◆富田林15◆ 俺も『男』って言ったよな?

「よっしゃ、乗ってきたぁ! せっかくだから、服も替えようぜ!」


 己の変身ぶりに大層気を良くした様子の小暮である。たぶん仮装くらいの気持ちなんだろうけど。それで、あたしが持ってきたワンピを手渡すと、「そんじゃ」と制服を脱ごうとしてきたので、「ちょい待ち!」とそれを止める。


「何だよ」

「何だよじゃないわよ。アンタあたしの性別忘れてない?」

「忘れてねぇよ、男だろ」

「わかってんならよろしい。何であたしが出て行く前に脱ごうとすんのよ」


 これ、あたしじゃなかったら誘ってると思われるところだからね?


「え~? わざわざ出て行かなくても別に良くね? 後ろ向いててくれりゃさぁ」

「だとしてもアンタ、あたしが後ろ向く前に脱ごうとしたでしょ。ていうかね、だから、そういうとこ! 後ろ向くだけで安心しないの! あたしが襲い掛かって来たらどうするつもりなの!」

「いや、だって千秋はしねぇじゃん」

「しないけど! そうじゃなくて! あーっ、もう、どうして伝わらないのよ、この子!」


 それとも何?! あたしのこの紳士的態度が駄目なのかしら?! いっそ一度襲い掛かって危機感持たせるべき?! 駄目よ、トラウマになったらどうすんのよ、この子、好きな子いるのに!


「ちょっと小暮、そこに座りなさい」

「んだよ」

「あのね、アンタほんと少しは自覚しなさいな」

「自覚ったって、オレだぞ? 女として見てるやつなんていねぇだろ」

「いるわよ! あのね、変な意味じゃないけど、あたしはアンタのこと、ちゃんと女として見てるわよ!」

「マジかよ。お前の目どうなってんだよ」

「どうもこうもなってないわよ。視力は裸眼で2.0よ」

「めちゃくちゃ良いじゃんか。羨まし」

「そうでしょうそうでしょう。……じゃなくて!」


 あのねぇ、とため息混じりにお説教モードに切り替える。


「確かにアンタは完璧なオレっ娘よ? 見た目から言動からもうパーフェクトよ。これぞ王道のオレっ娘ってくらいのオレっ娘」

「おう、何かよくわかんねぇけど、褒めてるってことで良いな?」

「そうね、まぁ褒めてるわね」


 素直に認めると、小暮は「よっしゃ、褒められた!」と大きくガッツポーズを決めた。もうそういうのがいちいちなんか可愛いのよね、この子。


「だけどね小暮、よく聞いて。そのキャラはキャラで良いんだけど、最低限のラインは 死守してほしいの」

「最低限のライン?」

「そ。これまでアンタが異性からどんな風に見られてきたか、扱われてきたかはわからないけど、アンタはやっぱり女子なわけ。そりゃあその辺の女子と比べたら力もありそうではあるし、腕っぷしも強そうには見えるけど、それでもね」


 そう言うなり、身を乗り出して小暮の手首を掴む。


「ちょ、何すんだ」

「言っとくけどね、あたしこれ、全然本気じゃないからね。でも、振り解けないでしょ?」


 そう言うと、小暮はムキになって手をぶんぶんと振り出した。誓っても良いけど、本当にあたし、全然本気じゃないから。もちろん、離さないようにはしてるけど。それが証拠に、小暮が振るのに釣られてあたしの手もぶるんぶるんと揺れている。けど、解けはしない。


「くっそ、何でだ。マジかよ」

「マジなのよ、これ。良い? 手の力だけでこうなのよ? もしあたしが全体重かけてアンタにのしかかったらどうなると思う?」

「えーと、潰れる? 千秋でけぇし、重そうだもんな」

「重そうとか失礼ね。ていうか、さすがに潰しゃあしないわよ。そうじゃなくて。絶対に逃げられないでしょ、ってこと」

「成る程。確かにな」

「あのね、認めたくはないけど、男女の間には絶対って言葉はないの。魔が差すってこともあるでしょう? あたしだってわかんないのよ? もちろん、同意もなしにそういうことはしないって心に誓ってはいるけど」

「ひゅー、千秋、紳士じゃーん」

「茶化さないの! 全くアンタって子は。だからね、無自覚かもしれないけど、男を煽るような真似はおよしなさい」


 やれやれ、とため息をついて手を離す。でも、少しはわかってもらえたかしら、と気を抜いたところで。


「隙あり!」


 確かに隙はあったのだろう。


 だってまさかチワワが飛び掛かってくるなんて思わないじゃない? えーと、小暮がチワワならあたしは何かしら。こないだ木綿ちゃんが「トンちゃんに似てるワンちゃん見かけたの! 髪が長くてすらっとしてて優雅でね!」って興奮気味に報告してくれたのよね。犬に髪の毛なんてないはずだけど。あの子、何を見たのかしら。


 そんなことを考えながら、ぼんやりと小暮を見上げる。こともあろうに、あたしを床に押し倒して、得意気な顔で腹の上に馬乗りになっているのだ。 


「へっへー、油断したな、千秋」

「ちょっともう信じらんない。あのね、何度も言うけど、あたし、男なんだけど?」

「何度も言われなくたってわかってるっつーの。な、オレの勝ちだろ?」

「勝ちとか負けとかねぇ……。ていうか、アンタこれ、柘植にもやってないでしょうね」

「やるわけねぇだろ。あいつ彼女いるし」

「彼女が出来る前にもよ」

「しねぇしねぇ。貴文、こういう冗談通じなさそうだし」


 成る程ね。


「そんじゃあたしは通じると思ったってわけ?」


 上等じゃないの。アンタ自分が何やってるかわかってる?


「通じるっていうか――、おわぁっ?!」


 こっちが紳士ぶってりゃ調子に乗りやがって。やっぱりちょっと痛い目見ないとわかんねぇんだな。


 がばっと身体を起こし、小暮が頭を打たないよう、後頭部を押さえて床に押し倒す。一気に立場逆転である。一瞬の出来事に何が何やらといった顔をしている小暮の両手首を頭の上でまとめて押さえ、冷ややかに見下ろしてやった。


も男って言ったよな?」

「え」

「この体勢に持ち込まれたら逃げらんねぇぞって、忠告したよな?」

「ちょ」


 いまさらヤバいと思ったのだろう。じたばたと暴れているけれども、残念ながら、元運動部だろうが何だろうが、この程度の女子に負けるようなヤワな身体じゃない。


 ぐっと顔を近付けると、さすがにちょっと怯えたような顔をして、顎を引き、ぎゅっと目を瞑った。いやちょっと、頭突きくらいかましてこいっての。その覚悟決めてやってんだよこっちは。


 ていうか。


 かなり本気で化粧しちゃったせいで、至近距離だとマジで女子なんだけど。いや、元々マジで女子なんだけど。


 これでちょっとは懲りたかしらと思いつつ、念には念を、と耳元に口を寄せる。


「反省したか?」


 うんと低い男声で囁くと、小暮は、こくこくこくと何度も頷いた。


「どうする? このまま俺の女になっとく?」


 素直な反応が可愛くてついつい意地悪なことを言ってみれば、今度はぶんぶんと勢いよく首を左右に振る。その必死な様子につい吹き出してしまう。


「……ちょっと、そんなに強く否定されたらさすがに傷つくんだけど?」


 冗談よ、冗談、といつもの声に戻してパッと離れると、真っ赤な顔で身体を起こし、しゃかしゃかしゃかと逃げるように後退した。


「何だよ千秋! お前ちゃんと男なんじゃねぇか!」

「だーから、さっきから何度も男だって言ってたでしょうよ! アンタ、藤子さんにも偉そうに釘刺してたじゃない!」

「だったら何でそんなオネエ言葉なんだよお前!」

「そっくりそのままアンタに返すわよ! アンタだって男言葉じゃない!」

「あっ、確かに!」

「すとんと納得してんじゃないわよ! 素直か!」

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