第一幕第一場:歌の記憶(第二編)


 あたしたちの目的であるサンタクローチェ教会は、公都グランデフォルテッツァの中を東西に分断するように流れるチェレステ川沿いに佇んでいる。


 ここ何年かで修繕されて、小綺麗になったけど、昔と変わらずこじんまりとした可愛らしい姿が素敵だと思う。

 旧市街には他にも立派な教会が幾つかあるけれども、この数十人も入ればいっぱいになる、新市街に唯一の小さな教会があたしは好きだ。


 街外れにある我が家からそこまで歩いて行くには少し遠いけど、その道中にあるディヴェルティーティ公園通りでは、毎週日曜日になると沢山の屋台がやって来るので、あたしにはその道のりが決して苦では無かった。


 ただ……最近は膝の調子が良くない婆やには、ちょっと無理をさせて申し訳ないと思っている。

 そんなこんなで、今日も婆やと二人楽しく、手をつなぎながら教会までやって来たのだ。



 予想通り中では既に礼拝が始まっており、長椅子の席に空きは無く、後方で立っている人が十人ばかり居た。


 婆やには長椅子に座らせてあげたかったのに、お寝坊さんの自分がノンビリしていた為、二人して後ろで立ち続ける羽目になってしまった。


「ごめんね、婆や。あたしのせいで椅子に座れなくて」と、外套を脱ぎながら小声で耳打ちする。

「立ったままでも大丈夫ですよ。礼拝はもう半分終わっていますからね」


 婆やのその返事で、より一層申し訳なさに心が痛む。

 すると長椅子の最後尾列の端に座る男が、あたし達の方を向いて手招きしてきた。


 ちょっと屋内が暑いから、手で扇いでいるのかしら?

 それを無視して、前方で行われている礼拝の儀式に目をむける。


 でもあたしの意識は、周囲でヒソヒソ聞こえる小声の雑談の方に向いていた。何故ならば、この手の場たいくつなでは、ちょっとした暇を持て余したご婦人方やお年寄りが、ゴシップ混じりの世間話や噂話のご披露する絶好の機会なのだからだ。


 どこどこの旦那様がまた浮気をしているとか、さる両家のお嬢様が許嫁の弟に手を出しているとか、どこそこのご隠居様の侍女が身ごもった等々、世俗のドロドロとした人間模様が垣間見える。


 それはもう耳をダンボ状態にして、毎週楽しみに聞き入っていた。

 雨の日も、風の日も。たとえ雪が降ろうと、雷鳴が鳴り響こうとも。

 あたしはそれを楽しみに、礼拝には欠かさず通っている。


 箱入りニートの娘にとって、ここは世情に疎い自分と世間を繋ぐ唯一の架け橋的な場なのだ。だからお父様も渋々許してくれた。


 そして今、耳に入ってくる新しい世情は……、街で有名な商家の長男がライバル商家の一人娘と恋仲に落ちてるですって!?

 その続きがとてもとても気になったので、食い入るようにその小話に耳を傾けていると……。


 トントンと誰かがあたしの右肩を軽く叩く。


 無視して小話に集中していると、また右肩を軽く叩かれた。


「婆や、ちょっと今良いところなの」と小声で返す。


 するとまた右肩を軽く叩かれた。ちょっとしつこい!


 んー? 


 婆やはあたしの左にいるよねと、確認ために左を向く。

 確かにあたしの左腕に腕を絡めて、あたしにもたれ気味で立ったままウトウトと夢の旅路に歩みだしていた。


 これはどういう事だってよ! と右を向くと、さっきの長椅子で見た男が目の前にいた。


 あたしより頭一つ二つは背が高い。カールがかかった長い黒髪に整った顔立ちとダンディな細目の口髭の殿方。しかも何だか……イイ香りがする。

 そして彼の優し気な目元には、なぜか既視感があった。どこかで見た……ような?


「美しいお嬢さん、こんにちは。さっきのを無視するのはちょっと酷いな。

 それよりも隣のお祖母ちゃんが立ったままだと大変だろう? ボクが席を空けるから、こっちに座るといい」と軽い口調で話しかけてきた。


 意外にも親切な方だったらしい。 


』という形容詞を付けたところだけは評価できる。


 ただ……、その軽薄な感じが、私には鼻につく。

 とても、とてもだ。


「わざわざご親切に、ありがとうございます。てっきり先ほどは暑さを紛らわせるために、手で扇いでいるのかと思ってましたわ」と猫かぶり声で応えた。

「フッ、君は面白い娘だね。話に聞いた見た目麗しい深窓の令嬢という訳ではないのか」


 ん、ん?褒められているのかな? 

 それともひょっとして──、馬鹿にされているのかな?


 このモヤモヤした気持ちを、この場は一旦納めておこう。

 あたしは淑女、あたしは淑女、と自分に言い聞かせる。


 それから婆やを夢の旅から呼び戻して、長椅子の端の席に座ってもらった。


 これで一安心と、婆やのすぐ隣の壁際に立つあたし。 

 そして再び耳をダンボ状態にしてみた。


「…………………………………………」


 これは駄目だわ。どうやらこの距離だと、さっきの小話を聞くことはできないらしい。

 あたしの世情調査ルーチンワークという密かな楽しみが、本日終了とあいなった事で、軽く壁際で黄昏ていた。するとさっきの男が、小声であたしに話しかけてきたのだ。


「お連れは、君のお祖母さんかい? それともお母さん?」


 こっちに世間話を振るな!むしろ世情話を提供しろ!と心で思いつつも、作り笑顔で大人しゅくじょの対応を試みる。


「どちらも違うわ。婆やはあたしが赤子の頃から育ててくれた乳母よ。言うなれば、……二人目の母ってところかしら」

「つまり後妻、継母という事だね」

「…………………………………………」


 話が全く通じていない。

 あたしの説明が悪かったのかな?

 これにはムッとする。


「いいえ、違うわ。婆やは、あたしの大事なよ。後妻でも継母でも」と小声ながらも強い口調で釘を刺しておいた。

「あぁ、それは失礼した。心から謝るよ、目力が強い美しいお嬢さん」


 ちょっと目に殺気を込めたのだが、それでもあたしの美しさは損なわれないらしい。

 なんと罪作りな女だろうか。 

 でも謝罪はしない!


「今回だけは、許して差し上げるわ。でもお話はもうこれっきりにして下さいな」


 そう言って、あたしは素気無く前を向いた。

 少しの間、背後でもぞもぞする男の気配がしていたが、いつの間にか立ち去ったらしい。

 (少し変な人だったわね……)


 ・

 ・


 それからしばらくすると礼拝は無事に終わった。


「ん~~~~~っ」と、周りに邪魔にならない程度に背伸びする。


「お嬢様、では帰りに買い物をしましょうかねぇ。今日の夕食は何を所望で?」

「そうね。秋と言えば……、やはりカボチャは外せないわ」

「では今が旬の甘いピッコロカボチャで、トルッテリーニを作りましょうかねぇ」

「やった! 婆やが作るかぼちゃのトルテッリーニは一番好きよ!」

「はいはい、あとは馬肉焼いてポレンタ添えにしましょうかねぇ」

「あぁ~ん、それはあたしが太るからダメよダメ。それよりもアレよ。

 そう、野菜の煮込みスープがいいわ。今は黒キャベツが美味しい時期でしょ?」


 炭水化物の塊であるトルテッリーニに、アッサリした馬肉ステーキとトウモロコシを美味しく味付けし煮込んだポレンタ。

 もしこれに甘いデザート加えようものならば、間違いなくあたしは遠からず婆やと同じ恰幅の良い体型となるだろう。なんと恐ろしい罠かしら!

 故に今回は、野菜の煮込みスープで手を打つことにした。


 ちなみにこの世界は、西洋風料理が主流なようだ。そしてこの国で食される料理は、イタリアンぽいものが多い。


「では黒キャベツのリボリータにしましょうか。後はデザートに栗をペーストして、モンテ・ビアンコ・マローネを作りますかねぇ」

「そう来たかぁ。婆やの美味しい手料理は、何もない荒野でささやく悪魔の誘惑のようだわ!」

「ハイハイ、出口も空きましたし、行きましょうかねぇ」


 そして再び婆やと手を繋ぎながら、あたしたちは一緒に教会を出たのだ。

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