第7話 なんでそんな格好してるの!?
「さて、準備をしますか……ん? 日和からメッセージだ。どうかしたのか?」
スーパーで買い物をして帰宅した俺は、急に日和から送られてきた、『部屋に来て』とだけ書かれたメッセージに首を傾げていた。
家に帰って来た後、日和がシャワーを浴びてから昼ご飯を食べたいと言って部屋に戻っていったから、その間にサンドイッチの用意をしていたんだが、急にどうしたんだろうか?
「なにか問題でも起こったのか?」
もしそうなら早く行ってやらないと。そう思った俺は部屋を出て日和の部屋のインターホンを押す。けど、中から反応は無かった。
「鍵は……開いてる。女の子の一人暮らしだってのに不用心だな……後で言っておかないと」
部屋の中に入るが、日和の姿はない。どこに行ったのだろうか?
それにしても、部屋の間取りは同じとはいえ、置いてある家具の種類とか小物で結構雰囲気って変わるものなんだな。新しい発見だ。
「ヒデくーん」
「日和?」
日和のくぐもった声が脱衣所から聞こえる。風呂場で何かあったのだろうか?
「ちょっと困ってる。助けて欲しい」
「助けるのはいいんだけど……」
日和はシャワーを浴びたいと言っていた。なら、もしかして日和は今、裸なんじゃないだろうか? もしそうなら入るわけにはいかない。
「ヒデくん、なにしてるの? 早く来て」
「うわっ!?」
「……??」
入ろうかどうしようか考えていると、脱衣所から日和が出てきた。それはいいんだけど……日和の姿に、俺は思わず悲鳴に近い声を上げてしまった。
「ひ、日和!? 服は!?」
「……? シャワーを浴びるのに、服はいらない」
「そうだけど!!」
脱衣所からでてきた日和は、裸ではなかったが、バスタオルを巻いているだけの姿だった。い、いくら幼馴染相手でもそれは駄目だろ!
「ヒデくん、なんで目を背けてるの?」
「自分の恰好を見てから言ってくれ!」
「……??? バスタオル、巻いてるから見えない」
「そうだけど! とにかくここで待ってるから、とりあえず一旦服を着て!」
俺の必死の説得に、渋々ながらも頷いてくれた日和は、脱衣所へと戻っていった。
あービックリした……まさかあんなほぼ裸同然で出てくるとは思ってもみなかった……。
それにしても……日和、綺麗だったな。肌も白いし足も細いし……バスタオルを押し上げた胸元……って、これじゃ変態の思考じゃないか! 煩悩よ立ち去れ!
「ヒデくん、服着た」
「それで、何かあったのか?」
「これがわからないの」
服を着て脱衣所を出てきた日和の後を追っていくと、そこは風呂場だった。ここは小さな古いアパートだから、ユニットバスになっている。
「お風呂、小さくてびっくりした。でも、もっとびっくりしたのはこれ」
「これって……シャワーだよな」
「うん。どうやってお湯出すの?」
……………………へ?
「どうって、普通にやればいいんじゃないか?」
「普通にやっても出ないの」
日和はとても不思議そうに、蛇口の部分を上からグイグイと押したり引っ張ったりしていた。
もしかして、捻るタイプの蛇口を知らないのか?
「日和、これは押すんじゃなくて、こうやって捻るんだよ」
「ほわっ、凄い。お湯が出てきた」
「ここに赤と青のシールがあるだろ? 赤い方はお湯、青い方は水が出るよ」
「ヒデくん物知り……凄い。うちのお風呂は、ボタンを押すとお湯が出てくるの。だから知らなかった」
「洗面台とかは蛇口じゃないのか?」
「ううん。手を出せば勝手に水が出るの」
本当に捻るタイプの蛇口を触ったことが無いんだな。それならわからなくても無理はないな。
「とりあえず大丈夫そうか?」
「うん、大丈夫」
「わかった。じゃあ俺は戻って昼飯の用意してるから、また何かあったら直ぐに呼んでくれ。ちゃんと服は着た状態でな」
「うん」
日和のバスタオル姿なんて何回も見たら心臓が持たない。そうならない為にしっかりと釘を刺してから、俺は部屋に戻るのだった。
****
「ふわぁ……凄い……」
バスタオル事件から少し時間が経った頃。俺の部屋に来た日和は、俺の家の居間にちょこんと座り、小さな丸テーブルに並べられた食事に目をキラキラとさせていた。
今日の昼は予定通りサンドイッチ。それだけだとあれだから、スクランブルエッグも作ってみた。
「美味しそう。ヒデくん、お料理上手。凄い」
「簡単なものだから、そんなに凄くないよ。とりあえずじゃあ食べようか」
俺は日和の対面に座ると、一緒に手を合わせた。
「「いただきますっ」」
仲良くいただきますをしてから、サンドイッチを口にする。うん、今日も上手く作れているな。日和はおいしいって思ってくれるかな……?
「おいしい。ヒデくんは料理の天才」
「それは褒めすぎだって」
「褒め過ぎじゃないもん。ホントだもん」
日和は控えめに笑いながら、どんどんと料理を口に運んでいる。
あまり表情に出さない日和が笑顔で食べ続けているし、きっと本当においしいと思ってくれたのだろう。
作ってよかった……褒めてもらえたのも嬉しいけど、日和が喜んでくれたのが一番嬉しいな。
ちなみに俺は料理に限らず、家事全般は出来る。ほとんど一人暮らし状態だからやらざるを得ないし、家事をしてると嫌な事を忘れられるから、半ば趣味みたいになってしまっている。
「日和って、家ではいつもどんなの食べてたんだ?」
「なんかカタカナばかりの名前で、よく覚えてない。フォアグラとかキャビアとかコックの人が言ってた気がする。正直おいしくなかった」
「んふっ!? ごほっごほっ……」
「ヒデくん……!? 大丈夫?」
予想もしていなかった高級食材の名前に、思わずむせてしまった俺の背中を、日和は優しくさすってくれた。
そんな料理を毎日食っていたのか……しかもおいしくなかったのか。
「大丈夫だ。ありがとう」
「よかった。それにしても……ヒデくんって、やっぱり凄い」
凄い? さっきみたいに料理の事を言っているのだろうか。
俺は別に凄くなんかない。日和の家のコックさんの方が何百倍も凄いに決まっている。たまたま日和の口には、俺の料理の方が合っていただけの事だ。
「料理も凄いけど、それだけじゃない。ヒデくんは私のごはんの心配もしてくれたし、クラス分けとか、スーパーで怖がってた私を励ましてくれた。それに、短い時間で何回も人助けもしてる。ヒデくんは、私のヒーローなの」
ヒーロー。
その単語が出た瞬間、胸が締め付けられるように痛み、息が苦しくなってきた。
違う、日和は悪口で俺をそう呼んだんじゃない。あいつらとは……俺をいじめるあいつらとは違う。
だからそんなに過剰な反応をするな……俺の身体……! 日和が不安がるじゃないか!
「え、ヒデくん……!? 顔色悪いよ……!」
違うんだ日和……これはお前が悪いんじゃない……だからそんな不安にならなくていいんだ……。
「だい、じょうぶ……だいじょうぶだから……」
「全然大丈夫じゃない! もしかして病気……!? い、今救急車を……!」
「だいじょうぶ……」
涙声になってしまった日和を何とか励ましながら、俺は呼吸を整える。大丈夫、大丈夫だ……日和は俺を裏切ったりしない。俺を殴って楽しむ不良とも、俺を弄んだあの女達とも違う。
「落ち着いた……?」
「なんとか。ごめんな、心配かけて」
「ううん、いいの。ヒデくんが無事でよかった」
日和が懸命に俺の背中をさすってくれたおかげで、思ったよりも早く呼吸は整った。そんなすぐに治るなら、急におかしくなるんじゃねーよ俺の身体……。
「ごめんなさい……何かヒデくんが嫌がる事、しちゃった……?」
「日和……」
俺は日和と別れてから起こった事を言うつもりはなかった。変に心配をかけると思ったから……でも、こうやって日和を不安にさせるぐらいなら、言った方がいいよな?
「俺……話したいことがあるんだ」
「なに?」
「日和と……別れた後の事」
「……やっぱりなにかあったんだ」
やっぱり? 日和には一切いじめられてる事とかは言ってなかったはずなんだけど……。
「ヒデくん、昔と全然違う。昔はもっと元気で前向きだった。でも、学校での過ごし方を話してる時、すごく不安そうだった……それに、教室でのヒデくん……怯えてるように見えた」
よく見てるな……なるべく表に出さないようにしていたつもりだったけど、日和にはバレてしまっていたか。
「話して楽になるのなら、いくらでも聞く。それに、ヒデくんの力になれる事があるかもしれない」
「……ありがとう」
俺は深く深呼吸をしてから、過去に俺の身に起こった事をゆっくりと話し始める。
散々いじめられていた事や、姫宮に騙された日に死のうと思った事。包み隠さず俺は話した。
話している途中、嫌な事を思い出して何度も気分が悪くなってしまったが、その度に日和は俺の心配をしながら寄り添ってくれた。
そんな日和の優しさが、俺はたまらなく嬉しかった。
「……そんな事があったんだね」
「ごめん、日和……俺は日和の言うよなヒーローなんかじゃなかった……ただのヒーロー気取りの、馬鹿でひ弱な敗北者だった……」
話しているうちに、俺は自分の情けなさや辛さ、不甲斐なさ、日和への申し訳なさ――言葉では言い表せないくらいの沢山の感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、気付いたら涙が零れていた。
「あ、あれ……? ちが……ごめ、日和……これは違うんだ……」
「ヒデくん、ずっと頑張ったんだね。ヒデくんは凄いね。そんなに酷い事をされても、まだ人助けを続けてるなんて」
「で、でも……俺は……昔みたいに沢山助けられてない……あ、あんなひっそりとしか……」
昔だったら、あのお婆さんに声をかけて渡る手伝いをしていただろう。あのお爺さんに声をかけて、レジのやり方を教えていただろう。
でも、今の俺にはそれが出来ない。そんな目立つ事をして……何か言われるのが、変に思われるのが……怖い。
「それでも凄いよ。普通の人には出来ない。私はそんなヒデくんが大切だから、絶対に離れない……これからずっと、ヒデくんは独りじゃないよ」
「あ……ああ……お……おれ……」
「大丈夫。大丈夫だよ……」
日和に控えめに抱きしめてもらったら、もう駄目だった。俺は幼い子供の様に泣き続けた。
泣きながら、俺を信じてくれる日和の優しい気持ちに報いたいと強く感じた。
いつ強くなれるかはわからない……でも、泣くのは今日で終わりにしよう。
俺は変わるって決めたんだ。日和と楽しい学校生活を送るために。そして幸せな日常を過ごすために――
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