第8話 俺は日和の専属コック?

「やっちまった……」


 翌日の朝、俺は朝食の用意をしながら深い溜息を漏らしていた。


 いくら日和が優しくしてくれたからといっても、高校生の男があんなに泣くとか情けないにも程がある。日和にはカッコ悪い所を見せてしまった……。


「……日和は本当にいい子だよな。俺にはもったいないくらいだ」


 あんなに優しくて、美人で、俺の事を考えてくれる女の子は他には絶対にいないと言える。


 あんな素敵な女の子が婚約者だなんて、俺は本当に幸せ者だ。


「……ん?」


 婚約者……?


 ちょっと待て。俺は確かに日和の事は大切な幼馴染だと思っているし、いまだに婚約者として接してくれるのはとても嬉しい。


 けど、俺は果たして結婚したいほど日和の事が好きなのだろうか?


 好きか嫌いかで言ったら、断然好きだ。それは間違いない。問題は、それがライクの好きなのか、ラブの好きなのかという事だ。


 実は俺は――女の子を異性として好きになったことが無い。


 ガキの頃の俺はバカだったから、日和と出会ってからは一緒に普通に遊んでるだけだったし、特に恋愛感情も持っていなかった。


 姫宮には仲良くしてくれって言われただけで、付き合えとは言われていない。俺もいじめられて一人が辛かったからOKしただけであって、特別な気持ちを抱いていた訳じゃない。


「俺の日和と一緒にいたい、日和が大切という気持ちは本物だ……これが異性を好きになるっていう事なんだろうか?」


 異性を好きになるというのは、明確にはどんな気持ちなんだ?


 ずっと一緒にいたいと思うか……? それはイエスだ。日和とは長年離れ離れになっていたんだ、少しでも長い時間を一緒にしたい。なんなら沢山話したいし、お隣さんじゃなくて一緒に生活したい。


 一緒にいて楽しいか……? もちろんめっちゃ楽しい。昔と変わってないって思う事もあるし、この数日だけでも日和の新しい発見もあるくらいだ。真っ黒だった俺の生活は、日和のおかげで一気に色鮮やかになった。


 一緒にいてドキドキするか……? バスタオルの日和にはドキドキしたけど、あれはビックリのドキドキだったと思う。普段はたまにドキッとすることもあるけど、嬉しい気持ちや安心感の方が強い。


 日和の為に何かしてあげたいか……? それはもちろんだ。日和が困っている事があったら喜んでしようと思える。


「何か違う気がする……やっぱりよくわからない」


 結婚というのは、普通は好きな人とするものだ。なら、日和を想うこの気持ちがわからない俺は、日和と一緒にいるのにふさわしくないんじゃないだろうか……?


 異性を好きになるって……愛するってなんなんだ……?


 そんな答えの出ない問答を繰り返していると、俺を現実に引き戻すように、インターホンの音が鳴った。


「ん? はーい」

「ヒデくん、おはよう。元気?」

「おはよう。昨日はごめんな……元気だよ」


 インターホンの音に反応して玄関に移動した俺は、玄関のドアをゆっくりと開けると、そこには身支度ばっちりの日和が、控えめに微笑んで立っていた。


 ……ちなみに、俺はまだ寝間着姿だ……うん……明日からはしっかり身支度をしてから出迎えよう。流石にこれじゃ恥ずかしい。


「何か良い匂いがする」

「丁度朝ご飯作ってるところだ。日和も食べるか?」

「うん、食べる」


 俺の誘いを待っていましたと言わんばかりに、日和は嬉しそうに頷いた。こうも喜んでもらえると凄く嬉しいな。


「実は、私の分のごはんを作ってるかもって思って、食べてこなかった」

「日和の読み通り用意してたけど、もし用意してなかったらどうするつもりだったんだ?」

「クロワッサンをかじる」


 どんだけクロワッサンが好きなんだ日和は。これはちゃんとご飯を食べてるかチェックしておかないと、いつか日和の体がクロワッサンになってしまうかもしれない。


「今日のご飯は?」

「簡単に作れるトマトリゾット。体が温まるし栄養もあるよ」

「朝からリゾット……?? ヒデくん、天才過ぎる」


 献立を話しながら、俺は居間に座る日和に、トマトリゾットが入っているカップとスプーンを手渡すと、日和は目をキラキラと輝かせていた。


 褒めてくれるのはとても嬉しいけど、本当にこれはトマトジュースとかベーコン、調味料があれば簡単に作れるから、そんなに褒められるとちょっと申し訳なくなる。


「いただきますっ……はふっはふっ……おい、おいひぃ」

「それはよかった」

「ふー……ふー……はふっ……」


 日和は熱さと戦いながら、頑張って味の感想を伝えようとしている。なんだか小動物みたいなその姿に、俺は朝からとても癒されるのだった――



 ****



「ねぇヒーロー、一緒に行こうよぉ」

「………………」


 高校生活二日目、今日は校内見学という事で、クラス単位で学校の敷地内を回る日らしい。


 俺はもちろん日和と一緒に行動をしようとしたんだが、先に姫宮が俺に声をかけてきた。こいつは昨日俺が拒絶したのを覚えていないのだろうか?


 いくら声をかけてきても、俺はもう姫宮を信用しない。声を聞くだけでも嫌悪感を感じるのに、近づいてきて更に気分を悪くさせるとかやめてほしい。


「俺は日和と行く。邪魔するな」

「あ、ヒーロー! も~なんでよぉ!」


 今日も媚びを売るような声が背後から聞こえてくるが、俺の知った事ではない。


 俺は姫宮を無視して日和と合流すると、先導してくれている担任の先生の後を追って歩き出した。


「またやってるよあの女。懲りないわねー」

「ほんと馬鹿みたい。やってる事が意味不明っていうか? 馬鹿だよねー」

「それな。キャハハハ!」


 どこかで姫宮を馬鹿にする女の声が聞こえてくる。同情の余地は一切ないが、陰口をしているこの女達も、俺からしたらいじめをする連中と対して変わらないんだよな。


 まああんな連中よりも日和だ。日和と話をする方が、何千倍も有意義だからな。


「日和は学校の中ってどれくらい知ってるんだ?」

「学校見学とかしてないから、ほとんど知らない。だから楽しみ」


 僅か声が弾んでいるところを見ると、本当に楽しみにしているようだ。日和が楽しそうだと俺も嬉しくなるから不思議だ。


 さて、まず最初に来たのは食堂だ。窓から差し込む日差しや広々とした空間がとても好印象だ。


 高校にもなるとこういう食堂があるものなんだなと少し驚きだ。メニューを見た感じ、定食やラーメン、カレーなんかを食べれるみたいで、購買でパンやおにぎりを買ったりもできるようだ。


「ヒデくん、お昼はここで済ませるの?」

「うーん」


 俺は別に弁当でも食堂でもいいんだけど、日和はどっちの方がいいんだろう? ちょっと聞いてみよう。


「日和はどっちがいい? 食堂と弁当」

「私、お弁当作れない」

「じゃあちょっと質問変えるな。食堂と俺の弁当の――」

「お弁当!!」


 お、おう……随分と食い気味なうえ、日頃大人しい日和にしては、随分と大きな声でちょっとビックリした。そこまでの反応をしてもらえるというのは、素直に嬉しいけどな。


 あと、こういってはあれだけど……日和の好きに食べさせたら、毎日購買のクロワッサンとかになりそうだしな。


「じゃあ日和のお弁当も作るようにするな」

「楽しみ。でも……私の分まで作るの、ヒデくんが大変。やっぱり私は食堂で……」

「一人分も二人分も変わらないって。気にしなくていいぞ」

「ホント? えへへ、嬉しい。お昼ご飯の為に、朝ご飯食べないようにする」

「いや、それは体に悪いって」

「あっ、でもヒデくんの朝ご飯を食べられないのもやだ……ううっ」


 凄く思いつめたような顔で、ぶつぶつと独り言を続ける日和。このままだと、俺は日和の専属コックになりそうだ。まあ全然構わないけどな。


 その後、校庭、体育館、クラブ棟などの施設を順番に見ていき、最後に大きな図書室に来た。


「ヒデくん、凄い沢山の本がある」

「日和は本が好きなのか?」

「大好き。ちょっと見てくる」


 とても楽しそうに小走りで本を見に行く日和。走ったら危ないって言おうと思ったけど、何か水を差すのは申し訳ないな。


「なんか思ったより人が多いな……他のクラスと被っちゃったのか」


 確か一年生のクラスだけで六クラスだった気がする。それならどこかで被るのは仕方がないのかもしれない。


「どうでもいいか。俺もちょっと見て回る……うおっ!」


 歩き出そうとした瞬間、急に肩にずしっとした重みを感じた俺は、思わず変な声を出してしまった。どうやら誰かの腕が俺の肩に乗ったらしい。


 一体誰だこんな事をするのは。そう思いながら首を横に向けた瞬間、俺の背筋は一気に凍った。


「よう……ヒーローぉ……会いたかったぜぇ」


 そこにいたのは、ずっと俺をいじめているグループの男、黒鉄くろがね龍一郎りゅういちろうだった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る