◇小暮葵7◇ オレ、千秋のこと好きなのか

「本当に、悪かったわよ」


 頼んだアイスティーとクリームソーダが運ばれるのを待って、向かいに座る千秋がポツリと言う。


「だーから、悪いのはオレだって。あのな? まぁ今回はなんかいつもとは違う感じではあったけど、オレなんて毎回こんな感じっつぅか」


 メロンソーダの上のアイスクリームを掬って口に運ぶ。


「ただまぁ今回はさ、マジで良いんだ。なんか、失恋っていう失恋でもねぇし」


 なんかやたら上品にアイスティーを飲む千秋が「どういうこと?」とオレを見る。


「いや、あれは冷めんだろ、どう考えても」


 てっぺんのさくらんぼを口に入れ、種をペーパーナプキンに出して、くしゃりと丸める。


「まぁ、想像以上にバスケ下手だったしねぇ」


 この、何かと有能で察しの良い『自称・恋愛軍師様』は、何もかもわかったような顔をして、肝心の『』っつーやつを何もわかっていないようだ。


「違ぇだろ」

「はぁ、何がよ」

「確かにバスケは下手だったけど、そんな上手い下手でイチイチ幻滅なんてしねぇわ」

「じゃあ何でよ」

「お前のこと馬鹿にされたからに決まってんだろ。わかれよ」


 そう言うと、一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、またすぐにツンと澄ました顔を作って「ふん」と鼻を鳴らす。


「……ありがと」

「おう」


 しばし、妙な沈黙が流れる。何か話そうかと迷っていると、先に口を開いたのは千秋だった。


「ただこれだけは言えることだけど」

「何」

「今日のアンタには、和山もかなりドキッとしてたことは確かよ」

「でもいまさら別に和山の気を引いたってなぁ」

「そうじゃなくて」


 つまりあたしが言いたいのはね、と、ぐいっと身を乗り出す。まじまじと見ると、やっぱりこいつの顔はきれいだ。男の顔なんだけど、なんつーんだろ、美人? みたいな。それもオネエと関係あんのかな。日々の手入れの賜物ってやつ?


「それまでその気がなかった相手でも、ちゃんと覆せるってことよ。その可能性が見えたでしょ、ってこと」

「成る程。でも坂崎は似合ってねぇって言ってたけど」

「あんなの、悔し紛れに言っただけよ」


 ほんと、デリカシーのない男ってやんなっちゃうわね、と言いながら、テーブル脇のアクリルスタンドに目をやる。ねぇもうせっかくだし、ケーキとか食べちゃわない? と言う千秋に「いいな」と軽く返してから、「なぁ」と問い掛ける。


「何? アンタあんまり甘いの得意じゃないんだっけ? この瀬戸内レモンのタルトなんて良いんじゃない?」


 アクリルスタンドをくるりとひっくり返し、期間限定メニューらしいタルトの写真をこちらに向ける。


「じゃ、それで。――いや、そうじゃなくてさ」

「何よ」

「千秋はどう思った?」

「は?」

「今日のオレ」

「はぁ? いまさら何よ。ていうかね、上から下まで誰が見立てたと思ってんの? メイクをしたのもあたしよ? ばっちり似合ってるし完璧に決まってるじゃない」

「っそ、そうじゃなくて。似合ってるとか、それもあるけど」


 何言ってんだオレ。

 どんな言葉を期待してるんだよ。

 似合ってるって言ってんだから、それで良いじゃねぇか。


 オレがもごもごと言い淀んでいる間に、たまたまテーブルの近くを通りがかった店員さんにレモンのタルトとレアチーズケーキを注文する。


「それもあるけど? ――何よ。アンタあたしに何言わせたいわけ?」


 盗み見る様に千秋の方を向けば、クソ憎たらしいにんまり顔でこちらを凝視している。


「別に、言わせてぇとか、そんなんじゃねぇし」

「あらそう? でもまぁ、あたし的にはちょっと今日言いそびれてたことがあるのよね」

「言いそびれてたこと?」

「そ。やーっぱり、あの男キャラだと色々言葉を選んじゃうっていうか? 言うに言えないっていうか? タイミングとか色々難しい部分もあったりして」

「何だよ、前振りが長ぇんだよ千秋は」

「うるさいわね」


 こっちだって心の準備ってもんがあるのよ、なんて言ってため息をつく。目を伏せると、長いまつ毛が下まぶたに影を落とす。オレは、キャラ的なものもあって男子との物理的距離は近い方だ。だけれども、たぶんいままで、ここに出来る影なんて見たことがなかった。まつ毛に艶があるなんてことも知らなかった。伏せられていたまぶたがゆっくり持ち上がり、オレと視線がかち合う。


「……何よ。そんなに見つめないでくれる? 穴があきそうなんだけど」

「見てねぇし」

「見てたわよ。もう、ちくちくするったらないわ。何? 何かついてた?」

「何もついてねぇ。まつ毛が長ぇなって思っただけ」

「やっぱり見てたんじゃない。まぁ良いけど」


 ふ、と薄く笑って、ストローに口をつける。たぶんここもきちんと手入れしてるんだろう、と思うような唇だ。冬になると乾燥してぱっくり割れるオレのとは大違いだ。


「今日の小暮、すごく可愛いわよ?」

「――っう、おう、そ、そっか」

「欲しかったの、これでしょ?」

「べっ、別に! そんなことねぇし!」

「そう? なーんか今日、撫でられ待ちのワンちゃんみたいだったのよねぇ」

「犬扱いすんな! ってかな! だいたいお前が悪いんだからな! 会う度会う度可愛いとか言うか――」


 って、何言ってんだオレは! これじゃ千秋の言う通り、撫でられ待ちの犬じゃねぇか!


「ちっ、違っ、いまのは!」


 否定しようと腰を浮かせたオレの頭の上に手を乗せて、ぽんぽん、と優しく叩く。着席を促されているのだと気づいて、抵抗することもなく腰を下ろす。が、それでも千秋の手はオレの頭の上だ。尚も、ぽんぽんと赤子でも寝かしつけるかのような優しさである。


「良いのよ、それで。アンタはもっと『可愛い』って言われるのに慣れるべきだと思うわ、あたし」

「何だよ、慣れるって」

「アンタは自分が思ってる以上に『可愛い』ってこと」

「それは……お前が見立てたやつ着てっからだろ。顔だってちょっと化粧してるいじってるし」

「あーら、あたし、アンタがジャージ姿でドすっぴんの時でも可愛いって言ってたはずよ?」

「覚えてねぇ」

「覚えてないくらい日常になったってことかしら。光栄だわぁ」

「……このクソポジティブ野郎」

「誉め言葉として頂戴しておくわね」


 これで終わり、とでもいうように、もしゃ、と髪を撫でてから、手を離す。重さのなくなった頭上を、ふわ、と空調の風が通り過ぎていった。もう少し撫でてくれても良かったのにと惜しく思っている自分に気が付いて、ぶわ、と頬が熱くなる。ああもうわかった。今日一日のもやもやの理由とか、全部。オレ、千秋のこと好きなんだわ。


「でもほんと、真面目な話。あたしはアンタのこと、最初から可愛いと思ってたわよ? まぁ、最初の時といまのは若干意味合いが違ってはいるけど」

「はぁ?」

「何ていうのかしらね。最初はね、もうほんと、命知らずのチワワがキャンキャン吠えてるって感じでね? あらあら可愛いわね、って感じだったの」

「おい、また犬で例えやがって! ていうかな、オレがチワワの訳ねぇだろ!」


 どこから見てもドーベルマンだ! あの黒くてシュッとしてるやつ! そう抗議すると、「さすが藤子さん、妹のことよくわかってる」と訳のわからないことを言いながら肩を震わせた。何だよお前、姉ちゃんとどんな話してんだ。


「まぁ、犬種は置いといてよ。とにかくあたしにはそう見えたの。でもいまはね、なんかもうほんと、とんでもないものを生み出しちゃった気分。オレっ娘の恐ろしさを知ったわね」

「は、はぁ……?」


 お待たせしました、レモンタルトのお客様? とケーキが運ばれてきて、話は一旦中断したが、店員さんがいなくなったあと、千秋は熱弁を再開した。

 

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