◇小暮葵3◇ 親友との会話は片手間程度で

「ちょ、おい。貴文」


 夜になり、千秋は飯も食わずに帰った。姉ちゃんも母ちゃんも食ってけって言ったんだけどな。帰りが遅くなるからってのと、女性しかないお家に男がいるわけにはとか何とか理由をつけて帰りやがったのである。まぁ良いけどさ。


 そんで、風呂入って、アイスを食べつつ、親友である柘植つげ貴文に電話をしているというわけだ。


『何だよ』

「あいつマジでとんでもねぇぞ」

『あいつ? あぁ、富田林とんだばやしか。確かにあいつはとんでもないな』


 我が親友殿はいつだって冷静だ。それでもここ最近は彼女が出来たことで多少浮かれているというか、人間らしい表情をするようになった。


『どうだった? なんか良い策でも授けられたか?』


 そう問いかける声の奥に、ぱら、と紙をめくる音が聞こえる。本でも読んでいるのか。この親友であるオレ様と会話をしているって時に、なんとも不真面目な野郎である。貴文は昔からそんなやつだ。でも、その適当さがちょうど良い。オレ達は、これくらいがちょうど良いのだ。


「全身女にされた」

『全身女……? いや、小暮は昔から女だろ』

「まぁそうなんだけどな。化粧されて、女物の服着せられた」

『女物って……』


 そう言って、深い深いため息をつく。この後に続くであろう貴文の言葉は容易に想像がつく。だからお前は元々女だろ、ってやつだ。これまで耳にタコが出来るほど言われ続けてきた。


『だか』

「そんでな、押し倒された」


 だから、それを封じてやろうと被せ気味に言ってやった。ちょっとビビらせてやろうと思って。


『は……?』


 案の定、貴文は言葉を詰まらせた。はっはっは、やっぱりお前でもビビるよな。うん、オレもマジで焦ったし。


「あいつ、普段はクネクネしたオネエのくせに、ちゃんと男なのな。すげぇ力強くてさぁ、全然逃げらんねぇの」


 でもまぁ、心配するな、あのな、と続けようとすると、何やらバサバサと音がした後で『ごめん!』と勢いよく謝られた。何だ。本でも落としたか?


「は? 急に何だよ」

『俺、あいつがまさかそんなことするやつだと思わなくて! ちゃんと男だってわかってたのに、小暮と二人きりにさせるなんて。俺のせいだ……。ごめん、本当に、ごめん。もう、なんて詫びたら良いか……』

「え、いや、おい、落ち着けって貴文。オレは全然大丈夫だから。あんな、そういうんじゃなくて」

『無理しなくて良いんだ、小暮。俺、明日、朝イチで富田林のこと殴ってくる。あいつは蓼沼さんの親友だけど、許せない。蓼沼さんは止めるだろうけど、話せばわかってくれると思う。小暮にもちゃんと謝罪させるから』

「落ち着けって、貴文! ごめんって! オレの言い方が悪かった! 千秋は悪くねぇんだってば!」

『富田林のこと庇うのか? も、もしかして何か弱みを握られてるんじゃ……!』


 写真か!? 動画か!? 場合によっては警察に――、とどんどんエスカレートする貴文の慌てぶりは、いつもなら「いやー、レアなモン見れた」なのだが、どう考えてもそんな悠長に構えてられる事態ではない。


「マジで! マジでちょっと話を聞いてくれ! 弱味とかそんなんじゃねぇから! マジで!」


 とにかく何度も『マジで』を繰り返した。柘植貴文という男を正直舐めてた。こいつがどれほど親友思いの良いやつかというのをそれはそれもう痛いほど理解した。それと、マジでこの手のやつは冗談にはならねぇんだってことも痛感した。オレが悪かった、マジで。


 それで、最初から全部話した。

 千秋のあの行動を、彼に一部の非もなく伝えるためには、己の愚かな行動をも全て、正確に話さなくてはならない。だから、千秋の潔白を示すために、全部話した。千秋が退室する前に着替えようとしたことも、それを窘められたのがムカついたから隙をついて馬乗りになったことも、全部だ。


 貴文はもう、何に対してのものなのかわからない、深い深いため息を何度もついて、ぼそりと一言「あのなぁ」と呆れた声をだした。


「だから、うん、その千秋は悪くなくてな? ごめん、ちょっと貴文のことびっくりさせてやろうって思ってさ」

『びっくりしたよ』

「だろ? だよな? うん、マジでごめん。やりすぎた。ちゃんと反省してる」

『反省してるなら良いけど。でもな小暮、お前マジで気をつけろよ? 富田林はあれで意外と常識人だし、その辺の礼儀も弁えてるからその程度で済んだっていうかさ』

「何だよ貴文、千秋のこと結構買ってるんじゃねぇか」

『だって、蓼沼さんの親友だからな。あの蓼沼さんが何の警戒心もなくいまのいままで親友やって来れてるわけだし。……まぁ多少は警戒してほしいんだけど』


 最後の方は何やらもそもそと声だったが、何となくわかる。お前の彼女、こないだ一言二言話しただけだけどなんかふわふわしてたもんな。


『まぁ、その、何だ。俺は彼女がいても小暮のことは大事な親友だと思ってるし、富田林は蓼沼さんの親友だから一応信用はしてるけど、何かおかしなことされたらいつでも言えよ』

「おお、何だか貴文が頼もしく見えるな」

『茶化すなよ』

「ごめんて。でもまぁ、うまくいくかはわかんねぇけど、何かまぁ良い方向には行くんじゃねぇかなって思ってる」

『そうか。それなら良いんだ』


 そしてまた再び、ぱら、と紙をめくる音。また本を読み始めたらしい。

 

 オレと貴文の会話は、片手間くらいでちょうど良い。

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