◆富田林21◆ 最強の恋愛軍師に任せなさい

『サンキューな、千秋』


 電話の向こうの小暮の声が弾んでいる。

 やっぱお前すげぇわ、なんて言われれば、まぁ気分も良い。


 柘植の話を受けてハマナス書房に行ったは良いものの、その肝心の小暮とあまり話せずに、『お姫サマ』のメイク直しをして終了したあの後のことだ。


「梶川のこと送って帰れ!」


 そう命じる小暮は、たぶん何か怒ってた。怒ってたっていうか、拗ねてた、ってのが正しいかも。何だかいじけた子どもみたいだったのよね。何よ、あたしがお姫サマに取られたとでも思ったのかしら。なんちゃって。でも、そんな風に茶化すことも出来ないような剣幕だったから、仕方なく、ほぼ『見ず知らず』のギャルを駅まで送り、そのままUターンしたのだ。


 だって今日のあたしの目的は、ちょっと女子っぽくなったらしい小暮に会うことだったんですもの。そりゃあジャージのズボン無しの小暮はぐっと女子感が増していたけど、たぶん柘植が言うのはそれだけじゃないのよね。


 それでちょっと早足で戻ってみたら、小暮は店の前でちりとりとホウキを持ったまま、誰かと話し込んでた。相手は、あの子より拳二つ分くらい大きい男子。それが誰かなんてすぐにわかった。写真で見たことがあるし、もし仮に見ていなくてもわかったと思う。小暮のあんな顔、初めて見たわよ。


 数メートル先にいるあたしになんてまるで気付かないで、いつもより気持ち口を小さめに開けて、ちょっと照れたように笑ってた。成る程、これが恋する乙女の顔ってやつなのね。木綿ちゃんもまぁ、柘植の前で可愛らしい顔をするけれど、あの子の場合は平時とあんまり変わらないっていうか。


 何よアンタ、やっぱりちゃんと女子じゃない。それとも、ここ数日のあたしのレクチャーが効いたのかしら。それはわかんないけど。


 とりあえず、ここで割って入るなんて野暮なことはしない。きっと今日か明日にでも何かしらの報告があるでしょ。


 そう思ってさっさと帰宅し、あれやこれやを済ませて就寝前のストレッチをしていた時、思った以上よりも早く、その報告が来たというわけである。


『あの後店に和山が来てさ、来週の土曜、運動公園でバスケの自主練するらしいんだけど、来ないかって誘われたんだ』


 さっきまでのいじけた声ではなかった。電話の向こうではきっと、喜びを隠しきれずに満面の笑みを浮かべているだろう。それで、そうなったのはやはりこの最強の恋愛軍師である富田林千秋様のお陰だろうということで「サンキューな、千秋」に繋がるというわけだ。


「ま、あたしのお陰であることは否定しないけど。でも、あたしばっかりじゃないわよ。アンタは案外素直だし、あたしのこと信じてついてきてくれたでしょ。それが実を結んだのよ」


 そうは言ったけど、まぁぶっちゃけあたしが小暮に教えたことなんて、基本的な肌のお手入れ法(しかもやっぱり化粧水と乳液を――なんていうのは無理だと言われてオールインワンジェルになったけど)と、ちょっとした所作のアドバイスくらいなものだ。座る時は足を閉じるとか、なるべく大きな音を立てないとか、物に触れる時、離す時は通常より低速を心掛けると品よく見えるとか、そんな感じの。


 そんな助言をすると、必ず最初は「面倒くせぇ」と文句を垂れるものの、それでもなんだかんだ言ってちゃんとやるのだ。あたしの前では、床に座る時は胡坐をかくけど、椅子に座る時はちゃんと膝をくっつけるようになったし、コップをテーブルに置く時も、ガツン、なんて嫌な音を立てなくなった。本を手に取る時、棚に戻す時の指先も心なしか優雅になったものだ。


 きっと柘植が言っているのはそういうことなのだ。

 あたしはもうずっとそんな小暮ばかり見ているから慣れちゃったけど、柘植にしてみたらとんでもない変化である。ただ、一人称は『オレ』のままだし、男言葉も直っていない。そこは無理して変えなくて良いと言ったのだ。いきなりそこも変えたら不自然すぎるし。それに――、


 そのギャップが良いのよね! やっぱり!

 

 一見がさつなオレっ娘なのに、端々に見える女子感! これよ!


 やっぱりあたしは間違ってなかったわね! ホーッホッホッホ!


 と、心の中で高笑いをしていると、『それでさ』と小暮の声が割り込んでくる。


『どんなカッコしてったら良いかわかんなくてよぉ。千秋に相談したくて』

「成る程ね。だったら、いつものジャージが良いんじゃないの? 練習に付き合うんでしょ?」

『それがさ、一緒にやるわけじゃねぇんだわ』

「どういうこと?」

『あんな、和山って補欠だって言ったじゃんか。そんで、補欠仲間とちょいちょい自主練してるらしくて。で、オレに記録付けたりとか、そういうの手伝ってほしいんだと』

「成る程ねぇ」

『だからまぁ、その、何だ。多少は可愛いカッコした方が良いんじゃないかって思って。でも、かといってあんまりひらひらした浮ついたのはな、って思って』

「そうね。それはあたしも同感だわ。むしろ、普段通りのボーイッシュさは残しつつ、それでもほんのり女子を利かせつつ、くらいのが良いと思うの」

『言ってることはぶっちゃけ一ミリもわかんねぇけど、千秋が言うならそうなんだろうな』

「さすがに一ミリくらいは理解して欲しかったけど。アンタほんとに素直で良い子ねぇ……。ちなみに和山はアンタの私服って見たことあるの?」

『一応な。私服って言っても、ジャージとTシャツだぞ? クラスの皆で焼肉行った時のやつだし』

「オーケーオーケー、逆に助かるわ」


 それしか知らないってことは、ギャップを大いに狙えるってことでしょ?


『逆に助かる? どういうことだ?』

「こっちの話よ。ま、あたしに任せて。そうと決まればショッピングに行くわよ。どうにか時間作りなさい」

『わかった。母ちゃんに言って休みもらうわ』

「お願いね」


 それから一言二言会話をして通話は終了した。


 その五分後に、明後日休みをもらえたとのメッセージが来た。おーおー、早いこと。そうよね、ここで一歩でも二歩でも前進したいわよね。ふっふっふ、この最強の恋愛軍師トンちゃんこと富田林千秋様に任せなさい!


 で、じゃあ明後日にショッピングに行きましょうと返し、それで終わりになると思っていたやり取りは、その数分後に送られてきた、


『あと一つ、言い忘れてたことがあるんだけどさ。』


 の言葉でちょっと意外な方向に動いた。

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