第2話

 ……意味がわからねぇ。

 変な夢や、女のことしか言ってねぇから、何一つ目立った情報はなし。

 唯一無二の証人がこんな惚けたガキとはな……本当に大丈夫なのか?


 数時間前に病室で行われた少年の取調べの様子を見て、垂れ目がちな目に睡眠不足で薄っすらと隈ができた悪い目つき、無精ひげを生やした不健康そうな顔立ちの、皴だらけでよれよれのスーツを着て、数日間風呂に入っていないせいでフケがついたボサボサ頭という不潔な外見の壮年の男、立羽浅葱たてば あさぎは座っている安物のリグライニングチェアの背もたれに深々と寄りかかりながら深々とため息を漏らした。


 数時間前、立羽の務めている大企業が運営している星命せいめい学園第十校で事件が起きた――事件はある特殊な授業中に発生して、その授業を受けていたクラスの人間が全員意識を失っていたという事件だった。


 発見後全員すぐに病院に運ばれ、すぐに意識が戻ったのだが、全員精密検査が終わるまでまともに喋られる状態ではなかった。


 精密検査が終わると同時に意識がハッキリしてまともに喋ることができるようになったのだが、全員事件のことはもちろん、病院で精密検査を受けたことも忘れてしまっていた。


 しかし、取調べの映像に映っていた少年・真仲遼太郎まなか りょうたろうだけは違った。


 彼だけは意識が明瞭としており、クラスメイト達がなかった意識を失う前の記憶を持っていたために、詳しい話を聞くために取調べを受けていた。


 意識を失ったクラスメイト達が記憶を失っている中、唯一記憶を持っている真仲遼太郎に対し、今回事件が起きた学校の運営する企業に勤めている立羽の上司は興味を示すとともに疑いの目を向け、事件の調査を雑務処理係、都合の良い何でも屋的立場である立羽に任した――というよりは、責任を押し付けるために丸投げしたというのが正しい表現だった。


 今回のような事件を解決することもあれば、様々な揉め事処理、清掃、失せもの探し、迷い猫探しまで様々な仕事をこなしており、面倒事はすべて丸投げされる雑用の立場の立羽は拒否することなどできず、ただただ、上から指示された通りに事件解決のために動いていた。


 せっかく久しぶりに仕事が一段落して、自宅で朝から晩まで柔らかいベッドの上でゴロゴロできると思ったら今回の騒動なので立羽は心の中で荒れていた。


 今回発生した事件解決を任された立羽は、渡された取調べの様子の映像を何度も見返して、見る度に何度も思った疑問と嘆息を口にするのを堪え、机や床に書類が所狭しと乱雑に置かれ、食べかけのカップラーメン、賞味期限がとうに過ぎている弁当、飲みかけの栄養取り君など、片付けられていない汚い自信の狭い仕事部屋に集められた二人の人物を縋るような目を向けた。


 一人は取調べの様子を怪訝そうに眺めた、立羽よりも一回り年下少女であり、黒を基調とした青いネクタイが印象的なブレザータイプの制服を着て、デニール数の高い黒ストッキングに包まれた長い脚を丈が膝下までのスカートで覆われた、眼鏡をかけた少女――オシャレを覚える年ごろだというのに、手入れのされていない方まで伸ばしたボサボサの髪と、化粧っ気のない地味な顔立ち、しかし、長めの前髪の合間から見えるスクエア型の眼鏡の奥にある瞳は刃のように鋭い少女・芦屋霧子あしや きりこ


 もう一人は霧子とは対照的に取調べの様子を興味津々といった様子で眺めていた、健康的な浅黒い肌で、薄汚れて汗臭そうなつなぎを着た筋骨隆々とした暑苦しい雰囲気を放っている、短めに刈り上げた髪の頭を小汚い手拭いで巻き、鉄下駄をはいた濃い顔立ちの男、アイザック・ファウテイル。


 二人は事件解決に優秀な人材であり、毎度毎度面倒事を丸投げされる立羽にとっては助け舟だった。普段は協力者も自分で用意しろと言われるので、協力者探しという面倒事の一つは片付けられて嬉しかったのだが――素直に喜ぶことはできなかった。


 動いているのは彼女たちだけではなく、大勢の人間が今回の件で動いていた。


 つまり、優秀な人材や大勢の人間が必要なほど上は今回の事件を重要視し、危険視しているということだと思っており、今までとは別格の面倒事であると思っていた。


「――で、事件についてどう思う?」


「意味がわかりません。正直、見ていて無駄だと思いました」


 取調べの様子を見た正直な霧子の感想に立羽は同意したい衝動に駆られるが、それを堪える。


「他に何かねぇのか? これじゃ、極秘の取調べ映像を見せた甲斐がねぇ。今回は大勢の人間が動いているが、この映像を見せたのはお前たちだけだんだぞ。本当に何かねぇのか?」


「まともな情報が何一つないのに、極秘とは笑えますね」


「……ああ、ホント、笑えるよな」


 ……かわいくねぇ。


 吐き捨てるように言い放った霧子のキツイ一言に、立羽は何も反論できなかった。


「強いて言うなら、どうして私が選ばれてここにいるのかが疑問です」


「生徒会長サマ直々の人選だ。お前ならできるってよ」


「……チッ」


「あからさまに舌打ちすんなって……気持ちは十分にわかるから」


 知らない内に勝手に他人に面倒事を任されて露骨に嫌な顔をする霧子の気持ちを十分に理解できるからこそ、立羽は小言を言わなかった。


「それではもう一つ質問です。どうして、真仲遼太郎にあなた方は興味を?」


「映像を見せる前に言ったが、アイツは他のクラスメイト達は記憶を失ってたっていうのに、発見当時唯一意識を失わずに立っていたんだ。事件の渦中にいるのは間違いないだろ」


「事件が事件なので早急に解決するべく、大勢の人間が動いているのは理解できますが、それなら、なぜ先程の映像が極秘情報なのでしょうか」


「さあな……少なくとも、俺には聞かされてねぇよ」


「そうでしょうね。その点についてはあまり期待していません」


「そこはもうちょっと疑わねぇのか?」


「あなたの立場は良く知っているので」


「あ、そう……」


 ……やりにくいガキだな。


 隠すことなく事件への疑念と、自分への不信感を露にして眼鏡の奥にある鋭い目を向けてくる、大人顔負けの鋭さを見せてくる霧子に立羽は心の中で毒づく。


 芦屋霧子――生徒会で副生徒会長を務めている星命学園本校高等部一年の生徒だった。


 自身と同じく厄介事を任される身であり、直接顔を合わせたことがないが、何度か立羽が任された厄介事をともに解決したこともあり、地味で目立たない外見だが大人顔負けの切れ者だと評判の生徒だということは、立羽はよく知っていた。さっそく今回の事件に何か裏があると思って突っ込んだ質問をしてきたので、立羽は子供だと思って油断しないように心がけた。


 霧子の追及から逃れるように、先程から暑苦しい彫りの深い表情を更に深くさせた表情で、黙々と勝手に取調べの映像を早回ししながらリピートするアイザックに視線を向けると――


「ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! 興味深いぞ! 実に興味深い!」


 ……あー、うるせぇ……

 こいつ、ホント相変わらずだな。


 抑えきれなくなった感情を爆発させて、大きく口を開けて部屋全体を揺るがすような大きな笑い声を上げ、更に暑苦しくなったアイザックに、ウンザリした様子でため息を漏らす立羽。


 今回の事件を解決に導くとされている重要な人物で、昔から彼の優秀さは良く知っているので立羽は頼りにしているのだが――正直、この笑い声にはウンザリしていた。


 しかし、今回の事件にはこの暑苦しい筋肉男は必要不可欠だった。


 事件発生場所が特殊な場所――であるために。


「興味深いってことは、何か気づいたことがあるってことか?」


「わからん! それ故に興味深いのだよ! ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


「だったら、として、何かタメになる意見を聞かせてくれ」


「ウムっ! わからんぞ!」


「あのボケたガキが言ってた、蝶の夢と女については?」


「今ワシが言えることは――彼の言っていることは嘘ではないということだ!」


「……なんでわかるんだよ」


「ワシの勘だ!」


「ふざけんなっての!」


 白い歯をむき出しにしてニッカリと笑って根拠もなく堂々と『勘』と答えるアイザックに、立羽は呆れと苛立ちを露にすると、「まあまあ」とアイザックは宥めた。


「判断するにはまだ情報が不足し過ぎている。オヌシもそう思うだろう? 霧子殿」


「ええ、まあ、そうですね……あなた方がまともに情報を与えてくれるのか、甚だ疑問ですが」


「ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! それは耳が痛い言葉だ! だが、この取調べの映像は極秘中の極秘で、一般人には出回っていない情報! それを生徒である君に見せたのだから、少しは信頼していただけないかな?」


「まともな情報がなさそうな映像ですが」


「至って同意をするよ! ガーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ! まあ、しかし、ここにいる浅葱殿もまともな情報はないだろう! 彼に期待するだけ無駄だ!」


「ええ、そう思ってました」


「だが、安心したまえ、浅葱殿! 級友であり、戦友のオヌシのために頑張ろうではないか!」


 あー、本当にやりづれぇ……

 今すぐこの二人の前から逃げ出して、裸になって、裸のまま駆け回ってクビになりてぇ……


 シニカルな態度で痛いところをついてくる霧子と、内情をべらべら喋るアイザックの無神経さに、心の底から二人と気が合わないことを感じ、すべてを投げ出したい衝動に駆られる立羽だが、それを堪えて話を進める。


「とにかく、今回の事件解決のために、お前らが選ばれたんだ――今回の件について、上はマスコミに嗅ぎつけられないように揉み消しに奔走して、穏便に済ませって言ってるが、関係ねぇ。手段は問わない、必要なものはすべて用意するし、こっちもできる限りの協力はするし、責任はすべて取ってやるから安心しろ。だから、好きに動いてくれて構わない」


「ほう! 責任を取るということは、ようやく君も雑務処理係という名の雑用から解放されるということか! それはよかったではないか! ガーッハッハッハッハッハッハッ!」


 カッコよく決めたつもりで、あわよくば、すべてを投げ出せると思った自身の甘く浅はかな考えをアイザックに看破される憐れな立羽は「余計なこと言ってんじゃねぇよ!」と、ムキになることしかできなかった。


「とにかく、事件の第一発見者が作った事件の報告書だ。さっきの取調べの映像以上にわかりやすくまとめられてるから、それを読んで今後どうするのか決めてくれ」


「わかりました。では、失礼します」


「一寸の光陰軽んずべからず! 安心したまえ! 奇跡も神秘も何もかもが明かされた今の時代、わからないことは何もない! 真実は常に一つ! さて、さっそく行動しよう、霧子殿」


 立羽が投げ渡した事件の報告書を容易にキャッチした霧子は、命令通りにさっそく事件解決のために動き出し、散らかった立羽の仕事部屋から立ち去る。


 そんな霧子の後を追うようにアイザックも部屋から出る。


 二人が部屋から出て行って、一気に疲労感に包まれた立羽は倒れ込むようにして資料や、ドリンク剤の空き瓶や、コーヒーの空き缶が置かれて小汚い机の上に突っ伏した。


「……すげぇ不安」


 霧子とアイザック――二人が優秀なことは良く知っていて、事件解決には相応しい人選だと思っている立羽だが、二人が何をしでかすのかわからない不安が大きかった。


 それ以上に、今回の事件がしっかり解明されるのかどうかという不安もあった。


 しかし、『奇跡も神秘も何もかもが明かされた今の時代にわからないことは何もない』――アイザックの言葉は事実であり、どんなに意味不明な事態が起きても、おとぎ話に出てくる魔法がロマンの欠片のない今の時代なら、解明されることは間違いないだろうとは思っていた。


「あー、メンドクセェ……」


 肺にため込んだ空気を一気に吐き出しながらそう呟き、突っ伏していた上体を起こして、椅子から立ち上がる立羽は、いつ買ったかわからないドリンク剤を飲み干し、頼れる協力者たちのために自身も動き出すことにした。

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