第三幕:皆眠ることなかれ(第四編)
ゴフッっと血の塊を吐き出し、力尽きたように倒れこむ草むらにガルガーノ。
あたしは直ぐに駆け寄ると、衣服が血で汚れるのも気にせずに、彼を頭を抱きかかえ、その手を握る。
「しっかりなさい! 王都までもたせてみせると、約束したでしょ!?」
「……マリー、……すまない……」
どうやら今の彼の瞳に映る金髪碧眼の娘は、あたしではなく彼の思い人のようだ。
(ああ、もう……彼は)
左肩に受けた袈裟切りの刀傷から溢れる血は、まるで止まる気配がない。あっという間に彼の騎士服も、あたしの衣服の袖口も、草むらまでも赤く染め上げていく。
「約束は、ちゃんと守りなさいよ!」
「君との……、約束は……、まもれ……そうに、……な」
そして握った彼の手からは、力が失われた。
その魂も何処かへと行ってしまったらしい。残された彼の瞳は、ただただ宙を見つめるだけだ。
なぜなの?
あたしと一緒に王都に行くんじゃないの?
あなたを待つ人がいるんじゃないの?
まだこれからじゃないの!?
彼を抱きかかえるあたしの両眼からはとめどなく涙があふれ、声にならない想いが頭の中を駆け巡る。
しかしいつまでもこうしてはいられない。
その身を挺して守ってくれた
ルチアの元に急いで近づくと、彼女は喉からヒューヒューと息をしながら、辛うじて命の灯を保っていた。
「しっかりして、ルチア。あなたまで独りで先に行かせないわよ」
彼女の傷の具合を確認すると、胸元にざくりと切り込まれた跡がある。
今しがた亡くなった彼が受けた致命傷に比べれば、まだ見込みはある。手当の為にも、早く王都まで連れて行かないと!
あたしは直ぐに、太ももまで露わになるくらいスカートを切り裂いて、その布切れで彼女の胸元がグルグルに巻き上げる。これで暫くはもつでしょ。
「……はく」
彼女が何かを言っている。
「なに? どうしたの?」と彼女の口元に耳を寄せてみる。
「みはく……。うちノ、ナマエハ……みはく……にゃ」
その顔に冷や汗を大量にかき、意識は朦朧としているみたいだ。
「分かったわ、ミハク。もう少しだから、我慢してね?」
力なくゆっくり頷く彼女を見つめながら、あたしは小柄なその体をそっと持ち上げる。
なんて軽いのだろうか、こんな子供のような体で二人を運び、必死にあたしを守ってくれたのだ。
初めて出会ったあたしたちを救うために。
仮にあたしたち三人が助かってもこの子が居なければ、きっとあたしは一生後悔し、苦しみ続けるだろう。
だからこそ、この可愛い子を死なせたくなかった。
そして彼女を小舟に載せてから、走って宿に戻り、貴重品の入ったあたしの荷物とランタンと水袋を持ってきた。そして草むらに横たわる物言わぬ彼に近づき、せめてもの形見と髪を一房頂いた。
もし可能であれば、彼の遺体も舟に載せたかったけれども、小柄なあたしたち四人が乗るともう一杯だったので、泣く泣く諦めたのだ。
それに非力なあたし一人では、船に運び込むのも無理だろう。
その後、苦心しながら船をなんとか操船し、川を下って村を出ることができた。しかし……。
川の水を吸った木の櫂はとてもとても重く、村の外で川が合流すると、水の流れは勢いを増し速くなる。
暗闇の中では腰に下げたランタンの灯り心許なく、非力で未熟なあたしの操船技術では、風に舞う木の葉の如く、小舟は何度も大きく波に揺られるだけだった。
そのうちあたしは膝をつき、船の縁にしがみつくのがやっとの状態となる。
そして遂には、急流の中で岩にぶつかったのか、船はひっくり返り、あたしたちは皆投げ出されてしまった。凍る様に冷たい暗闇の川へと。
あたしは咄嗟に彼女の手を掴み、力いっぱい引き寄せて、仰向けになって体を反る様に彼女を右脇に抱いた。次々と押し寄せる水の流れに対し必死に抗いながらも、息ができるように彼女の顔を上を向ける。
でもその姿勢は長くは続きそうにない。あたしの力も体温も、気力も命も徐々に尽きつつあった……。
ごめんなさい、皆を巻き込んでしまって。
全ては愚かなあたしのせいだ……。
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やがて水に飲まれ、苦しみの中であたしは意識を失った。
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先生がピアノを弾き始める。
あぁ、この楽曲はプッチーニのオペラ『トゥーランドット』の名アリア『誰も寝てはならぬ』だ。
わたしは先生のピアノに続いて歌い始める。
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『誰も寝てはならぬ!
誰も寝てはならぬ!
けれども君は、お姫様は
君の冷たい部屋の中で
愛と希望に震える 星々を見つめています 』
『だが私の秘密は、私の中に閉じ込めている。
私の名を誰も知らぬ!
いや、違う 君の唇に重ねてそれを告げよう
朝陽が輝く時に!
そして私の口づけが沈黙を解かし 君は私のものになる 』
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トゥーランドット姫は愛を知る事ができた。
翻ってあたしは、愛を知る事ができるのだろうか?
身勝手で、独りよがりで、愚かなあたしの行いが、結局は全てを台無しにしてしまった。
あたしに誰かを愛することをできるのだろうか?
あたしは誰かに愛されることができるのだろうか?
『大丈夫よ、あかね。あなたは愛されることを知っているはずよ。
だから次は大事にしてあげなさい。あなたを思ってくれる人を』
その隣で先生も頷いている。
そうだ。わたしは、あたしは愛されていたのだ。昔も、今も。
ならば、これからもそうなろう。そうあり続けるためにも……。
そしてあたしは歌い続ける。諦めずに。
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