10話 追憶メランコリー

「もう逃げらんねえな、おい」


それは死刑宣告。もうあと十数秒もすれば死んでいるという、ほぼ確定した未来。


「っ、転移魔法! どこでもいいから早く!!」


どうしようもない状況にアウラの声に苛立ちが混じる。


「わかってるけど、座標が確定できない……! 多分あいつが纏ってるマナの密度が高すぎるせいだ」


「不可視の檻ってとこか、てめえらに見えてる以上に逃げ場はねえのよ」


目の前の悪魔が言う。

蚊の一匹すら通さない、見えない檻に包まれているということ。それは超常的現象を謳う魔法という手段を以ってしても脱出に至ることはできないのだと。


転移魔法には二つの弱点が存在する。

ひとつはある境界から座標がズレている場合。もうひとつは特殊な絶縁障壁などによってマナの通り道を塞がれている場合。


魔窟によって座標が狂わされ、魔人種のマナによってこちらのマナが通れなくなっている。


「――なんだよ、じゃあ壊せばいいわけか」


「あ?」


妙に落ち着いたバルドの声が青年に向けられた。


「檻っつってんだから壊せば通れるだろうが」


「やれんならやってみろよ、あっさり終わってもつまんねえしちっとくれえ遊んでやるよ」


バルドは肩を回しながら一歩前に出る。


「……、俺が風穴開けっから、一瞬で転移門ゲート開いて二人で飛べ」


そこには言葉では言い表せない覚悟があった。


「……二人で?」


「そう言っただろうが。仮に転移門ゲートが開けてもこいつが全員見逃すようなタマかよ。甘い考えは捨てろ」


甘い考え、確かにそれはそうなのかもしれない。青年はいつでも殺せるのに実行に移そうとしていないだけ。その気になれば瞬きのうちに全員死ぬだろう。


だがそんな流れをまるっきり無視し、押し黙っていたアウラがバルドの前に立つ。


「ゴリラのクセにかっこつけんのやめてよ。そもそも、こいつの狙いはあたしだし」


「お前の意見なんざ聞いてやるか。邪魔だ、どけ」


「どかない、自分の尻拭いくらい自分でやるに決まってるでしょ」


どちらも引く気がない様子、膠着した状況に青年は大きなあくびを見せる。


「……どっちでもいいからよ、さっさとしてくれ。さくっと終わってもつまんねえから遊んでやるっつったんだ、このまま退屈が続くんならぶっ殺して終いにするぞ」


このままでは全滅必至。意見をまとめなければ賭けすらできずに幕が引いてしまう。


するとバルドが左手で自らの右肩を強く掴んだ。肉体強化、徐々に右腕が白い光を纏っていく。


「どけよ」


「っ、どかないって言って――」


右腕が放つ輝きが白から黄色に変化していく。

同時に、大気中の魔素が震え上がる。完全に青年の支配下にあった魔素がバルドのもとに集まってきているのだ。


「どけ」


「……死んだら、殺すから」


「はっ、上等」


どうにか方針が固まり、アウラはエルバートの隣に戻っていく。


「……」


「頼んだぜ、親友」


「親友になったつもりなんてないけど……わかったよ」


「そこはなったことにしとけっての」


「嫌だ」


エルバートはきっぱりと否定し、目の前の背に続ける。


「――だから、だ」


「……おう」


眠そうにしている青年が頭を掻きながら口を開く。


「もういいな?」


「ああ、待たせて悪い。俺が相手だ」


「じゃ、どっからでもかかって来いよ、坊主」


「言われるまでも、ねえッ!!」


言って、バルドが青年に向かって飛び出す。振りかぶる腕が携えている黄色の光は、燃え移る火のようにバルドの全身を包み込んでいく。


「《第一識閾ゼイル・ラート》!!!!」


青年の一歩手前、不可視の檻を破壊するように殴りつける。檻――青年の高密度のマナとバルドの拳が衝突し、鈍い音が響いた。


「うぉおおおお!!」


そのまま檻を貫くか、と思われたが拳はそれ以上青年に近づくことなく拮抗する。


「肉体の制限を無理やり引き上げたのか、やるじゃねえか。けどそりゃ人間にしてはってとこだ、力に強度が追い付いてねえ。内から砕けるぞ」


「っ、知るか!! この程度で砕けるなら砕けりゃいい!! 俺はお前に……魔人種に負けるわけにいかねえんだよッ!!!!」


ビキ、ビキビキッ、ブチッ。


筋繊維が悲鳴を上げて千切れる。腕には数えきれない裂傷が現れるが血が噴き出ることはない。それほどまでに繊維が限界を超えて収縮しているのだ。


パキ……。


続いて何かにひびが入る音がした。


「あ?」


パキパキパキッ。


音は連鎖する。

よく見ると、バルドと青年の間――空間にひびが入っていた。


「はっ……ちんちくりんの補助か」


エルバートがバルドに補助をかけていたのだ。


空間のひびはどんどん広がっていき、バルドの腕にあった無数の裂傷は反対にどんどん塞がっていく。補助と同時に回復も施しているようだ。


「ぐっ、く……! 人間を、舐めんじゃねえぞ……!!」


「俺に届いてから吠えろよ」


バルドを纏う黄色の光にわずかに赤みが混じり始める。


「うぐぅっ!! が、くっそ……!! わ、悪りぃ――」


苦悶に歪むバルドの顔が一瞬振り返った。


「――死ぬわ。あと頼んだ」


「バル――」


纏う光が急激に強まり、体内から一気に放出される。直視できないほどの輝き、美しい橙色。




「――《第二識閾ディエ・ラート》……!!!!」




バギンッ!


直後、一瞬にして檻が砕け散った。

そしてバルドの拳が青年の胸に伸びる。


「行け!!!!」


体の芯に響くような魂の叫び。


身命を賭したこの懇願を無視する権利など、誰も持ち合わせていない。

だがそれでもエルバートの体はすぐに動かなかった。


「何してんの!! 早くしなさいよ!!」


怒号とともに揺さぶられ、そこでようやく冷静な頭が戻ってくる。


「っ!!」


そして慌ただしく展開された転移門ゲートはきっちり出現し、二人は即座に飛び込んだ。


ぎりぎりに振り返ったエルバートの目には、倒れていくバルドが映っていた。




△ ▼ △ ▼ △




弱え。


何もかもが足りてねえ。




昔は魔法を使えない人間のほうが数が多かったらしいが、今は逆。大多数を魔法使いが占めてる。それは新しく生まれてくる子どもも同じことだ。魔法の才を持たない子どもは少数派とされ、非魔法使いフラッジと呼称される。対して魔法使いフォルテと呼ばれる俺らは、小さなころから大人にこう言われて育つ。


「強さとは弱きを助ける力、決して驕るな。人間という種族の上にその強さはあるのだ」


詳しいことは聞いていないが、人間は弱かったが故に魔法という武器を手にすることができたらしい。

だから決して非魔法使いフラッジを卑下するな。お前の力はお前だけのおかげで手にしているわけではない、と。


俺は今思う。



俺には魔法の才があった。いや、才と言えるほど大層なものではない。ただ素質だけがあった。

第九位階フリット、魔法使いの階級のうち最も低く、俺が位置しているものがこれだ。認定基準は一定以上のマナ、および魔力を有しているか。言い換えるのであれば、「単に魔法の行使が可能」かどうか。

第八位階ダームに上がるためには保有マナ、および魔力を用いて一定範囲以上の魔素にあらゆる影響を与えることが条件。噛み砕くと、各種基礎魔法の行使が可能かどうか。


第八位階ダーム第九位階フリットの間にそれほど大きな壁はない。魔法を扱うことができる、ということは大体の場合が第八位階ダーム以上であるということ指す。


だが俺は第九位階フリット止まり、基礎魔法すら満足に使えない落ちこぼれが俺だ。

当時はそれなりに落ち込んだこともあったが、別にそれでもよかった。


「お兄ちゃん」


ああ、こんな時だっていうのに幻聴が聞こえてくる。いや、こんな時だからこそ、なのかもしれない。


俺には三つ下の妹がいた。

エレナ・グリス、それが妹の名前。


エレナは俺と違って魔法の才に恵まれていた。まさしく天才、俺たちが暮らしていた田舎では間違いなく一番優秀な魔法使いだった。子どもの中ではもちろん、大人を含めてもエレナ以上の魔法使いを俺は見たことがない。




ある日、村の子どもがエレナに言った。


「やっぱりエレナちゃんはすごいね! 魔人種みたい!」


そこに悪意はなかった。

魔人種は人間の枠を超えた上位の存在だ、純粋な賛辞。


だから俺はその子どもを責めるつもりはない。


だが仮に賛辞の言葉であったとしても、前後の詳細を省いた“言葉”だけがひとり歩きするというのは珍しい話ではない。それを耳にした大人は冗談半分で言った。


「怒らせると食べられちゃうかもしれないね」


そんなはずはない。わかっている、冗談だ。

だがそれは言った側がそう思っているだけの話。中にはそれを聞いて本気にする子どもも少なからずいた。


先入観、思い込みというものには現実を塗り替えるだけの力がある。

冗談が本当のこととして子どもに伝わり、子どもの本気の叫びを大人が信じ込むというサイクル。


外に出れば誰も近寄らなくなり、家にいても嫌がらせがやまない日はなかった。両親の仲も険悪になっていき、笑顔なんてものは消え失せる。


だがしかし、笑い方すら忘れかけていたある日、エレナは眩しいほどの笑顔を携えて家族の前に現れた。


肩身の狭い暮らしを強要され、両親はもちろん俺もつらかったが、最もつらかったのは当然エレナだ。そのエレナに笑顔が戻った。最初は少し驚いたが素直に喜んだ。


しかし、エレナの様子がどこかおかしい。


普通の会話をしているはずなのに、突然わけがわからなくなったように首をかしげてみたり、自分の話を他人事のように話したりしているのだ。

その原因は何なのか、何故そうなったのか、それはすぐにわかった。


つらかった時の記憶が、現在進行形でどんどん抜け落ちていっているのだ。心無い言葉を浴びせられた記憶、家に響く両親の怒鳴り声など、自分に悪影響を及ぼす記憶を消去し、自分を俯瞰で見ることで心へのダメージを軽減させようとした結果だった。

だが、記憶の消去はきれいに行われるわけではない。関係のない前後の記憶もごっそり持っていかれる。




それから数年経ち、妙な噂や嫌がらせがようやく落ち着く。

しかしそれで何もかも元通りにはならない。エレナの記憶は今でも消えていくばかりで、魔法の使い方すら忘れてしまった。


「どうしてこんなことに……エレナは人類の希望になれる存在だったのに……」


親父がそう言って涙している姿を何度も見た。




だから思ったんだ。

ふざけんじゃねえ、って。


弱きを助けろ?

ああ、そりゃ言われなくてもそうするさ。


けど、だったら強きを助けるルールがねえのはおかしいだろうが。


こっちに驕るなって言うなら向こうにも僻むなって言え。

互いを思いやれねえなら共存なんざ不可能だ。




俺は弱え。

エレナに比べたら何もかも足りてねえ。使える魔法は肉体強化の魔法しかねえし、頭も良くねえ。


けど、それでも、俺には天才と呼ばれた魔法使いと同じ血が流れてる。


魔人種?


……上等だよ、俺が全員ぶっ飛ばして終わりだ。魔人種なんてもんが世界に蔓延ってるから悪りぃんだ。


お前はもうこれ以上、何も失う必要ねえよ。エレナ。


見ててくれ。




▲ ▽ ▲ ▽ ▲




「あがっ、ぐぅぉおおお――!!!!」


砕け散った檻の向こう、青年の胸にバルドの拳がようやく届く。

途方のない衝撃に魔窟全体が揺れているような錯覚すらあった。


「……」


だが青年にはまるでダメージが入っていないように見える。蚊が止まったかのような反応。


「それが、てめえの全力かよ」


言葉が引き金になったように、バルドの右腕から一斉に血が噴き出した。


「く、っそが……!!」


ぷるぷると痙攣を繰り返す腕。纏っていた橙色の光は溶けるように消滅する。


「よくやったほうだと思うぜ、俺はな。けど、それじゃ


折れる。

全てが、バルド・グリスという人間を形成している全てが折れた。


一体何のために今まで研鑽を積んできたのか。それは今この時、魔人種を打倒するために他ならない。だがそれでも何もかもがまるで足りていなかった。


種族の壁はそれほどまでに高く険しい。


力の抜けたバルドの体はゆっくりと、後ろ向きに倒れていく。


「は……ははっ――」


天井を見つめるバルドの瞳には微かな輝きがあった。


「遺言は?」


「…………ん、な……」


「あ?」


何事か口走ったバルドであったが、言葉は正確に聞き取れない。


「……ごめん、な。エレナ」


「……」


今度こそ聞き取れた言葉に青年は一度目を伏せる。そしてバルドの心臓にその指を向ける。


「眠気覚ましにはなった」


間もなく、バルドの視界は完全な闇に支配された。

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