5話 挑戦状

「あ、ミラーナさん。今いいですか?」


廊下を歩いていたミラーナの背に声がかけられる。振り返った先にいたのはヘインだった。


「んぁ、まー……いーすけど。何すか?」


「ちょっと仕込みを手伝ってもらいたくて……」


「あー……例のアレすか、いつもより早いすね。今日はちょいあれなんで、明日でもいーすか?」


「はい、いつでも時間のある時で大丈夫です」


「らじゃっす。したらいータイミングで声かけるんでおなしゃす」


単なる業務連絡、そのまま別れて元の仕事に戻るのが通常の流れだったがミラーナはそこであることに思い至る。


「そいえば、Bクラスの担当すよね」


「えっ? あ、ああ、はい、そうですけど」


「大変すね、今回は難しい子がいるみたいで」


思ってもいない切り口の話題にヘインは一瞬で思考を巡らせる。その言葉が出てくるのは一体何が理由なのか、そしてひとつの答えに思い当たる。


「……もしかして、誰かと接触しました?」


「ま、軽くすね。けっこう大袈裟に誘導したんすけど、余計なことだったらすんません」


「いえ、それについてはわざわざ手間をかけさせてすみません。本当だったらそういうケアまで私ができなきゃいけないんですけど……」


「立場上言えないこともあるんで、あれっすけどねー」


教師と生徒という関係上、あまり踏み込みすぎるのもよろしくない。かといって放置していればいいわけでもない。そのあたりの塩梅は教師の裁量に任されるわけだが、ラインを見誤ると教師が手を出すことのできる範囲を逸脱してしまうのだ。


「根気強く付き合えば、多分化けるんじゃないすか? あーいうのって割と何でもないことがきっかけになるんで」


「そう、ですね……」


個人の名前こそ出さないが、それが誰を指しているのかはヘインにもわかっている様子だった。


「あ、もしも悪化してたらまじすんません。あーしのせいなんでそれ込みで評価してあげてください」


「あ、あはは……まあその時は詳しい状況だけ聞かせてもらいます」


「うへー、黙秘権使えるすか?」


「いやぁ、多分無理ですね。そんな言えないことしたんですか?」


「クビかもしんないすねー」


一度それを隠そうとしたが、ヘインの顔は明らかに引きつっていた。


「……」


「割と荒療治すけど、まあ間違ったことはしてないと思ってるんで、それでクビなら別にそれでもいーすね」


ミラーナのその言葉にヘインの表情は一瞬で元の形を取り戻す。


「……重ねたんですか?」


「あー……誰かに聞いたんすか? 野暮っすねー、そういうの聞かないのがいー男の条件すよ。てか、荒療治はお互い様じゃないすか。あーしのこと言えないっしょ」


「す、すみません」


「いーすけど。んじゃ、あーしはこっちなんで。お疲れした」


丁字路にぶつかったところでミラーナがそう言う。


「はい、お疲れ様でした」


そしてヘインもミラーナが行った方向とは逆の方向に進んでいった。




▽ ▼ ▽ ▼ ▽




翌日、教室にわずかな変化があった。

普段はヘインが来るまで賑やかな会話が飛び交っているが、今日はひそひそという話し声があちらこちらからしている。


「……ちょい、便所行かね?」


「別に行きたくないし行かない」


窓際の一番後ろ、Jチームが指定されている席で居心地悪そうにしているバルドがそう提案するがにべもなく断られる。


「いいから来いって」


「やだって」


「頑固かよ……むちゃくちゃ気まずくね?」


教室に現れた変化というのはひそひそ声もそうだが、その原因といったほうが正しい。後ろに掲示されている名簿だ。


もともとチームのアルファベット順に並んでいたが、昨日の模擬戦を踏まえて早速順位付けされ並び替えられている。IチームとJチームは不動で下位に並んでおり、トップは上からCチーム、Eチーム、Bチーム……となっていた。


「こうなることは昨日のうちからわかってたし、気まずいからって逃げても得がない。ゴシップっていうか、僕らみたいな共通の敵をいじるのって人間の性みたいなところあるししょうがないよ。個人的には普段よりうるさくないから助かるけど」


「達観しすぎだろ……つか、あいつ来んの遅くね」


見るとアウラがいるべき席は空席になっている。


「寝坊かな」


「呑気か」


「どっちにしろ模擬戦が理由じゃないと思うし、そこまで興味もないけど。むしろ来ないなら来ないで好都合だよ」


「なんで模擬戦が理由じゃねえってわかんだよ」


「だってあの性格だもん。やるだけやって怖気づくような人間じゃない。もしそうだったらもっとわかりやすいサインが出てる」


「……そんなもんか」


そこで一度会話が途切れる。

二人の間に会話がなくなったことで周囲の声が嫌でもこちらに届いてくる。


「――びびったんじゃねえの」


「火傷、かわいそう」


「たかが模擬戦で」


「むちゃくちゃだ、正気じゃない」


「悪魔?」


「あれ、あいつの作戦だったんだろ?」


ちょうどエルバートたちの対角線上にいた男子生徒がこちらを指さしているのが見えた。


みし、という音がエルバートの隣から聞こえる。

そこにはバルドが力の限り拳を握りこんでいる様子が見えた。


「じゃあ、あれが――」


その声を遮るように教室の扉が開かれ、ひそひそとした話し声は一斉に止む。


「おはようございます。皆さん席に着いてください」


現れたのはヘイン。

エルバートも視線を一瞬そちらに向け、再度バルドの拳に目をやるがいまだにその拳は強く握りこまれたままだった。




「今日は昨日の模擬戦を踏まえ、チームごとに自由に過ごしてもらいます。反省点をあぶり出して話し合いするも良し、連携の技術を高めるためにチーム同士で模擬戦を行うも良し、基本的に単なる談笑とかでなければ何をしてもらっても構いません。ただし、Aチームから順に面談を行うので順に私のところに来るようお願いします」


今に至ってもまだアウラは姿を現していない。

エルバートの言葉通り、チームごとで行動しなくてはならないのであれば現状ではアウラがいないほうがまだ動きやすいのかもしれない。


「それで、今後チームごとに呼び出す機会もそれなりにあると思いますので、各チームの代表と私でいつでも連絡が取れるよう簡単な術式を埋め込ませてもらいます。では、AからJチームの代表は私のところまで」


すでにリーダーが確定しているチームはすぐにヘインのもとに集まっていく。


「じゃあタツオ行ってきて」


「なんで俺なんだよ。つかなんだ、タツオ気に入ったのか?」


「だってチームのまとまりとか一番気にしてるじゃん。そういう人がリーダーじゃないの?」


「術式の埋め込みとかなんかちょっと気持ち悪りぃしやだ。お前行けよ」


断固拒否という体を崩さないバルド。仕方なしにエルバートが席を立ってヘインのもとに向かう。


「では、Aチームだけ残って他のチームの皆さんは先ほど言ったように自由に過ごしてください」




「んで、どうするよ。ぶっちゃけ前衛と後衛がひとりずついたところで内々でやれることなんて限られてんぞ」


とりあえず教室から出てきたもののこれからの予定は何ひとつ決まっていない。


「こういう自由時間があると思わなかったし、二人でできることは昨日済ませちゃったからなあ」


「なら昨日のシミュレーターもっかいやるか? ぶっつけでやった時と今回でどんだけタイム縮められるか、みてえな」


「それでもいいけど、連携に関しては反復練習とかじゃなくて違う条件でやらないと伸びないと思うんだよね。例えば――」


廊下を歩きながら話していると、不意に背後から声がかけられる。


「――おい」


振り返った先にいたのはIチームの三人だった。


「……なんか用か?」


バルドが威圧するように一歩前に出て問う。


「やろうぜ。もう一回、模擬戦」


リーダーと見られる少年が言うと、背後の二人も合わせるように頷いた。


「おいおい、三対二じゃ――」


「――いいよ、やろうか」


異を唱えようとするバルドの声を遮ってエルバートが言った。するとバルドはエルバートの肩を掴んで全く意味のない声量で耳打ちをする。


「は!? いやお前まじで言ってんのか?」


「断る理由なんてひとつもないし。むしろこれ以上ない最高の申し出、こっちから頼もうにも体裁が良くないし助かったくらいだ。あとうるさいよ」


「けど三対二だぜ? 普通に考えてやべえって」


こそこそと話しているとリーダー格の少年が割り込んでくる。


「なんだ、でかいのは図体だけで小心者だったってのは意外だ。負けるのが怖いのか?」


及び腰だったバルドの背筋が一瞬でまっすぐ伸びる。


「上等だこのやろう! やってやろうじゃねえか!!」


少年はにやりと笑みを浮かべる。


「なら場所を変えよう。昨日みたいに怪我させられたらこっちもたまったもんじゃない、シミュレーターに模擬戦用のプログラムがあるからそれを使おうか」


わざわざ昨日の怪我を持ち出すところに性格の悪さが見え隠れするが、実際エルバートたちもそれは望んでいない。


少年の言葉に従い、別棟のシミュレーターが置かれている部屋に向かうことになった。




三畳ほどという狭い空間に五人も入るというのはどうなのかと思われたが、あれはあくまで個人もしくはチーム単位で使用する部屋だったらしく、今回はもう一回り大きな部屋にやって来ていた。

違うのは広さだけではなく、ちょっとした休憩スペースのようなものもある。とはいえ備え付けの小さな冷蔵庫とテーブルがあるだけだが。


「お前たちはもうシミュレーターは使ったのか?」


少年がコンソールを操作しながらこちらに声をかけてくる。


「ああ、昨日それなりにやったぞ。確かFランクとEランクの戦闘系は制覇した」


「へえ……それもあのアウラっていう女子の力で?」


鼻につく言い方にバルドの目元がひくついた。


「あのな、一応言っとくがあれはあいつの独断で俺らは何も関係ねえんだよ。むしろこっちも被害者だ」


「それを本当の被害者の前で言われてもな」


「っ……!」


少年の言葉は褒められたものではないが、文句を言いたい気持ちは当然だろう。それに第三者が言うなら別だが、加害者側の人間が言い訳することを良しとしないというのも十分理解できる。


「シミュレーターにアウラは参加してないよ。二人でやった」


脱線しかけた話をエルバートが一声で元に戻す。


「……そうか。制覇ってことはEランクの最後のやつもやったんだろ? 二人だけでよくクリアできたな」


「ってことは、お前らも……?」


少年が操作する画面はちょうど準備が完了したようだった。


「俺たちは初日でDランクまで制覇した」


エルバートたちがクリアしたFランクとEランクの間に絶対的壁があるのはもちろんのこと、Eランク内ですら比較的簡単なものと難しいもので差があった。Dランクまで制覇したとなるとかなりハイレベルであるのは言わずもがな。


万全を期していればエルバートとバルドでもクリアできるかもしれないが、それはあくまで毎回状態をリセットすれば、という条件付きだ。通しでFランクからDランクまでクリアするのは現実的ではない。


「一応確認するけど、ガードしきれない一定以上のダメージを食らうと強制送還、基本的に何でもありのルールってことでいいんだよね?」


少年は先ほどの言葉で二人がひるむと思っていたのか、エルバートの冷静な確認に少し動揺する。


「あ、ああ。それでいい」


「なら、早く始めよう。時間も無限じゃないし、格付けがしたいならそれこそ早く始めたほうがいい」


エルバートの言葉に間違いはない。

言い返す言葉も出てこない少年は、薄い怒りを滲ませつつもシミュレーターの起動ボタンを押した。


「……勝負だ」




視界が部屋から森林地帯に切り替わる。

どうやら少年が設定したのがこの森林ステージらしい。


「絶対勝つぞ」


「勝つよりも負けない行動を意識してくれると助かる」


「負けねえし絶対勝つ」


空間に数字が浮かび上がり、ひとつずつ数を減らしていく。

開戦までのカウントダウンらしい。


そして、間もなくカウントはゼロになる。

派手な効果音が響き、戦いの火蓋は切られた。

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