11話 掌上の愚者

転移門ゲートを通った先は見覚えのあるちんまりとしたスペース。エルバートが探索の際にやって来た場所だった。


「っ、くそ!」


転移して来るや否やエルバートはその場で神経を集中させ、体表にマナを纏い始める。


「まっじで意味わかんないんだけど!!」


アウラはエルバートの様子に気づくことなく行き場を失ったストレスを声にして放出する。

言ってもどうしようもない、事態が好転するわけでもない。ただ、大人しくしてはいられない、そんな感情。


「ああもう! で、こっからどうすんの? 外に出れない、先生とも連絡がつかない、じっとしてても死ぬかもしれない……正直完っ全に詰んでるけど」


言いながらようやくエルバートの姿を視界に収める。


「何してんの……?」


「助けに行く」


「っ、あんた馬鹿なの!? あいつがあれだけやってあたしたちのこと逃がしたのよ!! 行ってもできることなんか――」


「これは僕の決断だ。アウラは来なくていい」


エルバートはきっぱりと言い切った。


「確かに行ってもできることはないかもしれない、死人が増えるだけかもしれない。でも、もうそれは僕が行かない理由にならないんだ」


「そこまでして無駄死にしたいってわけ!? あいつの気持ちを少しは汲んでやりなさいよ!」


と、不意に二人の間に影が差した。


「……えっ?」


ともすればただの吐息のような声がアウラから漏れる。


影の差していた場所に、血だらけのバルドの体が降ってきたのだ。

まだ息はあるようだがぱっと見てわかる通り相当なダメージを負っている。すぐに処置を施さなければ死に至るだろう。


「鬼ごっこの次はかくれんぼかよ……まあ、はもうねえけどな」


いつの間にそこにいたのか、アウラの後ろに魔人種の青年が立っていた。


エルバートは逆転の手を準備していたようだが、まだしばらく時間がかかるだろう。すぐにどうこうすることはできない。


「アウラ! 逃げて!」


「は……この状況で? どこに? 逃げ場なんて、最初からどこにもなかったのよ」


気の抜けた声。あまりに絶望的な状況に精神がいかれてしまったのかと思われたが、そうではなかった。


「あと何秒? ……ちょっとくらい稼いであげるわよ、あたしも」


「……一分」


「余裕過ぎ、笑わせんなっての」


青年は侮蔑を滲ませた瞳でこちらを見つめ、首の骨を一度鳴らした。


「遊びはもう終い、サービスタイムも終わりだ」


「はっ、露出狂の変態が、うざ」


二人は睨み合ったまま互いの動き出しを待つ。


格上相手に無謀な攻めは意味を成さない。基本的に何をしても負ける可能性は高いが、無闇に突っ込むことほど愚かな選択はない。

中でも唯一勝機を見出せるのはカウンター、予想の外から攻めるというこの選択のみと言っても過言ではない。


そして二人は同時に動いた。


ほんの一瞬、瞬きのうちの出来事。何が起こったのか正確に把握しているのは魔人種の青年以外にこの場にいないだろう。


「がっ!?」


青年の手がアウラの首を掴んで持ち上げていた。


「まずはひとり――」


「ざっ、けんな……!!」


叫びとともにアウラの体を炎が包む。表面温度が急激に上昇する。しかしそれで青年の手が離れることはない。今もなおアウラの首には途方のない圧迫感が襲い掛かっていた。


「……ぐっ、《炎反鏡フル・スペーク》……!!!!」


アウラがそれを唱えると、青年の顔の前に炎を纏う円鏡が現れる。


「あ? ……っ!」


青年は意味が分からず鏡を見つめていたが、不意にアウラを掴んでいた手に力を込める。だがその手に首をへし折る感覚は返ってこない。それどころかいつからか首を掴んでいたという感覚すら消失していた。


鏡はやがて自壊し、その先にいたアウラの姿は消えていた。


「くっだらねえ……ここにきてつまんねえ暗示に引っ掛かんのかよ」


推測の域を出ないが、あの円鏡には何がしかの認識を入れ替える心理作用があったらしい。例えば、「手を握るという動作は手を開くという動作である」と言ったように。


しかし円鏡がすぐに自壊したところを見ると、練度の高い技術でもなく強制力や誘導力もそれほど高くないように思える。それにかかったということはある程度の慢心が青年にあったということ。

逆を言えば慢心のない魔人種にこの手は通用しない。


「遊びは終いとか、言ってなかったっけ……?」


アウラの声が青年の背後から聞こえてくる。


「吠えんなよ、雑魚の自己紹介にしか聞こえねえ」


「うっざ……」


顔をしかめつつ手形の残る首元を数回さする。


「まだあと三〇秒やそこら、万が一はねえ」


青年はそう言ってアウラに手を伸ばす。そして周囲の魔素が同時に励起する。


「……悪いけど、それはし」


意味深な言葉とともにアウラも青年に向かって手を伸ばす。


まるで鏡合わせのようだった。

二人はそれを同時に唱える。


「「《爆裂破塵フラグ・イグニス》」」


声はきれいに重なった。


青年の眉が微かに上がり、両者の間で大規模な爆発が起こった。

分厚い壁に覆われている部分だったためか、崩落が起きることはなかったが強烈な爆風と地響きが魔窟を襲った。


「っ!? アウラ!」


青年の背後にいたのが幸いしたのか、エルバートの方向にはさほど爆風もいかなかったらしく、反射的に安否を確認する声が上がる。

しかし、青年の背後に爆風がいかなかったということはほぼ全ての力がアウラに飛んでいったということだ。


「おいおい……まじかこいつ。当然火力は話になんねえが、魔法式の組み立ては完璧……」


先ほどのアウラの発言、そして青年の言葉で確信に至る。アウラは青年の魔法を見ただけで完璧にトレースしてのけたのだ。


薄れゆく粉塵の向こう、アウラはいまだにそこに立ち続けていた。左手で掴む右腕は断続的に痙攣を繰り返している。視界は霞んでおり、膝はがくがくと震えていてまともに立っているのが不思議なほど。


「は、ははっ……人間にパクられるとか、魔人種も大したこと、ないじゃん……」


「……面白えよ、お前」


青年は「遊びは終わりだ」と言っていたが、すでにそこには排除するという目的はなくなっていた。残っているのは純粋な興味。


「もっと見せてみろよ、お前の力」


言葉に、満身創痍のアウラは口元を緩ませる。


「……時間切れだっての、バーカ」


「あん?」


訝し気な声を上げると、青年の背後でエルバートのマナが大量に放出される。


「……あぁ、忘れてたわ、お前」


驚くほど冷めた瞳がエルバートを振り返る。無関心、アウラという新たな玩具を取り上げられた子どもの表情だ。


「サポートしか能がねえてめえに何ができんだよ」


「お前をここから消し飛ばす」


時が止まったと錯覚するほどの完全な静寂が一瞬流れる。


「……くっ、っはははは――!!」


そして青年の大きな笑い声によってそれは破られた。


「大口叩くのも大概にしろよ、てめえみてえなちんちくりんにできるわけねえだろうが……」


続く言葉は先ほどの笑い声とは打って変わって重く低い声だった。


だが、エルバートはドスの利いた声にひるむことなく青年に照準を合わせる。


「《無窮大転移》」


唱えると同時、青年を白く輝く膜が包む。


「シャボン玉かよ……こんなもん――」


言いながら青年がゆっくりと膜に触れる。瞬間、膜は急激に収縮を始める。


「がッ――!?」


小気味のいい音を立てながらマナの檻が砕け散り、青年の動きを封じるほどに膜は内に縮んでいく。


「ああ……なるほどな、こいつが奥の手かよ。確かに食らったらやべえかもしれねえ。けど、足りてねえよ、力が」


封じられた両の腕を無理やり動かすと、内側から膜が押し広げられていく。


「言われなくても、そんなことはわかってる。じゃここが限界だからね……!」


と、エルバートの体と青年を包む膜に黒が混じっていく。完全に混じることはなく、マーブル模様のように両者を包んでいった。


それに伴い青年を包む膜の収縮する力が格段に上昇する。


「お、前……!!」


「これが、だよ……!!」


初めて見る青年の歪んだ表情。


「人間風情が……舐めんじゃ、ねェ!!!!」


ぎりぎりと音を立てながらマーブル模様の膜を外に追いやろうとするが、軋むのは青年の体躯だけであり、膜は一向に外に出ていこうとしない。


「舐めるなは、こっちのセリフだ!!」


エルバートは言って、最後の一押しとばかりに開いていた手を勢いよく握り込んだ。


「ぐっ!? て、めえ――」


直後、マーブル模様の膜は青年の体ごと一気に飲み込み、あっという間に点になって消失した。


「……すご」


アウラが感嘆の声を漏らすと同時、青年が消えていく様を見送ったエルバートの体は前に倒れる。その表情は苦痛に歪んでいた。


「ちょっ、し、しっかりしなさいよ!」


アウラも負けず劣らず満身創痍だったが、目の前の脅威が消えたことで一時的に感覚が麻痺しているのか、多少ふらつきながらもエルバートのもとに駆け寄ってくる。


「……そ、れより……バルドを……」


絞り出すような声で伝えつつ、その腕をバルドに向かって精一杯伸ばす。


確かにこの場で最も重傷なのはバルドに違いない、命の危険があるバルドを先に救助しようとするのは当然の判断だ。


そしてエルバートの手がバルドに――




「はい、お疲れさま~」




――届く、というところで少女の声が聞こえた。アウラとは明らかに違う声質。


二人は揃って声のほうに顔を向ける。

そこにいたのは、青年と同じく薄着の少女。背後には細長い何かがゆらゆらと揺れていた。




△ ▼ △ ▼ △




現在時刻は一〇時五〇分。

一二時まで少し時間があるが、魔窟の外にはすでにBクラスのほぼ全生徒が集まっていた。


どこもかしこも肩で息をしていたり、地べたに大の字になって転がっていたりと相当な疲労が溜まっていることが窺える。


と、そこでIチームの三人が突然その場に戻ってくる。


「――っ!?」


ディート、カミラ、スヴェンの三人は即座に周囲を見回す。ただ事ではない様相、殺気とまではいかないがあたりに構わずプレッシャーを放出し続けている。


飲み込み切れていない状況に、ヘインがひとつ手を叩いて視線を誘導する。


「お疲れ様です。とりあえず、もう危険はないので全員が戻るまで休んでいてください。詳しいことは揃ってから説明します」


当然それだけの言葉で納得するはずはなかったが、それよりもこれ以上緊張の糸を張っていなくてもいいという安堵が勝つ。

三人はすぐにその場に腰を下ろした。


「……なん、だったんだ。あの男……」


ディートが誰に言うでもなく呟く。


「まち、間違いなく、ま……魔人、魔人種……ど、どこ、どこを切り取っても、魔人種、って、結論しか、で、出ない」


吃りながら言うのはスヴェン。

そしてそれを補足するようにカミラが続ける。


「……人間とは異なる衣服、多量のマナ、圧倒的な力……それに尻尾。確かにどこを切り取っても魔人種の特徴に合致する……」


「……意味が分からん、なんだってこんな――」


考えてもわかることではないと知りながら、それでもなんとか答えを得ようと額に手を当てる。

そこでディートの視線が自らの腕に向いた。


「は……治ってる……?」


その発言にスヴェンとカミラも自らの体を確認する。


「ほ、ほ、本当、だ……な、なな、なんで……?」


魔窟の外に現れた瞬間から三人の体に傷なんてものは何ひとつ存在していなかったが、どうやら中にいる間に確かな怪我を負っていたらしい。


不審に思い改めて思考に浸ろうとするも、それは中断される。

Jチームの三人がこの場に戻ってきたからだ。


「――な、んだ……!?」


「――ふっざけ、んなッ! って……はあ?」


エルバートとアウラはそれぞれ反応を示し、バルドはそこに倒れたままの状態で現れる。

だが、三人の体には何ひとつとして傷は残っていなかった。アウラの首にあった痣も消えており、バルドの裂傷もきれいさっぱりなくなっている。


「はい、お疲れ様です。これで全員揃いましたね」


先ほどと同じようにヘインが手を叩いて視線を集める。


「それでは、説明の前に二人に登場してもらいましょうか」


ヘインがそう言って手で示すと、そこにはいつの間にか魔人種の青年と少女が立っていた。


「……チッ。まじ、最悪」


全てを悟ったアウラはこぼしつつ脱力し、その場に座り込む。


その隣で、青年とエルバートの視線が交差する。

最初に見た時と同じ、余裕を感じさせる挑発的な眼差しだった。


「……魔人種」


呟いたエルバートもアウラに倣うように体から力を抜いた。

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