だ。午前中の定期検診に付き合ってくれたのも彼女である。体格は小柄だが誰よりも働き者で、炊事洗濯家事全般をそつなくこなしてくれる。


「お戻りは何時頃になりますか」


「わからない。けど夜ご飯の時間までには戻るから」


「かしこまりました」


 別れを告げて門をくぐる。かどが塀にもたれて待っていた。


「お待たせしました」


「いえいえ、それじゃあ行きましょうか」


「はい。よろしくお願いします」


 宗次郎は一礼して、門の後をついていく。


 遭橋あいばし市。宗次郎たちが暮らす市は、大陸の中心に位置する首都から見て東にある中都市だ。さらに東にある大都市・東都と首都を結ぶ中継地として栄えた歴史を持つ。また近くに火山がある関係で温泉も湧き出ている。おかげで観光の疲れを癒せる場所としてそれなりの規模を誇っていた。


 露店のそばでは主婦たちがお喋りに興じ、通りを駆けまわる子供たちには屈託のない笑顔があふれている。観光客向けに雑貨を売っている店の店主がかき入れ時を逃がさないと言わんばかりに声を張り上げていた。


「よお宗ちゃん! お出かけかい?」


「はい、源内げんないさん。相変わらずお元気ですね」


 雑貨の店主はニコッと笑ってみせる。快活を絵に描いたような壮年の男性だった。


 一方の門は立ち話をしていた主婦と会話に興じていた。


「まあ門さん。帯刀なんかしちゃってどうしたの?」


「念のためですよ、念のため。近頃世間は物騒ですから」


 見た目が華やかな門は特に女性から声をかけられることが多い。特に子供を道場に送っている主婦の相手をしているだけあって、女性の相手はお手の物らしい。


 二人は世間話をそこそこに店を後にし、木造の住宅街を進んだ。


「今日は歴史の授業ですか」


「そんなところですね。王国の簡単な歴史については以前教えましたね。覚えていますか?」


「……なんとなく。この千年は平和だったってことは」


 宗次郎は門から受けた授業内容を思い出す。


 皇王国。初代国王・皇大地すめらぎだいちが天修羅を討伐したのちに建設した国家だ。この大陸を治める唯一の国家であり、なおかつその統治を千年以上続けている。


「皇王国の成り立ちについては絵本にある通りです。ちなみに、こちらが元になった建国史の書籍です。読みますか?」


「……気が向いたら。というか、いつも持ち歩いていたんですか」


 門が懐から荘厳な表紙に飾られた本を取り出す。表題には『王国記おうこくき』と書かれている。表紙の絵は今朝読んだ絵本と同じものだが、その分厚さは辞書に負けるとも劣っていなかった。


 ━━━今の自分が読んだら、それこそ千年かかってしまいそうだ。


 宗次郎はそのボリュームに引き気味だ。


「まさか。持ち歩く際は文庫版にしています。『王国記おうこくき』は最も多くの人に親しまれているので、いくつかバリエーションがあるんですよ」


「国民である俺にとっても、常識として読んだ方がいい本ですね」


 本を受け取った宗次郎はその重さを両手で体感する。


「ええ。かなり分量があるように見えますが、大丈夫です。面白いのですぐ読み切ってしまいますよ。王子と剣士。身分の違う二人の少年が時に反目し、時に協力し合い、挫折しそうになりながらも困難に立ち向かう展開は心が躍ります。千年も前に書かれた話であるため、欠落している箇所や史実に基づいていないのではないかと歴史家から言われている部分もありますが……」


「有名な伝記に出てくる人物の刀が、この市にあるなんて知りませんでした」


 延々と説明が続きそうなので、宗次郎は適切なタイミングで口を挟む。


 首都へと伸びる幹線道路に出ると小高い丘が見えてきた。木々に覆われた斜面に目的地である神社の屋根がチラリと見える。


 刀預とうよ神社。遭橋市の外れにある神社だ。宗次郎にとっては夏祭りと初詣にそれぞれ2回ずつきたことがある程度で、よくは知らない。


「おや? なんでしょう。あの人だかり」


「行ってみましょう」


 神社へと続く曲がり角に不自然な人だかりができていた。確かあそこにはテレビが置いてあったはず、と宗次郎はうろ覚えながら思い出す。


 人だかりを何とかかき分け、映像を見ようとする。そこには━━━

 






 立ち並ぶ倉庫街はまごうことなき地獄となっていた。


 そこかしこで炎が上がり、黒い煙を天まで立ち上らせている。倉庫の一角は現在進行形で崩れ落ちていた。


 ”厄災”と呼ぶにふさわしい惨状の中、崩壊した倉庫の中にあった荷物を踏みつけ、引き起こした当事者がゆっくりと現れる。


「ガォオオオオオオオ!」


 獅子だ。それも通常のものではない。その躯体も、そのたてがみも。全身が純白に覆われている。


 あまりの白さ、神々しさは、まさに神の使いと称えられても不思議はないだろう。


 その考えは正しい。もっとも、神は神でも魔神の類であるのだが。


 あやかし━━━。千年前に宇宙からやってきた災厄・天修羅が生み出した化け物。天修羅は討伐されたのだが、現在も何らかの理由で妖が生まれ、こうして災いを振りまいている。


 このまま妖が暴れ続ければ被害はさらに拡大する。今はまだ人気のない倉庫街にいるが、市街に出てしまったら取り返しがつかないことになるのは誰の目にも明らかだった。

 

 そんな事態を避けるため、そして妖を倒すためのすべを王国は持っている。


 混乱の最中、一台の車が到着し、中から四人の男たちが姿を現した。皆が漆黒の羽織を身につけている。全てを飲み込むような烏羽色は戦闘服としての機能に加えて、例えようのない高貴さを包含していた。


 波動はどう━━━万物に満ちる生体エネルギー、気やオーラとも呼ばれる。はるか太古より人が用いてきた超常の力だ。


 それを自在に操る者こそ、波動師。中でも今回登場したのは王国に所属する波動師、その漆黒の羽織から八咫烏やたがらすと呼称される面々だ。


「よし、行くぞ!」

 

 隊長の男が吠え、烏たちが一斉に抜刀する。


 こうして戦端が開かれた。 


 迫り来る八咫烏に対して、妖は迎撃行動を開始。足場にしていた荷物を踏み砕いて突進し、烏たちを引き裂こうとその鉤爪を振り上げる。


 無論、烏たちもじっとしてはいない。二人が足止めに接近して刀を振るい、残る二人が波動術を用いて遠距離から攻撃を加える。


 幾度となく交錯する爪と刃。金属音と爆発音が周囲に木霊する。


 四対一という構図の中、両者の実力は完全に拮抗していた。


 妖の攻撃手段がその爪と牙しかないのか、烏たちに目立った損傷は見られない。ただ妖の動きが素早いこともあり、烏たちはその場に止めることがせいぜいで致命傷を与えられていなかった。


 ぶつかりあいの末、妖が四人の烏たちに取り囲まれ、こう着状態となった。肌に切り傷をつけるような、鋭い緊張感が漂う。


「っ! 総員、結界を張れ!」

 

 隊長が何かに気づいたような表情をして、隊員たちに指示を出す。


 烏達は刀と錫杖を地面に突き立て、己の波動を流し込む。波動は地面をつたい、青白い光となって妖を包んだ。妖を捉えるべく正四面体の結界が完成した。


「ガァァ!」


 妖が吠え声をあげて体当たりするも結界はびくともしない。妖は虫かごの中に入れられた虫となった


 それは同時に、結界を張った烏達も手を出せなくなったことを意味する。


 そう、結界を張った烏は。


「ガウ!」


 妖が警戒心を向けたのは四人の隊員でも、結界でもない。


 新手だ。


 ゆっくりと歩いてくるのは、無造作に伸びきった茶髪と爽やかな笑顔をした青年だ。猛禽類のように鋭い眼光とがっしりとした体つきは、戦い抜いた者にのみ与えられる強靭さがある。


 何より先に登場した四人と違い、背中に金色の刺繍で七という数字が刻まれていた。


伊織いおり様!」


「よくやってくれた! あとは俺が決める!!」


 隊員達が喜ぶ声に合わせ、伊織と呼ばれた男はにこやかに微笑む。


 伊織が抜刀する。練り上げられた波動が光となって刀身にまとわりつき、炎へと変化する。大気を焦がすような熱気で伊織の姿がぶれる。

 

 頃合いを見計らい、烏たちは結界の一部を解除する。男と妖を隔てた一面を、妖がギリギリくぐり抜けられる程度の大きさに。


 待ってましたとばかりに飛びかかる妖。この爪牙で八つ裂きにしてくれよう━━━人の言葉で例えるならそう解釈されそうな叫びは、勝利を確信したがゆえのものか。


 もっとも、その確信は相対する男にとっても同じだ。


「炎刀の壱:焔三日月ほむらみかづき!」


 上段の構えから刃が振り下ろされ、絡みついた炎が解放される。飛びかかってきた妖は頭から尻尾の先まで両断され、灰となって消え失せた。





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