第一部第一幕:歌の記憶(第三編)


 いつもの礼拝と世情調査ルーチンワークが終わったので、あたしたちはそそくさと教会を後にしようとした。これからいつものように、婆やと二人で買い出しに向かうためだ。

 でもそんなあたしたちを引き留める声があった。


 その声の主は、丸眼鏡をかけた白髪交じりの茶髪オールバックに、気の良さそうな感じのオジサマだ。

 いつも礼拝でお世話になっている、このサンタクローチェ教会を取り仕切るトンベリオ司祭様である。


「ごきげんよう、司祭様。どうかされましたか?」

「あらあら、こんにちは。トンベリオ司祭様、今日も素晴らしいお話でしたねぇ」

「久しぶりだね、ジルダさんや。あぁ、ジョヴァンナさんも相変わらず元気そうで何よりですな」 


 ちなみにあたしは礼拝中に、司祭様のお話を聞いたことが今まで一度もない。

 おそらくいつも夢うつつになる婆やも、あたしと同じだと思う。

 

 それでも以前はあたしも、毎週日曜の礼拝以外でもこの教会に、あしげく通っていたものだ。

 その頃、この教会を長年仕切っていたジョアキーノ司祭様が、高齢のために勇退されるまでの話である。

 確かほんの数年前の事だったと思う。

 

 そして今の司祭様に代わってからは、寄付金や教会上層部からの支援金が増えたらしく、かつてはボロボロだったこの川辺の小さな教会も、今ではキレイで立派な建物となったのだ。


 「今日はお二人。特にジルダさんにお話し、お願いがあってね──」


 トンベリオ司祭様のお話と言うのは、この教会で定期的に行っている事前事業のお手伝いをして欲しいとの事だった。

 事前事業と一口で言っても様々だけど、司祭様が特に力を入れているのは、恵まれない子供への支援活動

らしい。今でも毎週のように炊き出しを行い、時には勉強を教え、定期的に子供たちのために何かしらのイベントを開催しているようだ。


 その為に人手、特に炊き出しなどでは女手が欲しいというのが、司祭様の本音なのだろう。

 それに子供たちに文字や算術を教えるとなると、それなりに知識と話術と指導力が必要なのである。

 あたしも昔、十代の頃に少しだけ携わっていたので、子供たちに教える大変さは理解していた。


 でもあたしは今回の話を即答でお断りした。

 司祭様のお話はありがたいし、申し訳ない気持ちもあるけれども、まず間違いなく許可がありないからだ。お父様も昔はさほど厳しくはなかった気がするけど、今では日曜の礼拝時のみしか、あたしは外出を許されていないからである。

 それについては不便な事もあるけれども、自由気ままな箱入りニート娘生活を満喫する上で大助かりなのが、あたしの本音だった。

 (ごめんなさいね。司祭様)



 それから教会横の小さな庭を横切る時、また例の男が現れたのだ。あたしの目の前に。

 あぁ、鬱陶しい。


「やあ! こんにちは、美しいお嬢さんとご婦人」


 改めてよくよく観察すると、コイツが身にまとう仕立ての良いお召し物がかなり高価なものだと、目ざとい私は理解した。


 なにせ両肩の大きな刺繍は、魔法銀糸をふんだんに使っているらしく、この陽の光の元ではキラキラと輝いている。なんと贅沢な。

 そして腰に帯びている短剣の柄には、強い魔力の輝きを放つ魔石がこれ見よがしに幾つも使っている。これはちょっとした屋敷が買えるのでは?


 きっとどこぞの名門貴族の子弟か、はたまた成り上がり豪商のボンボン息子あたりかしら。

 その鮮やかな出で立ちと、甘いマスクの伊達男ぶり、これでは年若い小娘の心の砦は簡単に陥落してしまうだろう。


 しかしながら生まれてこのかた難攻不落を誇る私の要塞は、決してこのような不貞な輩に乗り込まれることを許さないのだ。


「婆やのお知り合い?」とすっとぼける。

「いいえ、私の知り合いには、このような美丈夫はいませんねぇ」

「だそうよ。見知らぬ殿方。人違いではありませんか?」


「ハハハ、やはり君は楽しい人だ。さっき教会でお会いしたでしょうに。

 そちらのご婦人に席をお譲りした者ですよ」

「あらあら、これはご無礼を。その節は助かりましたよ。お若いのにご立派な方で」

「ソノセツハ ウチノバアヤガ オセワニ ナリマシタ。アリガト ネ」


 心が全くこもっていない礼は、せめてものちっぽけな反抗心の証だ。


「ハハハ、本当に面白い人だね。君は」


 何だかコイツ、やけに馴れ馴れしくない?再びあたしは、ムッとする。


「あらあら、お嬢様は人様とお話をする機会が滅多にありませんからねぇ。ちょっと照れているだけよねぇ?」


 いいえ、違うわ婆や。軽薄なコイツが気に入らないだけよ、と心の中で応えた。


 私が我慢をして大人しく押し黙っていると、コイツは大きく二度頷いてから、その後ろ手に持っていたものを差し出してきた。


「バラ……?」


 とてもいい香りの薄いピンクのバラ。あぁ、この香りはあたしの好きなダマスクローズに違いない……ちょっと幸せかも?

 (ええ、素敵なバラだしね)


「…………………………」


 しばしの沈黙。


 我にかえりよく考えてみれば、冬を目の前にした今の季節に、『』は存在するはずのない花束だった。


「魔法栽培された、もの……かしら?」


 確か季節外れの花は、とても高価なはずだ。ちょっと裕福な我が家でも、なかなか気軽に買えるものではない。

 普通の花と違って、それは魔法の温室で管理され、促成栽培されるものだからである。


 コイツは再び頷いて、自慢げに語りだした。


「あぁ、そうだよ。美しいお嬢さんには、いついかなる季節でもバラの花が似合うからさ」


 ここであたしの怒りで震える右拳を鎮めようと、まるでお辞儀するようにバラの花束を抱え込みながら上半身を折る。兎にも角にもコイツの一挙手一投足が鼻につくのだ。


 その様を見て、何を勘違いしたのか。コイツはあたしの耳元で言い放った。


「喜んでくれて僕は嬉しいよ。代わりに今夜、君の部屋にお礼を受け取りに行くからね……」


 だとぉ!?


 あたしには判る。


 確かに、あたしは行き遅れの生娘ウブだけど、今は二度目の人生だから判るのだ。


 コイツは危険なナンパ師なのだと。


 しかもフワフワとまるで腰が定まっていない。コイツはこの秋空を流れゆく、あの雲たちの申し子なのだろうか?


 でもしかし……、本能には逆らえない乙女の体があるのも事実だ。

 不本意ながらコイツが放つとてもイイ香りに惑わされ、何やら頭の芯から我が理性は痺れ麻痺し、最後には崩壊しそうになる。

 (でもちょっと素敵な人よね)


 イヤイヤイヤ。──これはバラの香りのせいでは?


 け、決して怖いもの見たさと、興味津々なあたしの知的好奇心からくるものではないと、念のためにココで断言しておく。



 これはそう、物語的な 不可 抗力プロット の結果なのだ。 ←大事なポイント


 これは致し方なし。よし、諦めよう。(あっさり


 ………………って、そうは行くかー!! 



「アッー!」ゴンッ


 まるで男の貞操を男に奪われるような悲鳴を上げつつ、渾身の頭突きを一閃。

 目からウロコならぬ、星が飛び出る様を我が身で実践してしまった。


 手塩をかけて私を育ててくれたお父様の愛と、あたしの心を形作ってくれた母の思い出は、この美しい花園を荒らそうする盗人を決して許さないだろう。


 そう、想いは力となり、娘に勇気を与えてくれるのだ。


 幸せになりなさいと。


 だから全力で拒否するの。


 結婚する時までは、清き乙女のままでありたいから!


 どこかのおとぎ話のような、など破廉恥極まりない!!


 そして痛む頭を押さえたコイツが、その場にうずくまるのを横目で確認しながら、あたしは身をひるがえして遁走する。


 もちろんバラの花束は、ちゃっかり頂いておいた。

 下心だらけのナンパ男は有罪だけど、花に罪は無いでしょう?

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