第二幕第一場:Come ti chiamano?(後編)
ミランダが帰った後も別段何事もなく、いつものごとく婆やは早い就寝のため自室に戻っていった。
そしてあたしも玄関広間の暖炉の前で、夜遅いお父様の帰宅を待ちながら、お気に入りの詩集との最後の別れを楽しんでいた。お夜食のチーズ挟んだパンをお供に。
「――『あなたは愛を信じますか?』か……。いきなりこんな言葉を投げかけられたら、誰しも戸惑うでしょうね。きっとあたしも……」
もし『愛のために死ぬことができますか?』と問われたら、あたしはハイと答えよう。愛する人のためならば、喜んでこの命を捧げるわ。
(もしくは逆に、『愛のために生きることができるの?』だったらどうかしら?)
そもそも、あたしは……。
愛というものを信じている……のだろうか?
心から、本当に……。
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物思いに耽っていたあたしは、突然のノックで我に返った。
こんな時間に誰かしら? まさか、前回のように人さらいが?
どうしよう、婆やはきっと寝てるし…。
油断していた所に、予期せぬ訪問者が現れたことで驚き、戸惑っていたあたしをよそに、再度ノック音がする。
えぇい、ここは一人でやってみるしかないわ!
あたしは覚悟を決めると、玄関扉のすぐ横の台に置いてある蝋燭台を右手に持ってから、ゆっくりと扉を開いてみた。
すると、そこにいた予期せぬ訪問者は、フードを深く被った黒い外套の男が一人だけだった。
あたしよりも頭一つ、二つは高い。
「夜分に恐れ入ります。私はグアルティエールという名の騎士です。こちらのお宅のお嬢さん、ジルダ様への言伝を携えて来ました」
彼の後方からブルっと言ういななきが聞こえてきた。馬でこの屋敷に乗りこんできたのかしら。
彼がフードを脱ぐと、そこに見知った顔を目にすることができた。
昨日、公園通りの馬上で見かけたシルバーグレイの髪をした騎手だった。
「先日はあなたを危険な目に会わせ、大変な失礼を致しました」といきなり深々と頭を下げた。そして言葉を続ける。
「あの後、マリー──いや、マリアンナからあなたの事を伺いました。
その彼女が慕う方に不本意とは言え、危うくお怪我をさせる所でした。ご容赦ください」と。
前回の記憶から、グアルティエールという名が偽りである事は分かっている。
ただ、前回遭った仮面の騎士様とは髪の色は違うけど、その振る舞いと佇まい、なによりも素敵なテノールの声はそっくりに思えた。
しかしだ。声に関しては、教会のナンパ師ともとても良く似ている。
彼らは兄弟か、血族なのだろうか?
あたしとマリアンナのようなケースもあるしね……。
「頭をお上げください。あたくしは怪我ひとつなく、この通り大丈夫ですので、どうかおきになさらないでくださいな」
そう言いながら、左手で右袖をめくり、色白の
ん? このリアクションは恋愛テクニックとしては、駄目だっけ?
「そ、そう……ですいか。怪我もなく無事なのであれば……、私の心も救われます」
案の定、彼の反応も思わしくなたった。
そこで、ちょっと意地悪をしたくなったあたしは。
「でも……、ほんの少し、ちょっぴりだけ、あたくしは怪我をしましたのよ……「なんと!? 何処を怪我されましたか!?」……あ」
『この心に恋の矢傷を負ったのです』と続けようとしていたのに、彼はいきなり言葉を被せてきた上、私の両二の腕を掴み、あたしの体を前後に揺らしてきた。
あぁ、これはこれで……ラッキーかも?
駄目だ、駄目、駄目!
こんな大事な局面で色恋に現を抜かすのは危険だと、自分の
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その後、あたしのちょっとした茶目っ気で生じた誤解を解いた後で、彼の用向きを真面目に聞くことにした。喋りだけは普段に戻したけどね。
なんでも彼はあの後、王都にあるマリアンナの実家まで彼女を届け、それから彼女の頼みを受け、狙われるあたしに警告しようと遥々王都から戻って来たらしい。
そして身に迫る危険を避けるためにも、明日にでも急いで街を出て、直ちに王都へ向かえと。
「うーん。ところで昨日の今日で、どうやってこの街と王都を往来できたの?」
彼の話を聞きながら、感じていた疑問を率直に尋ねてみた。
「川船を使えば半日足らずで往来が可能だ。逆に王都からも途中の難所以外は、船を使った方が早い。あとは替え馬を利用すれば一日で戻って来られる」
なるほどね。お金持ちならではの荒業とあたしは納得したわ。
「ところで、グアルティエールさん。貴方はグリュー辺境伯の、家中の方なのかしら?」
「なぜ……、グリュー卿だと?」
「確か、先代の当主様の名がグアルティエール様でしょう。
その名を語るという事は、家中の方なのかなぁと思っただけよ」
「………………」
あたしの言葉に彼は固まってしまった。
分かり易い人ね。きっと人に振り回されて、苦労をするタイプだ……。
「分かったわ。それ以上は詮索はしない。
でも約束して、グアルティエールの名は偽りであっても、マリアンナの味方なのは間違いないのよね?」
「あぁ、双剣の百合にかけて誓おう」
双剣の百合とはグリュー家の紋章を指しての事だろう。
「つまり『グリュー家の名誉にかけて誓う』と受け取るわよ?」
すると彼は深く頷いた。
「なら貴方の言葉を信じ、明日には街を離れるわ。できれば貴方が一緒に来てくれたら、本当に心強いのだけどね……」
「 私にはこの街で成さねばならぬ事がまだある。だがあとで必ず追いつこう。明日の夜まで、川下にある川辺の村ボルゲットで待っていてくれ」
覚悟を決めたような真剣な表情で彼はそう告げる。その意思を覆す事は難しいだろう。
「分かったわ。街の川下にある川辺の村で明日の夜まで待つのね。
あたしたちも気を付けるけど、貴方も……注意してね」
あたしの言葉に彼はしばし考え込み、そして口を開いた。
「もしもの時を考えて、念のためにコレをあなたに託しておこう」
そういうと、封蝋された書状と紙包みを渡された。
紙包みの中には、手のひら大の大きな水晶がある。
「書状は、ヴェローナ公爵とモンテローネ伯爵宛て……、それにこれは?」
「メモリア水晶という貴重な魔法水晶だ。それをこの書状と一緒に届けて欲しい。あとコレを身の証としてくれたまえ」
彼から装飾付きの短剣を渡された。
それには封蝋の印章と同じ紋章が刻まれていた。その紋章は、盾の中に交差する双剣とその刃の上に百合の花が描かれている。
あたしは理解した上で頷き、それを受け取った。
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そして彼は屋敷を去っていった。『お別れです。希望よ』という言葉を残して。
その馬に跨った彼の後ろ姿を見送りながら、あたしは呟く。
「ありがとう。また会いましょう。気高い魂よ」と。
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