第二幕第二場:Mi chiamano Lucia.

 

 その夜遅く、王都行きを頑なに反対するお父様を説得するのにとても苦労した。それでも粘り強く説得し、なんとか夜明け前までに説き伏せる事ができたのだ。


 なお前回の記憶と先日の動揺する様から、お父様には書状とマリーについては伏せておいた。きっとモンテローネ伯爵の名を聞けば、青ざめた顔をして王都行きを断固拒否したと思う。



 翌朝、朝食の後にミランダと(名残惜しい)別れの挨拶を済ませてから、あたしたち三人は徒歩で街を出る事にした。


 ちなみに新市街からの街の出入りについては、新市街は上流と下流の街道沿いの二か所に関所があり、そこで形式的なものとはいえ番兵に一応確認はされるが、旧市街への出入りほど厳しいものではなかった。また出入税も破格の安さだった。

 しかも夜間は見回りの番兵は不在で、新市街については出入りが自由となるらしい。


 ある意味、この公都が王都に次ぐ人口を誇るのは、この出入税が格安の為かもしれない。一人銅貨一枚、荷物はロバや馬一頭当たり銀貨一枚。つまり二頭立ての荷馬車だといくら荷物があっても銀貨二枚!

 そのお陰か、近隣の宿場町では馬や馬車の貸し借りが盛んだとお父様が教えてくれた。


 実はシルバーグレイの髪の彼の話がなければ、その宿場町で馬なり荷馬車を借りて旅をするべきかと考えていたのだ。


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 川下へ向かって街道沿いをひたすら歩き続ける。膝の悪い婆やと左足を引きずるお父様を伴っているために、考えていた以上に時間がかかり、川辺の村に到着した頃には夕陽が沈みかけていた。


 その村の名は、


宿場町の手前にある丘陵地帯と森に囲まれた水辺の村だ。


 村を囲むように、その手前で二つに分かれるチェレステ川。その小さな流れの一つは水門を通って村の中を分断するように流れ、一度ため池に入った後に再び村の外に出て合流し、また一つの大きな川の流れをなしていた。


 夕陽で赤く染まった溜め池の水面を眺めながら、あたしたち三人は村の中を抜ける道を歩いた。村の中央付近には、小さい石造りの教会らしき建物も見える。


 あぁ、なんて美しい光景だろうか。

 (まるで夢の世界のように美しいわ)


 前回の記憶にあるアミアータ渓谷の風光明媚な景色も素晴らしかったけど、この森に囲まれた水辺の村も素敵だ。こんな逃避行でなければ、ここでノンビリ過ごしてみたいと思ったほどだ。


 その後、村の端に至ったところにある川辺で、船着き場と川船を見つけた。そこに居た眼帯をした赤毛の大柄な男に船を利用できるかと尋ねると、夜間の川下りは危険だからダメだと断られた。その代わりに、すぐ近くのある宿屋を案内してくれた。どうやらその男の妹さんが切盛りしているらしく、宿に泊まれば翌朝一番にでる船便に乗せてくれるそうだ。


 これぞ本物の『渡りに船』というやつね。幸いにも前世の記憶はまだしっかりと残っているようだ。母の顔もまだしっかりと思い出せるほどに。


 そしてここで彼を待てば丁度良いと考え、今日はこの宿に泊まる事にした。明日には川船で一気に王都までたどり着くことができるだろう。


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 隻眼の大男に案内された宿は、土台部分が古臭い石造りでではあるけど、中は木造で綺麗に改装されていた。

 そして出迎えてくれたのは、ちょっと大きめな白いメイドキャップ? を深く被った上に、木綿の手袋をした小柄の女の子だった。


「コンバンハ、ヨウコソ、ダンナサマ、オジョウサマ、オクガタサマにゃ。

 ショクジにゃ? シュクハクモシマスカにゃ?」


 なぜにカタコトなのかなぁと、お父様の後ろから彼女をよくよく見ると、目ざといあたしには瞬時に理解できた。彼女のスカートの裾から白っぽい尻尾がユラユラと見え隠れしていたのを。


 つまり給仕の彼女は、物語や話できいていた大陸の東に住まうと言う猫族なのだ。あたしが長く住んだ公都でも、前回観た教皇都でも見かける事はなかった貴重な猫娘。


 しかもくすんだような灰色のお給仕の服とエプロン姿に、猫耳を隠すかのような大きめなメイドキャップ。おふぅ……。これはちょっと萌えるかも?


 あぁ、手袋は給仕する人に不愉快な思いもさせないように、毛深い手を隠すためにしているのね。と感心ニヤニヤしながら彼女の全身を愛でるなめまわすかのように、視線を這わせていると。


「ゴメンナサイにゃ!」といって、両手を後ろ手にしてしまった。か、可愛い……。


 しかしながら、やってしまったぁ……、ごめんね。子猫ちゃん。あたしは心の中で、深く深く反省した。次は気を付けるからねと。



 その後、あたしたちは一度通された部屋に荷物を置き、もちろん貴重品は肌身離さずにしてから、宿屋の一階にある食堂兼酒場で夕食をとることにした。

 ちなみにあたしは二部屋を希望したけど、お父様の強い要望で一つとなってしまった……。

 もぅ、ちょっと過保護過ぎなのよねー。



「どうだい? うちの宿特製の馬肉のステーキは? アタシの宿によく来る荷運びの客は、皆が皆大好きな料理さね」


 酒瓶を片手に持った、赤毛の色白で肉感的なスタイルの若い女主人が話しかけてきた。年はあたしより少しだけ上かな?


 うーん、結構塩辛いのよね、コレは。しかも筋が残っいるのか肉が固くて、その分だけ噛まなければならないので、酷使した顎が落ちるのじゃないかと思う。


「そうね。食べ応えがあって、あたしの顎が落ちそうだわ」


 するとあたしの言葉に満足かんちがいしたのか、空になったお父様のジョッキにエールを注ぐとテーブルから去っていった。


 正直、婆やの作ってくれる馬肉料理の方が柔らかくて、ほどよく香辛料が効いていて美味しいのよね。まぁ、香辛料は元々貴重だし、荷運びする人は塩分過多な方が好みなんでしょうね。


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「──という事があったから、安全の為にも今日はその彼を待ちたい、と考えているの」

「おやまぁ、昨夜は先に休ませて頂いた後に、そんな事があったのですねぇ」

「待ちなさい、ジルダや。何故、それを今の今まで黙っていたのだ?」

「安全の為には、必要な事だったなのよ。下手なことを言うと、きっとお父様との話し合いが朝までに終わらなかったでしょ? それで出発を遅らせたくなかったの!」


 マリーの事は相変わらず伏せておき、ココはちょっとプンプンしてご機嫌斜めな装いを見せて、話が長引くのを防いだ。お父様はあたしには甘いのよね。


「うーむ……。その男が現れたら、一度わしが直に話をしておきたい。いいかね、ジルダ?」


 そこはむすっとした装いのまま、致し方無しという感じで黙って頷いておいた。こういう演技も、時には大事なのだ。円満な家族を維持するために?



 そして丁度そこへ、例の可愛い子猫ちゃんが空いた皿を下げに来た。ちょっと申し訳なさそうにオドオドしている風なのは、もしかしなくてもあたしのせい?


「さっきは本当にゴメンね……。あなたがとても可愛かったから、少し夢中になっていただけなのよ、気にしないでね?」


 すると子猫ちゃんは、頭を下げて『アリガトウにゃ』と一言と言ってから木の皿を重ねて下げ始めた。むぅ~、あたしは仲良くなりたいのに、彼女の好感度は底を這っているらしい。


「ところで……、あなたのお名前は何て言うのかしら?」


 彼女の手が一瞬止まり、おずおずと口を開いて教えてくれた。



「うちハ、ルチア、トヨバレテマスにゃ」と。

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