◆富田林27◆ アンタの手が汚れるでしょ?
まぁそんなに焦って追いかけなくてもね。
そう思って、のしのしとトイレの方に向かっていると、案の定、その入り口付近で何やら話し込んでいる様子の二人が見えた。
小暮が本当に
だからまぁもう少し物陰に隠れて様子を伺っていた方が良さそうね。
そう思っていると、どこからか坂崎が現れた。あら、アンタもトイレ? それとも二人を追いかけて来た? 人目があるとは言え、男二人に女子一人はちょっと危険かもしれないわね。もしもの時はサッと飛び出して小暮を助けないと。
こそこそと隠れながら三人を観察していると、何やら秘密の話でも始めるように、坂崎が腰を落とし、嫌な笑みを浮かべた。
そしてその数秒後――、
「好き勝手言ってんじゃねぇよ! キモいだぁ? キモかねぇだろ! 千秋はオレの大事な友達だぞ!」
小暮の大絶叫が辺りに響いた。
とはいえ、だだっ広い運動公園。その端にあるトイレである。近くを歩く人は数人いたけれど、若者がまた何か騒いでいるだけだろうと、詳細までは聞き取れていない様子の表情で去っていくのみだ。
いや、いま完全に『千秋』って言ったわよね。あたし? あたしよね、確実に。キモいだのキモくないだのって内容からして、やぁだ、オネエキャラがバレたってことじゃない? ほんと有名人って困っちゃうわねぇ。
などと静観しているあたしとは対照的に、小暮は、ぎゃあぎゃあと喚き、たぶん殴るつもりでいるのだろう、坂崎の胸ぐらを掴んで、(さすがに身長差があるために捻り上げることは無理だったけど)小さな拳を握り締めている。
小暮があたしのことを庇ってくれるのは嬉しいけど、さすがにこの状況は看過出来ないわね。
こんなクソ男でも殴っちゃったらアンタが悪いってことになっちゃうんだから。
そう思い、サッと駆け寄って、素早くその手を取る。全くこのお転婆娘ったらもう。
「およしなさい、このじゃじゃ馬娘」
あたしに止められた小暮はもちろん、野郎二人も目をまんまるにして、あたしを見つめている。
「千秋。お前、言葉……」
言わんとしてることはわかる。お前今日は『男』で行くんじゃなかったのか、ってことでしょ? だって仕方ないじゃない。全部バレてるんだったら。
「で、出た! オカマ!」
デリカシーの欠片もない言葉を吐いて、坂崎があたしを指差す。ちょっともうマジで品がないったら、このモブ。まぁ、彼らからしてみればオカマもオネエも似たようなものなんだろうけど、ニュアンスが違うのよね。オカマって正直、蔑称として使われてきた呼び方だし、もちろん、そう思わずに使う人もいるんだろうけど、こと彼らに関してはあたしを貶してやろうって意図がスケスケなのよ。でもまぁ否定するのも面倒だわ。別にあたし、この子らに理解してもらわなくても全然――。
「オカマじゃねぇ!」
あたしが押さえている右手にぐっと力を込め、小暮が暴れ出す。やだこの子、まだ殴るの諦めてないの?
「ちょっとちょっと落ち着きなさいったら。どうして小暮が怒るのよ」
「怒るに決まってるだろ! こいつ、お前のこと馬鹿にしてんだぞ! 絶対許せねぇ!」
「ハイハイ、気持ちはありがたく頂戴しとくから、落ち着きなさいな。どうどう。あのね、いくらこいつが男の風上にも置けないクズでもね、手を出しちゃったらアンタが悪いってことになっちゃうのよ?」
「ちょ、男の風上にも置けないクズって何だよ! お前なんて気持ち悪いオカマ野郎の癖に!」
「あっ、また言いやがった! おい、千秋! 手ェ放せ! もう我慢ならねぇ!」
「アンタ、最初から我慢も何もしてないでしょうに……。あのね、あたしはアンタのそのきれいな手が汚れちゃう方が嫌なの。何が悲しくてこんなつまらない男を殴らないといけないのよ。そうでしょう?」
だって考えてもみなさい? と思いっきり憐みの目を向けて、ふっ、と鼻で笑う。
「あたしがちょっと美しすぎるからって僻みまくって、どうにか貶めたいと思っても『オカマ』の一言しか出て来ないくらいボキャブラリーが貧困で、その上補欠なのよ?」
そう言うと、坂崎は顔を真っ赤にして「いっ、いまは補欠関係ないだろ!」と言い返してきたけど、本当に悔しいんだったらこの場にいないでさっさと練習に戻りなさいよ。ていうか、気になるのはそこだけなのね? やっぱりあたしの美貌に僻んでたってわけね。
ムキになって言い返す坂埼を呆れたような顔で見つめていた小暮もそこに気付いたらしい。あたしに手を取られたまま、真顔で「何だよ、僻んでたのか」と頷いた。
「でもまぁ確かに、千秋はフツーにきれいな顔してるもんな。さっき和山もすげぇイケメンって言ってたし」
なぁ和山、と嫌味でも何でもない普通のテンションで問い掛ける。話を振られた和山はというと、坂崎を気にしてか、「あ、おう」と気まずそうな返答だ。あら、すごいイケメンだなんて、事実でもちょっと照れるじゃない。顔が緩みそうになるのを、コホンと咳払いで誤魔化す。
「とまぁそんな具合ですもの、この先だってきっとこの手の失言で色々やらかすわよ。今回はあたしだから海よりも広い心で見逃してあげるけど、相手によっては本当に取り返しのつかないことになるんだから。アンタがいま手を下すまでもないわ。大丈夫、勝手に自滅するわよ」
だから、そろそろ肩の力を抜きなさい、と優しく諭すと、「それもそうか」と素直に聞いてくれるのがまた可愛い。気難しい獣を手懐けた気分。
「さ、ここの僕ちゃん達は真面目に練習する気もないみたいだし、あたし達は帰りましょうか。お姫サマもあっちで暇してるでしょうしねぇ」
ちら、とはるか遠くのコートを見やると、ポツンと一人残っているお姫サマは鏡を見ながらメイクを直しているところだった。ちょっともう、そういうのは化粧室でささっとやるものよ。注意しなくちゃと、メッセージアプリの通話をタップする。
と。
「お、お前らだけ帰れよ。オカマとオレっ娘でちょうど良いじゃん。なぁ、和山?!」
「え、あ、お、おう」
「おい、お前もはっきりしねぇやつだな! むしろこいつらなんて最初からいらなかったんだし、梶川だけいりゃ良いじゃん。あいつにさ、他の友達呼んでもらおうぜ。絶対そっちの方が普通に可愛い女子来るって。だろ? だから帰れよ、お前らだけ」
ほら、性懲りもなくやらかすのよ、こういうのは。
やれやれ、と手に持っていたスマホを坂崎の眼前に突きつける。いきなり目の前にかざされたそれに、殴られるとでも思ったのか、坂崎は、うわっ、と小さく叫んで身構えた。けれども、どうやらそうではないらしいと気づいた様子で、ちょっと気まずそうに「何だよ」と画面に注視する。
『おい、いま何つった。どっちだ。和山か、坂崎か。おい、どっちだ』
画面には『ひめりん★』と盛り盛りに盛ったフルメイクのお姫サマのアイコン、それから『通話中』の文字が表示されている。
その可愛らしいアイコンから――、
『小暮君と師匠のこといらねぇっつったのはどっちだって聞いてんだよ、このクソ野郎っ!』
そんなドスの利いた声が聞こえてきた。
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