第三幕:皆眠ることなかれ(第三編)


 一階の酒場に降りてくると、ガルガーノと隻眼の大男の対決はまだ決着がついてはいないらしく、今も壁際で互いの剣を交えているようだ。


 大男の獲物は刀身が幅広く肉厚のある重そうな長剣だった。それを片手、両手と持ち替えながら、ブンブンと右に左にと振り回すように剣撃を打ち込んでいる。

 その一方で薄く細長い剣を巧みに扱うガルガーノは、次々と打ち込まれる重い剣を尽く反らし、弾き、受け流し、避けながら、一瞬の隙を点いては大男の腕や胴を少しずつ切り裂いていく。


 しかしながら、一見有利かに見えた彼の善戦ぶりも、徐々に流れが怪しくなり、次第には壁際へと追いやられてしまった。これは危ういかも。



 すると彼はあたしの方をチラリと一瞥すると、目くばせで外に出ろと合図してきた。

 あぁ、きっと相手を引き付けておくという事ね。


「おい、そんな事で妹の仇が取れるのか? 売女の兄は、同じタマナシなのか!?」


 彼らしからぬ侮蔑の言葉を投げると、大方の予想通りの反応があった。


「言わせておけば! その減らず口を二度と叩けぬようにしてやるぞ!!」


 激高した大男は一吠えすると、長剣をまるで風車のように力いっぱい振り回しながら、邪魔になるテーブルを蹴飛ばし、間合いを徐々に詰めていく。

 よし、今が頃合いね。



 あたしとルチアは、半開きになっている出入口の扉からこっそりと宿を抜け出した。

 そして川辺の船着き場まで急いで向かう。


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 その途中の草むらには、割と大きな石が沢山転がっており、船着き場までたどり着くのに幾度か転びかけたりするなど、あたしは結構手間取った。一方、ルチアの方は夜目が利くのか、石を器用に避けながら先に船着き場に着いた。


 彼女が小船に二人を乗せたのを見届けると、直ぐに船を出せる準備をした上で、あたしが戻るまでしばらくここで待つように頼んだ。

 そして再び宿屋に向かうため、船着き場を離れようと後ろに振り返った瞬間。


「アブナイにゃ!!」


 あたしはいきなり彼女に背中を押された。

 そして目の前の草むらに倒れ込む時、月光の中を何かがヒュンと物凄い速度で頭上を掠めていった。


「うにゃああああああああぁっ!」


 突如、唸り声を上げるながら、彼女は川船に備え付けられていた樫の木のオールを軽々と持ち上げると、それを両手で持って振り回し始めた。


 そしてあたしの目の前に立つと、月明かりの元で草むらの向こうからやってくる赤毛の大柄な男に向かって威嚇する。

 あんなに気弱そうに見えた、小柄な猫娘の彼女があたしを守るために。


 えぇ? 何でアイツがここにいるのよ? ガルガーノはどうしたの? 

 まさか──。

 (そんなはずは……ないでしょ?)


「この泥棒猫が……、あとはお前を始末すれば終わりだ。妹の仇も既に晴らせたしな」


 近づいてきた大男は、顔も腕も胸も血塗れの状態だ。

 多少の切り傷以外は大した傷を負っていない様子から、おそらく返り血をその身へ派手に浴びただけなのかもしれない。

 あぁ、彼はもう……居ないのね。


「娘は生きてさえいればよい、と聞いておる。ならば腕や足の一本、耳や目が無くとも、問題は無かろうよ。あの世で寂しがっているマッダレーナへの手向けだ。その場を動くなよ!」


 そう吠えると、手に持った幅広の長剣を再び風車の様に、右に左に頭上に後背にと振り回しながら、次々と小さな彼女に振り下ろす。

 しかし彼女も硬い樫の木のオールで受け止めたり、逸らして吠えたける大男の猛烈な攻撃を凌ぐ。


 だけどそれが彼女には精一杯のようだ。


 そこであたしはスカートの内ポケットに納めた魔石を手探りで確認したが、ペタペタと肌に触れてしまう。んー?


 よくよく見ると、あたしの左足は露わになっていたのだ。

 先ほどの手当てで、魔石を納めていた所を切り裂いて使ってしまっていたらしい。

 どうりでさっきからスースーすると思ったわ。


「……ニゲルにゃ」


 え? なに?


「うちヲ、オイテ、ニゲルにゃー!!」


 そう叫んで、彼女は鍔迫り合い状態に持ち込むと、グイグイと大男を押し込んでいく。

 それが予想外の力押しだったのか、大男はよろめく。

 そして、うわっ! という驚きの声とともに後ろに倒れ込む。


 これはチャンスだと、あたしは船止めの縄をほどき始めながら、彼女に声をかける。


「ルチア、早く乗って! 逃げるわよ!」


 オールを左肩に載せた荒い息の彼女が、「ワカッタにゃー」と言いながら、こちらを振り向こうとしたその瞬間。

 彼女の胸から下から上にと血しぶきが吹きあがった。


 そして彼女はゆっくりと草むらに倒れ込む……。


 代わりにその場に立つのは、血塗れの長剣を手にした大男の方だった。


 大男は倒れた彼女に目もくれず、あたしに向かって近づいてくる。


『──────』


 遠くで何かが聞こえた。


 男は急に立ち止まり、片膝を地につける。

 歯を食いしばって必死で何かに耐えているようだ。


 それから再び、男の背後から聴いたことのあるテノールの歌声が響く。


『すがたなきもの てんよりきたる そはすべてのかせなり   


 すがたなきもの そこよりきたり そはかせをときはなつ


 いかいよりきたるもの そのかせがとらえる おもうゆえに かせはあらず 


 いかいへとさりしもの そのかせはのがさぬ おもうすえに かせをうけず 』


 その二度目の歌が終わると、男は見えない力に抗うためにか、長剣を地面に突き刺し、それに両手ですがり始めた。


 そして男の背後には、月光に照らされる白刃を手にしたシルバーグレイの髪の彼が立っていたのだ。



 月明かりの中で浮かび上がるその姿は、本来は純白で素敵な騎士服も、上半身から腰に掛けてどす黒い血にまみれていた。その肩口から反対の脇まで付けられた壮絶な刀傷の痕が、激しい戦いの結果を物語っている。


 そして彼の顔はまるで幽鬼の如く青ざめ、血の気らしきモノが全く感じられない。


 フラフラになりながらも、一歩一歩こちらに近づいてくる。

 何故なら、まだ血に飢えた大男が獲物をその手にここにいるのだから。


「ぬあああああああぁぁぁぁっ!!」


 すると大男は唸り声を発しながら、背後の彼に向き直ると、徐々に膝を地から離すように立ち上がり始めた。そしてその左手には、あたしの頭ほどの大きな石を掴んでいる。


 しかし彼は立ち上がろうとする大男からは目を離さず、前のめりになりながらも右手に持つ細身の剣を水平に保ち、そして飛ぶかのように踏み込みながら、渾身の突きを解き放つ。


 その顔面に向かってくる素早い一突きを予測していたのか、大男は左手の石をその軌道上にかざす。


 常識的に考えれば、彼の細身の剣は石にぶつかり弾かれるか、折れてしまうと皆は皆思うだろう。



 だけど、目の前の光景は違った。

 まるでバターの塊にナイフを突き立てる様に、突き出された細い白刃は音もなく石にめり込み、その先にある手のひらを貫通し、剣の鍔が石にぶつかるまで突き抜けた。


 その結果、その切っ先は大男の既に失われていた左目を貫き、頭部深くにまで達したのだ。


「バカな……。こ、この技……。き……貴様……」


 大男は何かを言いかけていたけど、彼が一歩だけ後ろに下がり、剣をスッと引くと、声もなく前のめりに倒れていった。

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