第2話.『地獄』と『はじまり』

 


「――行か……なきゃ」


 辺りから漂う異臭に耐えきれず、コウは気を失いそうになるが、なんとか堪える。


 まだ、ユウキやハルト、父と母が死んだとは限らない。助かってる可能性がゼロじゃないと思うと、不思議とコウの足は動いていた。


 恐怖で震えている間に、その大事な人たちを失ってしまう方が、コウにとってはもっと怖かったのだろう。


 コウは、それでも震える足をなんとか動かして、今は遠くに見える魔物に見つからないようにして、走り続けた。


 あんな怪物に見つかってしまったら、きっとコウは死ぬ。もしコウが冷静に動けなかったとき、コウに迫り来るのは――『死』だ。


 ……ほら、深く息を吸って吐けば大丈夫。冷静さを欠けさせるのが、一番駄目だ!


 コウは決心を固め、身体にむちをかけて動かす。しかし――、


「……どこだよっ!どこにいるんだよ!!」


 決心を固めたところで、そう簡単に両親が見つかる筈もなく、コウは歯を噛み締めながら声を漏らしていた。しかし、その嘆きは誰の耳にも届かない。


 ……助かってる人たちは、家に隠れているのか?


 何故かさっきから、コウは誰一人とも見かけていない。まるで、この世界にコウとあの魔物だけが取り残されたかのようだ。

 コウの家まではあと少しというのに、その少しがとても遠いものに感じる。



 ウォォォォ!!


 コウがどうしようもない不安にかられているとき、魔物の雄叫びが辺りに響き渡った。


「――なっ‼︎」


 ……まさか、誰か見つかってしまったのか!!


 反射的に、コウは雄叫びが聞こえた方を振り向く。「誰かが殺される」と考えるだけで、また心臓の鼓動がうるさくなる。


 コウは、願うような気持ちで振り向き、魔物の様子を観察した。それが、例え見たくないものだとしても、「見ない」という選択肢は強引に排除する。


 ――運命というものは、つくづく残酷だった。


「――⁉︎ おい、嘘だろ……冗談だと言ってくれよ……。やめてくれ……っ!」


 蹴散らされた家を、いくつも跨いだ先にいる魔物。その魔物のすぐ近くには、二人の少年がいる。コウは、その二人の少年が誰なのかを瞬時に悟った。


 ユウキは黄金のような金髪で、ハルトは白色に近い銀髪――どちらも魔物の正面に立ちはだかる二人の少年と特徴が同じである。

 僅かに金髪の少年の方が背が高いという事も、その事実を裏付けていた。


 魔物の目の前に立つ二人は、ユウキとハルトだったのだ。


「どうして――」


 ……どうしてそんな所にいるんだ‼︎


 コウは、声を振り絞りながら二人を見つめる。

 確かにあの二人は、この時神村ときかみむらの中でも優秀な剣士だ。しかし、あの魔物には到底かなわないというのが現実。


 ……あんな怪物に敵うはずがない。

 ……だって、こんなにも遠く離れているにもかかわらず、これ程の威圧感が伝わってくるのだから。


 あまり意識はしていなかったが、いざ自身の身体を見てみると、ガクガクと震えていた。アイツは正真正銘の化け物で、完全に場違いな存在なのだ。

 だから――、


「やめてくれ――ッ!」


 コウの視線の先で繰り広げられる戦い。そんな光景を遠くから見ても、大人に子供が反抗しているかのようにしか見えない筈である。


 しかし今、あそこで――。無残で、冷酷で、ただただ虚しい戦いが始まったのだった。


 *


 まずはユウキから動き出した。何やら声を上げながら、魔物の足元を狙って技を繰り出している。

 また、それと同時にハルトも動き出して、魔物の背後に回り込みもうとしていた。


 それは一見、よく出来た連携だと思うのだろう。だが、そんな二人の抵抗も連携も、魔物の怪力の前では全くもって意味がなかった。


 オォォォ‼︎


 短い雄叫びと共に、魔物が担いでいた太刀が、一度だけ振るわれる。


 ――そう、たった一振り。


 一振りするだけで、風が吹き荒れ、建物が壊れ、


「あぁ……」


 それを見たコウの目から、塩辛い水が溢れ出した。コウは膝をつき、地面に手を突いて、泣き喚く。

 コウは、泣いてからやっと、目から溢れる水の正体が『涙』だということに気づいた。


 ……いつも悪口を言われてばかりだった。まともに友達をしていたのも過去の話だった。 ――だけど、どうしても涙が止まらない……っ‼︎


 今すぐに動き出さないといけないのに……。

 ここで泣いている暇は無いというのに……。


 村の悲惨な光景を見た時よりも、コウの心は遥かに痛んだ。喪失感というものを今初めて味わった気がする。


「絶対に忘れない――っ‼︎」


 ――絶対に忘れない。



 *



「……見つけた!」


 あれからコウは、唇を噛み締めながら立ち上がり、また走り出し、ついにコウの家を見つけていた。

 素朴な一軒家。外部には傷が見られず、まだ被害を受けていないのが見てとれる。


「なら、いるかも……!」


 コウは僅かに声を弾ませ、玄関の扉を開けて急ぎ足で家の中に入った。


「父さん!母さん!」


 そして、コウは声を上げながら両親を探す。しかし、返事は返ってこなかった。静寂だけが、コウの元に戻ってくる。

 それでも諦めず、コウはリビングも寝室も色んな所を探し回るのだが、両親は見つからなかった。


「まさか――、外にいるのか……?」


 何のためにかは分からない。

 だけど、家にいないのなら、外にいるか、別のどこかにいるかしか、可能性が見つからない。


 苦痛の声を上げるよりも先に、コウは家を飛び出していた。



 *



 コウは、この村にある避難場所として、まず第一に浮かんだ道場へと向かっていた。道を思い出し、呼吸を必死に繰り返しながら道場へと向かう。


 そして、ついに道場へと辿り着いたコウが様子を確認すると、そこにはかなりの人が避難していた。


 しかし、コウの両親はそこには居ない。それを確認した俺は、引き留める声を押し切ってまた走り出した。



「ハァ……ハァ……ハァ……」


 呼吸が辛い。肺が強く痛む。胸が軋む。


 コウは膝に手を突き、屈みながら息を整えることにする。足を止めて、コウは過呼吸のような状態になりながらも息を整え始めた。


 何度も呼吸を繰り返して、少し回復したコウは、再び苦しみで顔を歪めながら走り出す。どんなに身体が疲弊しても、コウの瞳だけは揺らいでなどいなかった。


 だが、そんな時――、



「……こっちだ!魔物!」


「っ、この声は――、父さん……‼︎」


 コウの父が魔物に怒鳴りつける声が聞こえてきた。その声が父によるものだとすぐに気づいたコウは、僅かな希望を垣間見る。


 しかし、まだ気を抜くことは出来なかった。


 ……この気配! 魔物アイツがいる‼︎


 コウは建物に身を隠しながら、父さんの現状を確認しようとする。すると、


「――は?」


 ――父も母も見つかった。しかし、それと同時に、二人を追い込む魔物の姿も見える。

 魔物は、父と母を建物の壁に追い込み、詰め寄って、わらっていた。


 父は母を庇うようにして、両手を広げながら立っている。魔物に鋭い眼光を光らせていて、力強く睨みつけていた。

 その黒い瞳の中には、確かな覚悟が垣間見れる。


「あぁ……」


 ……だけど駄目だ。父さんも母さんも武器を持っていない。

 ……だから、魔物に勝つなんてことはあり得ない。


 父は魔物に立ち向かい、母は両手を組んで祈っていた。一体、こんなときに何を祈るのだろうか。

 そして魔物は、……嗤っていた。――両親を嘲笑い、ほくそ笑んでいる。


 ――コウは、ただ立ってるだけだった。


「何をしてるんだ俺は……っ‼︎」


 コウにしか聞こえないくらいの大きさで、コウは自身に激怒する。


 ……失いたくない。欠けさせたくない。助けたい。負けたくない。踏み出したい……‼︎


 想いはこんなにも溢れるのに、コウは一歩を踏み出せなかった。コウは頬を伝う涙を拭う。


 ……今、俺が助けに行かなかったらどうなる?

 ……この状況を少しでも変える為に、


 初めの一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。

 それに、今ここで行かなければ、コウは何の為に剣術を学んできたというのか。


 恐怖に怯えながらも反抗する二人を見飽きたのか、魔物は太刀を握っていた腕を振り上げる。


 それと同時に夕日は完全に沈み、薄明るい光がコウたちを照らした。魔物の太刀は光を反射し、その刀身を赤に染める。

 そして今、その刀身が振り下ろされようとした。



 ――絶望の中でも、父の目にはまだ強い思いがこもっている。

 コウは、そんな父さんの姿を目に焼き付け、瞬きをした。

 そして、


 そして――、


「はぁぁぁぁあ!! 燕返つばめがえしぃぃぃ……っ‼︎」


 コウは大きく飛び出し、地を駆け抜け、父さんに迫りくる太刀に向かって剣を振るった。

 父の前に立ち、刹那の間に剣を抜いたコウは、何年も鍛えあげてきた剣術の内の一つを繰り出す。


 ――燕返し。

 ある方向に打ち込んだ刀の刃先をすぐに反転させて斬る技。


 本来、刀という武器で繰り出す技を、コウは剣に応用して使う。この技は、比較的覚えやすい技なのだが、熟練度を増せばその威力は倍増する。


 基礎をやりながらも、この技一つだけを磨きあげてきた。何年も鍛えてきたこの一握りの技で、コウは魔物に立ち向かったのだ。


 キンッ!!


 剣がぶつかり合い、紅い火花を散らしながら二つの威力は衝突する。


 ……何だろう。不思議なことに、いつもよりも力が湧いてくる。


 コウは、身体に暖かいものが纏われようとするのを感じていた。今まで感じてこなかった感覚が、今この瞬間に目覚めようとしている。


 しかし――、


「――――ッ!!」


 魔物の怪力は想像を絶するほどのもので、技を使っても、魔物の太刀を押し切ることは出来なかった。


 ――ならば後は、単純な力比べだ。


 魔物は両手で太刀を握り、その刃をコウに押し込んでくる。

 コウも負けずと必死に抵抗するが、その刃はどんどん目の前に押し寄せてきて、コウは膝をついた。


 コウの剣はどんどん押し込まれていき、肩に食い込みそうになっていく――。そして、今度こそコウは、完全に諦めそうになる……。


「「頑張れ!!」」


 その瞬間。後ろから声援が飛んできた。

 それは、父と母の今にもはち切れてしまいそうな声。


 ――ポツン――


 雫が落ちたときのような音が、コウの中で響いた。父さんと母さんの想いが込められた雫は、コウと混ざり合い、心に深く染み渡る。


「――っ!!」


 ……俺はまだ、負けない‼︎ 諦めない‼︎

 ……俺に『力』をくれッッ!!


 コウは「覚悟」を決め、魔物に立ち向かった。押し込まれていた状況が微かに変化し、だんだんと巻き返していく。


 ……いいぞ!このまま‼︎


 コウは全身から力を振り絞り、更に力を加えていく。

 だが、その時――、



(――良いだろう――。)


 ――ドクン――


 聞いたことのない声が聞こえるのと同時に、家に帰る時に感じたのと同じ鼓動が刻まれる音が聞こえた。


 ……ぇ?


 コウが声を上げる暇もなく、コウは何処どこか別の空間にやってきていた。

 さっきまでとは明らかに違う空間――否、次元。


 一瞬にしてコウは、自然と神秘を感じさせるような、不思議な空間にいた。

 此処には、青空があり、草原があり、日光があり、風があり……、


「――なんだ此処は‼︎」


 現実離れしたその空間に対して、コウは驚きの声を上げる。


 何かがおかしい。

 何かが違う。


「此処は一体、何なんだ……⁉︎」


 広々と広がる草原の中、コウの声が遠く鳴り響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る