第3話

 真仲遼太郎、星命学園第十校高等部普通科一年三組、出席番号二十二番。

 家族構成、交友関係、経歴、学力――至って平凡。

 特別な能力は何もなく、『アーティファクト』使用者でもない。

 犯罪歴なし、危険な組織の影もなし、偏った思想も持っていない。

 面白味がないほど至極真っ当な一般人であり、特筆すべき点は何もなし。


 立羽の部屋から出た霧子は、歩きながらさっそく彼から投げ渡された事件の報告書――特に、真仲遼太郎がどんな人物であるのかを確認していた。


 しかし、確認したところで何も目立った点はない平々凡々な少年で、無駄な時間に終わったので、心の中で舌打ちをした。


 真仲遼太郎についての人物像を確認した上で、事件発見当時の様子の報告書を読む。


 ――事件は『オラクル』特別授業中に発生したと思われる。

 オラクルを起動し、『共有空間』で何らかの異常事態が発生。

 授業開始から十分後、報告書作成者である第一発見者は教室へ入ると――共有空間内でオラクルの授業を受けていたはずの真仲遼太郎を除いた、教員含めた生徒たち全員が倒れているのを見つかった。

 オラクル内部で、何かが起きたことには間違いないが――


「報告書とにらめっこしながら歩いていると転んでしまうぞ? ガハハハッ! 何、その時はこのワシの鍛え抜かれた胸筋で受け止めてあげようではないか!」


「……汗臭くて、ネトネトしてそうなので結構です」


「ガハハッ! 常に爽やかレモンのフレグランスを纏わせているのだから、問題はない」


 歩きながら報告書を読んで事件について考えていたのを、近くにいるだけでも暑苦しいアイザックが話しかけて邪魔をしたので、霧子は露骨に機嫌の悪い目を彼に向けるが、本人は意に介していない様子で歯をむき出しにして笑っていた。


「それで、何かわかったのかな? わかったのなら教えてプリーズだ!」


「いいえ。かなり詳細に事件発覚から、各機関に連絡するまでの様子が記されていますが、何も。読めば読むほどわかりません。オラクルを使用していた人間が一人を除いて一斉に意識を失ったという事件は、今まで聞いたことがありません」


「ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! それはワシも同じだ!」


「今回の件、専門的、というか、オラクルの開発者の一人としてはどう思いますか? 無駄なことも筋肉も差っ引いて、教えてください」


「わからん!」


 霧子の質問に、気持ち良さそうに豪快に笑って無責任に答えるアイザックだが、「だが、しかし!」と話を続けた。


「先程浅葱殿にも言ったが、今は何でも解明できる時代、わからないことなど調べればすぐにわかるということだ! ということだから、安心したまえ! ガーッハッハッハッハッハッ!」


「……そうだといいんですが」


 気分良さそうに笑って無駄に筋肉をアピールするアイザックをじっとりとした目で見つめながら、霧子は小さく嘆息する。


 アイザックの言った通り、今は何でも解明できる時代だった。


 今から半世紀以上前、自然に漂い、誰しもが持つ『アーツ源子』の発見で奇跡も神秘も何もかもが解明され、今では素質があれば誰しもがおとぎ話に出てくる『魔法』を使える技術を手にした。


 魔力、霊力、道力、気、神通力、超能力、チャクラ、オーラ――古今東西ありとあらゆる文献に出てくる不可思議な力の源と現象はすべて『アーツ源子』によって生み出され、それらの力は『アーツ』と総称された。


 しかし、神秘の力の源を発見しても、人が保有できるアーツ源子と行使できるアーツには限界があり、おとぎ話のファンタジーに出てくるような燃え盛る紅蓮の炎や、吹き荒ぶ風や、噴き出す水や、轟く雷鳴など、天変地異を起こせるわけでもなく、人一人の力ではどう頑張っても何かを燃やすことができないほどのマッチ一本以下の火、石ころ一つ動かせない扇風機以下の風、切れの悪い小便のような水、雷なんて起こせるわけもない、現実は非常だった。


 しかし、アーツ源子の解析と技術の発展によって『アーティファクト』と呼ばれる、人の持つアーツ源子を増幅させて、アーツに出力する装置が完成され、素質があれば誰でもアーツを扱えるようになった。


 アーツ源子の発見によって世界は大きく躍進し、今まで神秘とされていた魔術が解明され、技術がその力を上回ったことによって弊害も生まれたが、今回の事件は別に関係なかった。


 問題は、アーツ源子によって生み出されたもう一つの技術だった。


 霧子が通う星命学園を運営する世界的な企業――バタフライ・エフェクト社は自然の中に漂うアーツ源子は電波との親和性が高いことを発見し、その二つを掛け合わせて作られた『オラクル』と呼ばれるネットワークを構築した。


 オラクルは限定的な範囲内で、目で見たもの、触れたもの、すべての情報をリアルタイムで収集できることが可能なネットワークだった。


 情報収集だけではなく、相手の表情や仕草を読み取って思考や感情を何となく察する機能、自分の思考などを読み取って集めたい情報を集めてくれるアシスタント機能も充実して単純な情報能力だけではなく、オラクルには多くの力が秘められていた。


 旧来のネットワークと異なる点は、接続するものがコンピュータではなく、人の精神と接続するという点であり、素質が必要なアーティファクトとは異なり誰しもが扱うことができた。


 オラクルを接続するための機器は小型で携帯性があり、特別な技術や能力も必要としないので利便性や使用性に富んでいるため、ここ数十年の間で多くの現場で大いに活躍し、オラクルを安心安全に使用するためのカリキュラムも組まれていた。


 そんな一気に世間に浸透するほどの画期的なシステム、オラクル使用中に今回の事件が発生し、事態の隠蔽よりも先に、人を動かして事件の調査をさせることに、オラクルの製作元であるBEバタフライ・エフェクト社はかなり焦っているように霧子は思えた。


 精神という目に見えないものを繋げるということで忌避し、オラクルを使えば精神が病む、肉体から精神が奪われるなどという根も葉もない噂も出回っているが、オラクルは無限の可能性があるというのが世間一般の評価であり、今回のような事件が起きたことは一度もなかった。


 近寄るだけでも体感温度が上がる暑苦しく、汗臭いアイザック・ファウテイルは筋骨隆々とした濃い外見のせいで体育会系だと思われがちだが、実は先程の小汚い冴えない外見の雑用係の立羽浅葱と同じくBE社の幹部であると同時にオラクルの開発者の一人であり、オラクルについて誰よりも詳しかった。


 だからこそ、今回の事件の調査を任されたのだが――


「アーティファクト以上にオラクルには力が秘められていることは周知の事実です。だからこそ、オラクル開発者のあなたには今回の件、何か心当たりがあるのでは?」


「そう言われても何もわからんのだ! 今のところはな!」


「今のところは、ですか」


「ガーッハッハッハッハッハッハッハッ! その通り、今は何かを判断するのには情報が足りなさすぎるのだ! そのために、我々は行動をしているのだろう?」


 しかし、霧子は何もわからないと言った彼の回答を信じていなかった。オラクルの開発者だからこそ、自分を含めた一般人には言えない何かを知っていると思えてならなかったからだ。


 だが、深く問い詰めようとしてもアイザックはむさ苦しいほどの筋肉をアピールして、不快なほど耳障りで暑苦しい笑い声を上げるだけで、軽く流されてしまった。


 これ以上追求しても無駄だと霧子は判断するが、同時に今のところは何もわからないと言った彼の言葉に、彼が今回の騒動について心当たりがあると掴んだ。


 アイザックの言葉に従い、情報を少しでも集めるために霧子は報告書を読むのをやめて、目的地へと迷いのない足取りで目指した。


 スタスタと歩く霧子の後を、アイザックは豪快な足取りで鉄下駄の音を響かせながら追った。


「迷いのない良い足取りだが――どこに向かうつもりなのかな?」


「現場に向かってこの報告書を作った第一発見者である人に話を聞きます」


「ほほう、なるほど! 現場百篇ということか! しかし、第一発見者に聞いても、報告書通りの回答で、それ以上は何も聞けないのではないかな?」


「顔の見えない、知らない相手の報告を完全には信じられません。直接会って顔を合わせて話を聞いた方が、信憑性が高まりますので」


「ガーッハッハッハッハッハッハッハッ! 何だか捜査らしくなってきたな! 燃えてきた! あんパンと牛乳を買うべきか? ガーッハッハッハッハッハッハッハッ!」


「汗臭いので、あまり近寄らないでください。それと、燃えすぎて暑苦しいです」


「ガーッハッハッハッハッ! 気にするな! 汗の香りは漢の香り、遠慮なく嗅いでくれ!」


 ……さっさと事件を解決しよう。


 ことあるごとに特盛筋肉をアピールしてくる暑苦しいを通り越して、むさ苦しく、鬱陶しいアイザックと早く離れたいがために、早急に事件解決を目指すことを固く誓い、目的地である事件発生現場へと急いだ。


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