第11話 桂園時代と文豪たち2 西園寺公望と永井荷風
前回が西園寺公望と国木田独歩だけで終わってしまったので、他の人のことも書こう。
永井荷風と西園寺公望は、荷風の親の代からの付き合いである。
永井の父、久一郎は西園寺が文部大臣の頃、文部省大臣官房会計課長をしていた。
父が西園寺の元で働いている頃、荷風はまだ高等師範付属中学の学生だったが、学校視察に来た西園寺文部大臣を目撃している。
また、久一郎は漢詩人でもあり、仕事以外でも西園寺と交流があった。
久一郎は後に官界を去って実業界に行き、日本郵船上海支店長になるが、その上海で、荷風は西園寺と会っている。
一度見た貴人と、上海で再会とは、なかなか絵になる光景である。
また、花のパリで、エミール・ゾラを愛読し、風流を愛する文人宰相である西園寺は、荷風にとって理想的姿であったともいわれている。
そのため、荷風は雨声会に招かれると、切立ての五つ紋に裾長の袴を着用して出席した。
しかし、荷風のファンは、荷風の権力に対する反骨精神を愛しており、まさか総理大臣に迎合するように雨声会のような『非芸術的な会合』に行かないと思っていたらしく、失望したという声もあったようだ。
先に書いたように、荷風は頽廃的な雰囲気のものを書く反面、父親は官僚・実業家であり、自身もこの頃は慶應義塾大学文学部の主任教授として、真面目に講義をしていた。
頽廃的なものを書いてはいても、きちんと地に足をつけて働いていたし、なんでも権力を持つ人間に反抗するという人ではなかったのだろう。
ともかくファンの失望はさておき、荷風はフランス的で自由な雰囲気のある西園寺を好んでいたし、西園寺も荷風を可愛がっていた。
西園寺について西田幾太郎は「我国の政治家は、政治の為に政治する政治専門家のみである。之を超えて、一種の見識と風格とを有する人はない。独り西園寺公はこの種の人であった」と、西園寺は単なる政治屋ではなかったと評している。
桂太郎は多趣味な西園寺とは真逆で、あまり趣味らしい趣味がなく、政治が趣味の政治屋と言われていたので、この面でも対照的であった。
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