第4話
……特に教室内には目立った点はない、か。
何か仕掛けられたとか、襲撃されたとか、そんな痕跡は何もない。
まあ、何かあれば報告が出ているはずか。
やはり、原因はオラクルに? ――まだ、何もわからない、か。
「フム、懐かしい。知っているかな? 星命学園が設立して最初に建てられたのがこの普通科校舎! 他の校舎と比べると経年劣化が目立つ古い校舎でこれといった特徴がないが、これはこれで趣がある――実に懐かしい。ワシの青春時代を思い出させる! ああ、懐かしきかな我が青春!」
夜になってすっかり人気がなくなった事件現場の教室に到着するや否や、発達した逞しい胸筋をぴくぴく動かしながら青春時代の思い出に浸る汗臭いアイザックの思い出話を聞き流しなら、霧子は教室を見回すのだが――特に不自然な点は見当たらない。
埃だらけの蛍光灯に照らされた木製の床、使い古された黒板、傷だらけでボロボロになっている教卓、学習机、椅子――若干古臭いというだけで、特に変わった点は何もなかった。
「それで、何か気づいたことはあるのかな?」
「知りたくもない無駄に暑苦しい青春時代を耳にしてしまった以外は別に」
「何、遠慮することはない! もっと、ワシの輝かしい爽やかな青春を聞かせようじゃないか!」
「汗臭そうでむさ苦しそうな青春なんて知りたくもないし、時間の無駄なので結構です」
「人の見た目でそう判断するのはよろしくないぞ! ワシにも青春に彩を与える恋というものに熱中していた時期もあったのだ! まあ、今でもその恋に夢中なのだがね! それに、青春は決して無駄ではないぞ! ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
「相手が気の毒に思えてなりません。後は第一発見者を――」
わかりきったことを聞いてくるアイザックに嫌味を吐き捨て、少しスッキリしたところで霧子は第一発見者の到着を待っていると、教室の扉が開かれ、霧子が待っていた人物が現れる。
周囲の人間を威嚇するようなピリピリした雰囲気を身に纏う、皴一つないスーツを着た神経質な細面の後ろ手に髪を撫でつけた男であり、教室に入るや否や挨拶もしないで霧子とアイザックを値踏みするような冷たい目でジロリと不躾に一瞥し、両手の爪を弄っていた。
初対面なら確実に印象が悪い、感じの悪い神経質そうな顔立ちの男の名前は普通科高等部の教務主任を務めている、今回の事件の第一発見者である・
「おお、待っていたよ。オヌシが田井中修吾殿だな! ワシの名前は――」
「ええ、よく存じています。アイザック・ファウテイル先生――それと、君は星命学園本校に通っている生徒会副会長の芦屋霧子さんだね?」
鬱陶しいアイザックの挨拶を隠すことのない愛想笑いを浮かべて軽くスルーし、相変わらずの値踏みするようないやらしい目で霧子に挨拶をするいけ好かない田井中の態度と視線に、「……どうも」と愛想笑いすら浮かべず、サラリと霧子は挨拶を返した。
不遜な霧子の態度に眉を一瞬ひそめた田井中だったが、自身を落ち着かせるように親指の爪を人差し指の爪で撫でさすった後、すぐに「それで――」と本題に入る。
「何か私に聞きたいことがあると言って、来たのですが?」
「ええ。今回の事件について聞きたいことがあります」
本題に入った田井中に、前置きを無視してさっそく本題に入る霧子。
「すでにそちらに報告書を渡したはずだが?」
「発見から通報まで詳細に現場の様子を記されていた報告書はわかりやすく、完璧でした――が、直接顔を合わせて話さないとわからないことがあるので」
「顔を見えない相手を信用しない――なるほど、確かにその通りだ」
慎重な霧子の答えを聞いて、満足したように微笑む田井中の目は値踏みするようないやらしいものではなく、真っ直ぐと芦屋霧子という人物を見るものへと変化した。
「それでは、最初から事件の詳細をお願いします。できるだけ余計なものを省いて簡潔に」
「了解した――事件に気づいたのは授業がはじまって十分後だ。本来ならば最初から授業には付き合うつもりだったのだが、色々と忙しい身でね。まあ、不幸中の幸いになったが」
「教務主任で多忙なあなたがどうしてわざわざ授業に見学を?」
「オラクルは今後の世界を左右する可能性を秘めた最先端の技術。だからこそ、教務主任だが若輩者の私が今後のために授業を見学した。日進月歩だが、確実に進化をしているその過程を目にしっかりと焼きつけなければ。私も見学と称しながらも授業を受けに来たというわけだ」
オラクル開発企業であるBE社が運営している学園だからこそ、他校以上に、いや、世界で一番オラクルによる授業を盛んに行う星命学園の授業を見学して、勉学に励もうとする田井中の学習意欲に、胡散臭さを感じながらも、反論する材料はないので霧子は取り敢えず納得して「報告の続きをお願いします」と話を続けた。
「授業がはじまって十分後、この教室の扉を開けたら一人を除いて全員倒れていたということだ。それから、救急と他の教員を呼んで、彼らが来るまでの間唯一意識を失っていなかった真仲遼太郎から話を聞いた」
「報告書には彼から話を聞いたということは記載されていなかったと思いますが?」
「報告書に書いても何も意味がないと思ったからね。話しかけても彼はまったく状況を呑み込めていなくて、『え?』、『何が起きたんですか?』ばかり言っていた。だから何も書かなかった」
取調べの映像で意味不明なことを言っていた真仲遼太郎の姿を思い出し、霧子は取り敢えず無駄なことを省いた田井中の言葉を納得した。
「取り敢えず救急が来るまでは他の教員たちと協力しながら現場の保存を徹底して、生徒たちの身の安全に気を配っていたのだが……真仲遼太郎が一人だけ立っていること以外に特に不審な点は何もなかった。君ならもう調べたと思うが、不審者も襲撃者も何もなかった。救急が来てからは、後の仕事は彼らに任せた――以上だ」
「なるほど、よくわかりました……それでは、次に真仲遼太郎について教えてください」
事件の渦中にいると思われる人物・真仲遼太郎についての話になると、ここではじめて田井中のポーカーフェイスは崩れ、難しそうな表情を浮かべた。
「……正直、何と言っていいのかわからないな」
「それはどういう意味で?」
「あまりにも普通過ぎて印象がないという意味だ。何度か彼のクラスの授業を見学したことがあったが、何もかもが普通で特に何も言うことはない。ある意味では特徴も個性もない普通科の生徒に相応しい生徒か……日々勉学に励んでいる、それくらいしか言うことはない」
「まあ、確かに彼のプロフィールを見ればそのような感じですが、それだけですか?」
「申し訳ない。特筆すべき優秀な点がない普通な生徒で、特に感想は出ない」
これ以上話を聞いても、無駄か……
結局、これといった新しい情報はなし……仕方がない。
あまりにも普通過ぎて印象がない生徒のため、必死に頭の中で印象を絞り出して田井中は真仲遼太郎についての感想を述べたのだが、特に情報になりえるものは何もなかった。
結局これ以上話を聞いても無駄だと判断した霧子は、先程からぼんやりと思いついていた案を選ばざる負えない状況に心の中で深々と嘆息した。
「田井中先生、折り入って相談があります」
「事件解決のために君たちに全面的に協力するように頼まれたのだ。なんでも言ってくれ」
「真仲遼太郎が今回の一件の鍵になっていることは、今のところは間違いないと思いますが、彼についてこちらは資料だけの情報で何も理解していません――ですので、彼を理解するためにも、彼の間近で観察したいので一時的に私を普通科に通う許可をいただきたいのですが」
「もちろん、霧子殿だけではなくワシも協力しよう! ワシが用意した小型のドローンで四六時中彼を監視しようじゃないか! お願いするよ、田井中殿」
「ということなので、お願いします」
暑苦しくもありがたいアイザックの提案とともに、霧子は田井中に頼み込むが、田井中は複雑な表情を浮かべる。
「確かに星命学園はマンモス校で、一学年に十以上のクラスがあるから一人潜入したところで問題ない。顔の見えない相手を信用せず、判断できない慎重な君ならそう言うと思っていたが……いいのかな? 星命学園本校、エリートコースに通う君が普通科の退屈な授業を受けて」
「事件早期解決のためですし、一学期分の課題はすべてこなしているので問題ありません。それに、普通科で無駄な授業を受けるつもりは毛頭はありません。彼のクラスにカメラを設置して、基本的には近くの空き教室でターゲットを監視します。しかし、それだけでは判断し辛いので、大勢の人に紛れて接近できる機会があれば、授業に参加して接近させてもらいます」
慎重な性格の霧子ならばそう提案してくるだろうと思っていたので、特に彼女の提案に驚くことはしなかったが、それでも彼女は真仲遼太郎が通う普通科とは違い、星命学園本校に通うエリート中のエリートであるため、いくら事件解決のためとはいえ、彼女の身にならないことを田井中は心配していたのだが――さっさと勝手に押し付けられた面倒な事件を解決して、暑苦しいアイザックから離れたい霧子には何も問題なかった。
事件早期解決への並々ならぬ霧子の意志を感じ取り、田井中はこれ以上何も言わなかった。
「君が普通科に潜入することはわかったが、その方法は――」
「ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! 何、心配することはあるまい! このワシのナイスアイデアを聞くのだ!」
かつての青春の香りがする学び舎で、汗を飛び散らすほどの激しいスクワットをしながら懐古に浸って黙っていたアイザックは会話に割って入ってきた。
汗だくで酷使した筋肉をひくつかせているアイザックを霧子と田井中は露骨に嫌そうな目で一瞥して、取り敢えずは彼のナイスアイデアを聞くことにした。
「我が星命学園には生徒たちの個性を伸ばすための科が十も存在しているのだ。そんな中、それぞれの科が個性を伸ばすための転科を促すため、定期的に他科との合同授業を行うのは周知の通り! とりわけ、将来を決めかねている普通科では頻繁に行われているのだ! 明日から星命学園第四校技術科学部長であるこのワシが直々に普通科の生徒諸君に特別講義を開こうではないか! そして、その助手として数人他科から生徒たちを呼び出し、その中の一人に霧子殿を呼ぶということにしよう! ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッ! いまだ自身の才能に気づかない未来ある若人たちに会えるのが今から楽しみでならんな!」
……頭にまで筋肉がついていそうだが、一応アイザック・ファウテイルは優秀な人物であり、星命学園に通う人間はもちろん、世界の中でも知らない人間はほとんどいない。
そんな人物が普通科で授業を開くとなれば、他科から生徒たちを集められるから、自分が来ても周りには何も違和感はない。
仮に今回の騒動を引き起こした人間がいるなら、突然の事態に警戒して何らかのリアクションをするかもしれない。
それ以上に、真仲遼太郎がもしも事件に関係しているのならば、警戒して何か本性を露にするかもしれない……認めるのは癪だが、それが一番の方法だ。
認めるのは心底癪だが、アイザックの案に乗ることにする霧子と田井中。
「有言即実行! さっそく明日の特別授業の準備をしなければ! それでは、失礼するよ! ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! 明日は楽しみだな!」
ようやくうるさいがいなくなった……
これで、少しは落ち着くけど……今できることは何もない、か。
豪快な笑い声を残して、さっそく明日の準備をするために教室から出るアイザック。
ようやくうるさいのがいなくなって、小さく安堵の息を漏らす霧子。事件についてようやく落ち着いて考えることができるのだが、有益な情報を何も得られていない状況で動いても無駄になるだけと判断し、明日に備えることに決めた。
「今日はわざわざありがとうございました」
「気にすることはない。教務主任として当然のことをしたまでだ」
一応、礼儀として呼び出した田井中に愛想笑いの一つも浮かべず、心のこもってない感謝の言葉を述べる霧子に、田井中もまったく心が込められていない言葉を返した。
「アイザック先生は特別授業をやる気ですが、急遽授業を入れられますか?」
「問題ない。後で授業の日程を組んでおこう」
「教務主任とはいえ、さすがに一人で勝手に決まるのはまずいのでは?」
「それも問題はない。それに、技術科学部長であり、オラクル開発者、何よりもこの学園の基礎を作り上げた初代生徒会の一人である彼が直々に授業を行うのだから、普通科の生徒たちはもちろん、教師たちも喜ぶだろう。誰も文句は言わないし、私が言わせない」
教務主任とはいえ、普通科のトップではないというのに好きに授業を組める権限を持つ田井中に疑問を抱きながらも、無駄な時間を省けるので後のことは彼に任せることにする霧子。
「……それで、事件は早急に解決できそうかな?」
「まだ、何とも。情報がなさすぎるのに加え、協力者が協力者なので」
「アイザック・ファウテイル――オラクルを開発した優秀な人物と聞いていたが……あれほど自分勝手でうるさいとは思いもしなかったよ」
「同感です」
汗を撒き散らしながらバカみたいに笑うアイザックの姿を思い浮かべ、心底失望した様子で深々と嘆息する田井中に、霧子は激しく同意すると、田井中の口元が嫌らしく歪んだ。
「まあ、上からの指示で私も君たちに協力するように命じられているから、早期解決のために出来る限りの協力はするつもりだ。今回の一件で、生徒たちはかなり混乱しているから。余計な混乱は不和を生むから、教務主任としては見過ごせない。それに、今回の騒動は理科室の薬品が漏れたということになっているが、急場凌ぎの嘘では長く誤魔化せないだろう。マスコミに嗅ぎつけられない内にさっさと事件を解決するべきだ」
「ええ、私としても、さっさと面倒事を終わらせたいので、早期解決を目指すつもりです」
「君とは何だか気が合いそうだよ、芦屋さん。これからよろしく頼むよ」
「……それはどうも」
霧子に不思議とシンパシーを感じた田井中は、彼女に手を差し伸べて握手をしようとするが、霧子はそれを無視して、彼に向かって丁寧に一礼してから教室から出た。
握手を無視されて不快になることなく、気が合う優秀な生徒の背中を見て満足そうに、それ以上に嫌らしく微笑んでいた。
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