第一部
第一幕第一場:歌の記憶(第一編)
「お嬢様、もうすぐお昼ですよ!
早く起きて支度をなさって。 でないと日曜の礼拝に間に合いませんよ」
そう言いながら、部屋のカーテンを次々と開いていく。
眩しい朝日……ではなく、優しい陽光が部屋の中を照らしてくれている。
そしていつものように、婆やの声であたしは目覚めるのだ。
あたしはベッドの上で上半身を起こし、あくびをしながら両手を伸ばす。
ふと見上げると、紺のベルベット生地で出来た夜空が頭上にあった。
このお気に入りの天蓋付きベッドは、天井部分の内側に沢山の小さな宝石が装飾され、それらが星空を模しているのだ。
確かこれは十五歳の誕生日に、お父様から貰ったプレゼント。お父様は仕事が道化師なためか、ファッションについては少々アレだけど、これはなかなかのセンスだと私は認めている。
(本当に素敵な部屋ね)
「いつの日か、愛する人と一緒にこの星空を眺めたいな……」
ちょっとアンニュイ感を出して、自ら浸ってみる。
「ハイハイ、いつもの戯れ事はそこまでにして、目覚ましに顔を洗いましょうかねぇ」
婆やは大きな銀の洗面器に水差しから水を注ぎ、手慣れた様子で火の魔法を使う。
するとあっと言う間に冷たい水が暖かいお湯に変化した。
なんて便利な生活魔法だろうか。
自分も使ってみたいと婆やに一度せがんだけど、初歩的な魔法学理論を修めていない上に、属性適性が不明なので無理ですよ、と優しく断られたのだ。
確か八つの魔法属性があって、個人によって使える魔法の適性が異なるとか?
あと相克とか対立が何とかかんとか。うん、魔法について無学のあたしには分からないわ。
あれば便利な程度だから、自分は使えなくても良いかなと、一応は納得しておいた訳ですよ。
でも実は……、ちょっとだけ未練があったりする。
モコモコと泡立てた石鹸の泡で、自分の顔を優しくそっと撫でていく。
この白い柔肌は女にとって財産。だから当然の如く、毎日毎日丁寧に扱っている。
ですから殿方の皆々様には、その点をちゃんと理解して頂きたいものですね!
洗顔が終わると、柔らかい綿のタオルを受け取り、軽く優しくそっと叩くように顔の水滴を拭う。
「次は洗髪ね」
すると直ぐに婆やは追加の水を注ぎ、再び魔法で温めてお湯にしてくれた。
そしてそのお湯で、私の腰まである長い金髪を少しずつ、毛先から根本まで順に湿らせていく。
それから魔法の香料入りオイルと櫛を使って、今度は逆に根元から毛先まで丁寧にすいていった。
それが終わると、最後に少しぬるくなった湯で綺麗に髪をゆすぐ。
ハイ、これでおしまいっと。
するとどうでしょうか?
あたしの髪はほんのり甘い香りを放つ、サラサラの美しい髪に仕上がりました!
愛用の鏡で櫛を入れながら、これはもう同性の友人から羨ましがられる素敵美髪に間違いなしだと心の中で自負する。
ちなみにあたしには未だ友達がいない。
そうだ。
唯一、仲が良いと言えるのは──、ご近所の
それから婆やに協力してもらって髪を乾かした。
風の魔石と婆やの火魔法がドライヤー代わりの暖かい風を生むのだ。
なんて素晴らしいの!?
そして最後に、髪が邪魔にならないように、頭の後ろで結い上げる。
「これでいいかしら、後は自分でするから婆やも準備をして頂戴」
「ハイハイ、お召し物は出しておきますので、早く下にいらしてくださいねぇ」
「はぁ~い」
ちなみに婆やが用意してくれたのは、深い緑の長袖のロングドレスだ。
生地の素材は綿だけど、胸元の白いレースの網掛け紐を気に入っている。
ちょっと地味な見た目だけど、落ち着きがあって
それからあたしは暫くの間、鏡の前で色々なポーズを取って自身の映えを確認する。
もし変なところが有ったら大変だからね。もちろんファッション的な意味だけでなく、健康的な面からもよ?
(ウフッ、本当に綺麗よね)
なおこれも、お父様チョイスである。
そして仕度が終わると、部屋を出て婆やが待つ階下へと降りた。
お化粧?
夜会に出席する予定もないし、普段はそのような手間は、
もちろん夜会に出席した事も、今後する予定も全く無い。
べ、別にインドア派のあたしは、これで平気なんだからね!
何よりもこれは、あたしとお父様との
・
・
あたしは早足で、一階の広間まで降りる。
その途中の窓からは、黄と赤に染まりつつある庭の木々が見えていた。
先日から朝方は寒いなと感じていたけれど、いよいよ季節が変わるらしい。
広間にある古びた長椅子に腰をおろして、これはちょっと外套が欲しいかも~と考えていたところ。
丁度そこへ婆やがあたしの分の余所行き用外套を持って、奥の扉から出てきた。
そして互いの目線が交差すると。
「あらあら、素敵ね。お嬢様は今日もお綺麗ですよ」
「ふふっ、嬉しいわ。ありがとう。婆やも素敵よ」
「もう……、こんなお婆ちゃんにそんなお世辞を言っても駄目です。
それに褒めても、屋台での食べ歩きは許しませんよ!」
「あぁ~ん、そこは許してよ~。
たまには外の食事をしてみたいし、二人の方が楽しいでしょ?
それに朝食も昼食もとらないと、私は飢えて死んじゃうかも!?」
あたしは婆やに抱きついて、哀れな娘を演じるように懇願してみた。
「滅多に出歩かないお嬢様には、それくらいが丁度良いのですよ。
では急いで教会に行きましょうかねぇ。おしゃべりが過ぎては礼拝に遅れますよ」
「はぁ~い」
残念ながらあたしの拙い演技では、婆やの心を動かせなかったらしい。
まぁ、いつもの事ですけどね……。
婆やが差し出してくれたフード付きの外套を受け取ると、サッと羽織り、フードを深く被った。
これで私の美しい髪は隠れてしまうけど、外で
「そう言えば、お父様はいつも通り?」
「えぇ、いつも通りに朝早くから出られてますよ」
「いつもの装いで?」
「もちろん、いつも通りの装いでしたねぇ」
そう、何を隠そう……。
あたしのお父様は職業『
もちろん、あの派手な衣装と化粧がトレードマークだ。遠くから見ても一目でおかしな輩と分かるほど。
だがしかし、この古都を支配する公爵様に仕える宮廷道化師なので、実は高給取りなのである。
故に我が家は裕福な家庭であり、私は今日に至るまで
きっとこれからもこの生活は続くだろう。
何故ならば、あたしには甘々なのだ、お父様は。
敢えて例えるならば、苺のタルトケーキに生クリームとジャムをのせて、さらには貴重なエレジア砂糖をまぶすくらい激甘なお父様だ。
そんなちょっとエモいお父様が、あたしは大好きである──。
「お嬢様! いつまでもニヤニヤなさらないで、教会に急ぎますよ」
「あ……、はぁ~い。分かったわ、急ぎましょう急ぎましょう」
おそらくキモ可愛いかっただろうあたしの表情を、余所行きの能面モードに変える。
それから婆やの後に続いて、足早に屋敷を出た。
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