第10話 桂園時代と文豪たち 西園寺公望と国木田独歩

 『西園寺公望と文豪』と言えば、真っ先にあがる名前が国木田独歩であろう。

 

 西園寺は竹越三叉が国木田を連れて来たと小泉三申に話している。

 

「文才のある男だが、失意で鬱々としている、金もなくて、かわいそうだから、あなたのうちへ置いてくれぬかと云うから、喜んで置こうというので、つまり食客に置いてやったが、短い間であった」


 国木田は西園寺のところに来る前、星亨の『民声新報』の編集長をしていた。

 有能な編集長だった国木田だが、星亨が伊庭八郎の弟・想太郎に暗殺され、国木田は路頭に迷ってしまう。


 それを竹越が拾って、西園寺に紹介し、西園寺は喜んで国木田を食客として置くことにしたのだ。


 国木田は西園寺の邸宅の離れに住んだ。

 しかし、食事は母屋に呼ばれて西園寺と食事をしていたらしい。

 

 世話になっている身であるが、国木田は遠慮せず西園寺と議論し、外の巡査が喧嘩ではないかと警戒するほど熱い議論をしていたという。


 西園寺は総理大臣の時に、神田駿河台の私邸に文士たちを招く、雨声会という宴をしたことがある。


 これはずいぶんと話題になったので、明治後期の文学関係の話を読んでいる人にはお馴染みかも知れない。


 この雨声会をやるように勧めたのは、国木田だったということである。


 西園寺は国木田を大変愛していたが、しばらくすると、国木田は西園寺邸を出ていく。

 

 西園寺ではなく、家人が国木田の行いに困ったのが原因らしい。

 

 独身ではあったものの、西園寺は娘を産んだ芸者の女性を本邸に住ませていたり、女中などもいたので、そういう人たちが国木田の行動に困ったようだ。


 国木田もそんな蛮行をしていたわけではないだろうが、おでん屋で酒を飲み、そのまま飲んだ友達を連れて西園寺邸の離れに泊めたり、普段とは違う種類のいろんな人間が西園寺邸に出入りするようになってしまい、西園寺の屋敷の女中などは嫌になってしまったのかもしれない。

 

 西園寺に国木田を紹介した竹越は、その状況になって責任を感じたのか、家人が困っていると国木田に伝えて、国木田が西園寺邸を去ったということのようだ。


 そのため、国木田は竹越をよく思わなくなったようだが、西園寺との関係が悪くなったわけではなく、西園寺の雨声会にも、もちろん参加している。

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