第9話 初めての不良への反抗
「く、黒鉄……」
俺は震えながら黒鉄の名を呼ぶ。こいつを前にすると身体が無意識に震え、まともに喋れなくなってしまう。
最悪なんてものじゃない……まさかこんな所でばったり会ってしまうなんて思ってなかった。
は、早く逃げないと……いや、もうこんなに接近を許した時点で逃げるのなんか無理だ。
なら誰かに助けを呼ぶ? それも無理だ。人間っていうのは誰だって自分が一番可愛い。クラスが一緒になっただけの俺が、金髪の不良に絡まれてるからって助けてくれるとは思えない。
「つまんねえ学校行事のせいで、俺も美織もストレスが溜まっててよ。放課後、体育館裏に来い。もし逃げたら……わかってるよな?」
「あ…………」
黒鉄はまるで悪魔のような微笑みを浮かべながら、その場をゆっくりと後にした。
放課後に体育館裏……こうやって呼び出される事は、もう数えきれないほどあった。きっとまた理不尽な理由をつけて俺をボコボコにしてから、なけなしの金を取るつもりだ。
黒鉄の要求を無視する事も出来なくはない。けど、そうするとあいつは強引に人気のない所に連れていってボコボコにしてくる。どう足掻いても逃げられない。
また殴られる。あの激痛を味合わないといけない。そう考えると気分はどんどん悪くなり、息も苦しくなってきた。
くそっ……負けるな俺……日和と一緒に楽しい学校生活を送るんだろ! こんな事で死にかけてる場合じゃ……!
「ヒデくん、あっちに面白そうな本が……ヒデくん、どうしたの?」
「日和……」
「顔色が凄く悪い……」
日和が心配そうな顔をしながら、優しく背中をさすってくれた。そんな日和を見ていたら、とある一つの可能性が頭に浮かんだ。
あいつは俺をいじめてストレス発散が出来ればいい。それが出来なかったら、黒鉄は腹いせとして、日和に手を出すんじゃないかという可能性だ。
それだけは絶対にさせちゃいけない。万が一の可能性も潰さないといけない。
日和の為なら、喜んで殴られよう。その時には日和に心配されるかもしれないけど、一生ものの傷がつくよりは何千倍もマシだ。
「いや……大丈夫だ」
「嘘。絶対に大丈夫じゃない」
ここにきて頑固な日和が出てきたか。なんとかなだめないと。
「ちょっと嫌な事を思い出しちゃっただけだ」
「……そうなの? あんまり無理しちゃダメ。何かあったらすぐに話して」
「ありがとう、日和」
半分くらい正直に話すと、日和はあんまり納得していないのか、少し目を伏せながら頷いた。
とにかく腹をくくるしかない。全ては日和を守るため。俺は日和の望むヒーローとして……黒鉄に殴られよう。
****
「よう、逃げずに来たか」
放課後、黒鉄の言う通りに体育館裏に行くと、既に来ていた黒鉄に声をかけられた。その隣には、黒の髪が印象的な、大和撫子という表現がぴったりな女子——
覚悟して来たつもりだったんだけど、今から殴られると思うと怖くてたまらない。
でも、これも日和の為……そう思えばきっと乗り越えられる。
日和に関してだが、万が一巻き込まれてしまわないように、先に帰ってもらっている。
「馬鹿正直に来るその素直さ、嫌いじゃないぜ」
「何言ってるのよ黒鉄、相手はあのヒーロー君よ? ちゃんとお願いすれば来るに決まってるわ」
「そ、そう……あはは……」
俺の隣に悠々と移動した黒鉄は、俺の肩に腕を回してニコニコしていた。鬼塚も俺の前でニコニコしている。
たったそれだけの行動でも、俺を極限まで委縮させるのには十分だった。
「ヒーロー君、なんか最近女の子と仲良くしてるんですって?」
「あーあ、いいよなぁ……正義のヒーロー様はモテモテで羨ましいぜ」
「モテモテなんか、じゃ……」
「お前、なに調子乗ってんの?」
突然声のトーンを落とした黒鉄は、俺の胸ぐらを掴みながら、そのまま建物の壁に叩きつけてきた。壁にぶつかった背中と後頭部には、鈍い痛みが広がっていく。
「ヒーロー君は、私達がつまらない学校行事をやらされてる中、女といる所を見せつけて勝ち誇ってるのでしょう?」
「そんなつもりは……がはっ!」
「生意気に俺の女に口答えしてんじゃねぇ!」
黒鉄の拳が、俺の腹部に思い切りめり込む。その痛みで俺はその場にうずくまってしまった。
別に生意気な事をしたつもりも、口答えしたつもりもない。なぜ俺はこんな理不尽な理由で殴られないといけないんだ……。
「その痛みに悶える顔……たまらないわ。でも調子に乗った罰は与えないとね。とりあえず今日のオトモダチ料金と、生意気な事をした罰として十万。さっさと出しなさい」
「そんな大金……あるわけ……」
「お前はハイだけ言ってりゃいいんだよ! なけりゃ親の金を盗んで来い!! ったく……そんな事もわからないとか、お前の親は何を教えてんだ? あーなるほど、お前に似て無能って事か! ギャハハハ!!」
うずくまる俺の頭を思い切り踏みつけながら、黒鉄は高らかに笑い始める。その近くでは、鬼塚もクスクスと楽しそうに笑っていた。
ふざけんじゃねえ――
そんな大金を母さんから盗むなんて、絶対に出来ない。しかも女手一つで俺を育ててくれた母さんを馬鹿にするだと?
今までボコボコにされたり、少しでも家庭の負担を減らすためにやってた新聞配達のアルバイトで稼いだ、俺の小遣いを取られたり……いろいろと酷い事をされてきたけど、母さんを馬鹿にされたのは初めてだ。
殴られても金を取られても我慢してきたけど、俺の大切な母さんを馬鹿にするなんて……ゆるせねえ……!
「あと、いつ図書室にいた女と仲良くなった? 暗いけど、かなりいい顔と身体の女だったよなぁ……決めた。あいつ、俺に寄こせ」
「なっ……」
黒鉄は俺の胸ぐらを再度掴むと、強引に俺を立たせながら言う。
……日和をこんなゲス野郎に渡す? あんないい子を……俺を慕ってくれる日和を、顔と身体しか見ていないこんな奴に?
「ちょっと、私の事を俺の女とかほざいてるくせに、他の女を彼女にするようなことを言うわけ?」
「遊びの相手をしてもらうだけだって。俺の彼女は美織だけさ」
――こいつらは何なんだ。
一体何の権利があって、母さんを馬鹿にしてんだ。何の権利があって、日和を横取りしようしてるんだ。
――どれだけ俺をいじめれば気が済むんだ。
そう思った瞬間、俺の中のなにかが、音もなく弾け飛んだ。
「ふざけんな……」
「あ?」
「ふざけんじゃねえよ!!」
一度叫んだらもう止まらなかった。俺は黒鉄の胸ぐらを掴み返しながら、長年積み重なってきた痛みや憎しみ、そして母さんと日和を愚弄した怒りをぶつける。
「は……? ヒーローのくせに、なに生意気言ってんだゴラァ!!」
「うるせえんだよ!! てめえらに母さんの何がわかるんだ! 母さんはなぁ! 父さんが事故で死んでから一人で俺を育ててくれた、世界で一番偉大な人だ! それに日和だって、俺のようなバカを忘れないで、一緒に過ごすために頑張って、その上俺を慕ってくれる、世界で一番素敵で! 優しくて! 最高で! 大切な幼馴染だ! てめえみたいなクズには死んでもやるか!!!!」
自分でも何を言ってるかわからないくらい、怒りが俺の体を支配していた。
俺が赤ん坊の頃に事故で死んだ父さんの分まで働き、俺を育ててくれた母さんを……そして、俺の世界で一番大切な幼馴染を、顔と身体だけで奪おうとするこいつを、どうしても許せなかった。
「ふ、ふ、ふざけやがって……!!」
黒鉄の怒りも頂点に達したのか、顔を真っ赤にさせながら震えていた。
「そこまで調子に乗って、覚悟は出来てんだろうなぁ!!」
「うるせえんだよ!!」
黒鉄は拳を振り上げて俺を殴ろうとしたが、その前に闇雲に蹴り上げた俺の膝が、黒鉄の股間に深々とめり込んでいた。
「がっ……は……ぁ」
完全に金的を決められた黒鉄は、呻き声を上げながら、よろよろと後ろに下がっていく。
がむしゃらでやった攻撃だったけど、かなりの一撃になったようだ。
「あらあら、正義の味方の割に汚い攻撃ね」
「こんな時だけ都合よく正義の味方扱いすんじゃねえ!!」
「くそっ……お、覚えておけぇ……!」
股間を押さえながら、黒鉄は内股でよろよろとその場から逃げていった。一方残された鬼塚は、黒鉄を失った割に余裕たっぷりに笑みを浮かべていた。
「ほんと、黒鉄って大事な時には全く使えないわね……じゃあね、ヒーロー君。また遊びましょ」
鬼塚の事を思い切り睨みつけると、妖しく笑いながら走り去っていった。
「はあ……はあ……」
なんとか窮地を切り抜けた俺は、思わずその場に仰向けで倒れてしまった。心臓は爆発するんじゃないかってくらい騒いでいるし、息もまともに吸えない。
俺……はじめて黒鉄に反抗したんだな……しかも撃退できた。俺はずっとやられる側の人間だと決めつけてたけど、やれば出来るもんだ。
前向きに頑張ろう、変わろうって思ってたけど……これなら本当に変われるかもしれないな。
「いや、倒れている場合じゃない。早く帰って日和を安心させてやらないと」
先に帰ってくれと言った時の、どこか不安そうな日和の顔を思い出した俺は、痛む身体をなんとか起き上がらせると、荷物を取りに教室へと戻っていった——
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