異世界オペラ転生~愛に生きる箱入り娘とエモい道化師の父~

ぷりんちぺ

幕前:母との思い出

 わたしは、自分が異世界転生した事に気づいた。


 今、この瞬間。頭の中に浮かび上がってくるもう一人の自分の記憶。

 前世の思い出が走馬灯のように一気に流れ、わたしの五感と心をかき乱していく──。



 物心がつくころには、わたしの家族は母だけだった。


 母は昼も夜も必死で働きながらも、わたしに沢山の愛情を注ぎ育ててくれた。

 中学生の頃、オペラ(歌劇)と出会い、それが大好きになったわたしは、母に音楽大学へ行きたいと正直に相談した。

 母はわたしの意思を尊重し、オペラ歌手になりたいという、今思えば無謀なわたしの夢を心から応援してくれたのだ。


 それからは母子揃っての二人三脚で頑張った。


 わたしは毎日毎夜の勉強を欠かさず続け、さらに少しでも学費の足しにと、新聞配りのアルバイトでお金を貯めた。

 母は新たに三つ目の仕事を始めて、休日も休まずに働き続けてくれた。

 そしてわたしの話を聞いた近所に住むピアノ教室の先生が、相場の十分の一という破格の月謝でピアノと声楽を教えてくれた。

 その甲斐もあってか、無事に名門の音楽大学に合格し、憧れのオペラ歌手への第一歩を踏み出す事ができたのだ──。



 しかしながら、本当に大変なのは入学してからだった。


 何故ならば、音楽を勉強するというのは兎角お金が掛かるのだ。

 学費以外にもレッスン代、楽譜代(一冊で十万円以上もする!)、衣装代、それにコンクール代と交通費、エトセトラ。

 奨学金制度はもちろん利用した。それでもなお足りないのだ。

 一にお金、二にお金。三四もお金で、五もお金という。裕福な家庭以外はお断りという、貧乏な母子家庭には厳しい世界なのである。



 でもわたしには夢があった。


 オペラ歌手として舞台にあがり、人の心を動かす歌を歌いたいと言う夢。


 それはわたしと母と、二人の挑戦でもあった。



 だから大学生になってからも新聞配達のバイトは変わらず続け、五十路の母もより一層働き、わたしを応援してくれた。

 そしてピアノの先生に何度も頭を下げ、在学中もレッスンに付き合ってもらった。

 そのお陰で、在籍中からポツリポツリと脇役ながらも、オペラの舞台に立つ事ができたのだ。


 オペラ「リゴレット」のマッダレーナ役、「ラ・ボエーム」のムゼッタ役、「椿姫」のフローラ役など。それらはわたしにとって思い出深く、貴重で大切な経験だった。

 そして大学を卒業したら、どこかの歌劇団に所属するか、フリーで経験を積むかと考えていた。


 そんな時、……わたしは、死んだ──。


 早朝の新聞配達の時、暴走し猛スピードを出す車に後ろからはねられ、わたしは即死したのである。

 母子二人で必死に目指した夢は、無慈悲にも、そこで潰え去ったのだ──。



 **********************



 そしてモノの見事に、テンプレ通りの事故死からの異世界へと転生である。


 今のあたしは前世と同じく、二十二年の年月を経ていた。


 自分で言うのもなんだけど、風呂上りに鏡を眺めるたびに惚れ惚れする美人さんなのだ。見た目麗しい金髪碧眼に、バサァっと長いまつ毛。ちなみに前世でもそこそこの顔立ちだったという自負が、かすかな記憶にはある。

 でも今生のあたしのほうが、圧倒的に美女なのである。

 しかも数年前の十代後半の頃は、今よりも凄いレベルの美少女だったらしい。なぜならば、あたしが街を歩けば求婚され、連日のようにお見合いの話が舞い込んでくるほどである。


 その辺は、いまいち過去の記憶がハッキリしないのよね。


 そのために心労のあまり父が倒れることもあった。

 その結果、百年に一人のレベルの金髪碧眼の美少女は、門を閉ざした屋敷に引きこもる事となった。

 なおこれは心配した父の意向であり、あくまでもあたしはそれに渋々のていで従っただけだった。


 そして齢二十二を数える今でも、あたしは清らかな乙女であり、未婚の美女である。

 幼い頃から父に溺愛され、ここまで育った箱入り娘だからしょうがない話だ。


 あとこの中世ファンタジー風の世界には、驚くべき魔法と魔法道具が日常的に見受けられた。


 もちろん冒険者に、巨人族や猫人族をはじめとする様々な異種族もいる。

 他にも吟遊詩人が歌う叙事詩や、書物に記された数々の民間伝承に登場する飛竜や人魚に世界樹の森があるという。はたまた東の果てにある大海で、一夜にして沈んでしまった伝説の竜人王国の島。またはあたしの住む王国の北辺と呼ばれる、一年中雪の冠を被っている山脈地帯を北に越えるとある大草原地帯。そこからさらに先へ行くと、永遠にとける事は無いと言われている不毛の大地とそこにそびえ立つ氷の塔と幽閉された美しき雪の姫君の伝説などなど。


 おとぎ話も含めると枚挙暇がないほど、この世界にはまだ見ぬ、不可思議な心躍るものが存在するらしい。


 しかしそんな異世界でも、やはり女性の初婚年齢は中世時代のように、十代後半から二十歳前後のようだ。


 、生物学的にも、魔法学的にも、社会制度的にも、物語的にも人生の落後者であり。まことに不本意ながら、二十二歳を過ぎたあたしは『箱入り娘いきおくれ』と言う存在だった。


 しかし待ってほしい。


 確かに今のあたしは、父子家庭の箱入り娘ニートではあるけれど、実はそこそこ裕福な家庭だったりする。つまり、歌や詩、踊りなどの芸術活動に没頭しても、決して誰にもはばかる事は無いのだ。

 むしろ父は率先して、あたしに協力してくれている節がある。これはこれで、結構幸せな人生なのではないかしら? 


 ありがとう! お父様、大好きよ!


 そして現世でのあたしに母は居なかった。

 父の話では産後の肥立ちが悪く、若くして亡くなったらしい。でもそれがかえって、あたしには都合が良かった。 何故ならば自分にとって母はただ一人だけなのだ。


 わたしの夢を応援し、共に励んだ前世の母との思い出だけだ。

 だからあたしに、母は必要無い。


 そのおぼろげな記憶を頼りに、母の似顔絵を描いてみたけれども、涙が出るばかりで上手く書けない。

 それから夜遅くまで、何十枚も紙を無駄にした挙句。あたしはふてくされるように、自分のお気に入りの住処である天蓋付きベッドに飛び込んだ。


 母を思い出すたびに、涙がとめどなく溢れてくる……。


 たとえ不慮の事故死だったとしても、二人して頑張ってきた愛娘が突然死んだ時、母の気持ちは?

 一人残された母は、その後どうなったのだろう? 

 日々、泣き暮らしているの? 

 ちゃんとご飯は食べている? 

 その後の母の事がとても心配だ。


 わたしの事を忘れて欲しくはない、という気持ちなど無いと言えばウソになる。

 でも一日も早く、娘が亡くなった事実を受け入れ、新たな人生を歩み、幸せになって欲しいとも思う。


 自ら望んだ結末でないにしろ。

 結果的にあたしは、親不孝の娘なのだから。



「ごめんね、お母さん──」

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