第3話 幸せになってもいいですか?

 ピンポーン――


「んー……誰だこんな朝早くに……」


 日和と再会してから数日後、高校の入学式の当日、俺はインターホンの音で起こされた。


 寝ぼけ眼を擦りながらスマホを見ると、まだ七時半だった。こんな早くに誰だ?


 寝間のまま玄関を開けると、そこには既に制服に着替えた日和の姿があった。


「日和……?」

「おはよう、ヒデくん。起こしに来た」

「ずいぶん早いな……中に入りなよ」

「うん、ありがとう」


 俺は特に何も考えずに、日和を家の中にあげると、日和は居間にちょこんと座った。


「顔洗ってくる……」

「うん」


 脱衣所に行った俺は、冷たい水で顔を洗う。これをするだけでだいぶ目が覚めるんだから便利な方法だ。


「ふー目が覚めた」


 タオルで顔を拭きながら、なんとなく鏡に映った自分を見る。


 鏡には、特にブサイクでもなく、凄いイケメンという訳でもない――特徴が無いのが特徴というのがしっくりくるような男が映っていた。


 そういえば……普通に日和を家に上げちゃったけど、大丈夫だっただろうか。別に見られて困るものはないから大丈夫だと思うけど……少し不安だ。


「お待たせ」

「おかえり。って、寝癖直ってない」

「別にいいよこれくらい」

「ダメ、こっち座って」


 少しだけムッとした顔をする日和は、自分のカバンから取り出されたヘアブラシで俺の髪をとかし始める。


 昔はちゃんと身だしなみを気にしてたんだけど、ここ数年は、心身ともにしんどくて身だしなみなんて気にしてなかった。


 それにしても、誰かに髪をといてもらうのって、想像以上に気持ちいい……やばい、また眠くなってきた。


「ヒデくん、髪サラサラ。羨ましい」

「日和だってサラサラじゃないか……って、寝癖くらい自分で直すって」

「いいの。他に何かして欲しい事、ある? 私、なんでもする」


 なんでもって……俺以外にそんな事を言ったら変な誤解をされかねないぞ。


「そんなに世話を焼かなくても、俺は大丈夫だよ」

「ダメ。ヒデくんのお世話をするのは、婚約者の私のお仕事」


 身の回りの世話をするのは、婚約者の仕事じゃなくてメイドの仕事だと思うんだけどな。


「寝癖、直ったよ」

「ありがとう。じゃあ着替えてくるからちょっと待っててくれ」

「わかった」


 俺は日和を居間に残すと、隣の部屋にある和室へと移動する。


 日和を待たすわけにはいかない。俺は部屋の隅に畳んで置いておいた、青蘭高校の制服にパパっと着替えてから、すぐに居間に戻った。


「制服、似合ってる。カッコいい」

「お、おう。まだ時間もあるし、少しのんびりできそうだな」

「あっ……私、ヒデくんと一緒にゆっくり歩いて登校したい、かな」

「じゃあ少し早いけど出発しようか」


 時計は八時を指しているが、集合は九時だ。まだ早いけど、のんびり行くならもう出てもいいだろう。


「よし、行こう」

「うん」


 俺は昨日のうちに用意した荷物を持つと、日和と一緒に玄関を出て青蘭高校へと歩き出した。


 青蘭高校はここから大体二十分ほど歩けば到着する。この時間なら、のんびりと歩いていても余裕で間に合いそうだな。


 そんな事を考えながら、朝食代わりに持ってきたアンパンをかじっていると、俺の右手が小さくて柔らかい何かに優しく包まれた。ちょっとひんやりしていて、とても気持ちが良い。


 この手に感じる正体を確かめようと視線を向けてみると、そこには俺の手を控えめに握っている、日和の小さな手があった。


「その、ヒデくんと昔みたいに……手、繋ぎたくて」


 ほんの少しだけ頬を赤らめる日和は、俺が手を握り返すと嬉しそうに微笑んでくれた。


「懐かしいな。手を繋いで山の中を冒険したり、街の駄菓子屋に行ったり。たくさん遊んだな」

「うん。凄く楽しかった。でも私、あの頃は身体が弱くて……ヒデくんが遊びたいのに私に合わせてもらっちゃったよね……ごめんなさい」


 日和の言う通り、遊んでいる時によく日和は体調を崩していた。


 とはいっても、初めて会った日以外はメイドのお姉さんがついていてくれたから、大事になったことは一度も無いし、俺自身も遊べないから不満に思ったことも無い。


「全然気にしてないよ。日和を第一に考えるのは当然だ」

「……ありがとう。えへへ」


 顔を赤くしたまま、日和はモジモジとする日和を見て、俺は心臓の高鳴りを感じていた。


 なんだこのドキッって……なんでこんなにソワソワするっていうか、落ち着かないんだ?


 だ、だめだこの空気に耐えられない。別の話をしてリセットしよう。


「そ、そうだ。日和、再会した日から今日まで見かけなかったけど、部屋にずっといたのか?」

「ううん、実家。今日も実家から送ってもらったの。この前は、挨拶と部屋を見に来ただけ。だから一人暮らしは今日から」


 なるほど、だからあの日から日和の姿を見なかったのか。ラインで連絡を取っていなかったら、俺は疲れすぎて日和の幻を見たんじゃないかと錯覚してしまうところだった。


「えへへ」

「ん? どうかした?」

「ヒデくんと同じ高校に通えるって思うと、嬉しくて」


 少しだけ微笑んでいた日和は、その笑みを俺に向けながら言う。


 引っ越してからいじめられて一人だった俺が、誰かと一緒に登校……しかも、相手はずっと俺と交わした結婚の約束を覚えていて、一緒に過ごすために一人暮らしまでしてくれている。俺には勿体ないくらいのいい子だ。


 少し前の俺が知ったら驚きすぎて卒倒しそうだな。


 それにしても……幼い頃の日和も可愛かったが、離れている間に信じられないくらい可愛くなった。いや、美しくなったと言った方が正しい。


 絹のようにサラサラな銀色の髪、少し垂れ目だけど大きくてキラキラした青い瞳はとても美しく、百五十センチにも満たしていなさそうな身長は、可愛さを演出してる。


 あと、小さめの身長と細い体の割には出るところはしっかりと出ていて、元々高い彼女の魅力をさらに引き上げている。


「ねえ。ヒデくんは、どんな高校生活を送りたい?」

「……静かに……平和に過ごせればいいかな」


 日和の事を見つめていると、彼女は唐突に質問を投げかけてきた。


 ずっといじめられていたからか、俺は学校生活に楽しさを求めるような想像が出来ない。


 どうやったらいじめられずに済むか、どうやったら平和に一日を終えられるか……そんな事しか考えられないんだ。


「日和は?」

「私は……ヒデくんと一緒に楽しい学校生活を送りたい、かな」

「……そっか」

「ヒデくん、どうしたの……? そんな悲しそうな顔は似合わない」


 日和は俺と繋ぐ手に力を入れ、心配そうに目を細めながら俺を見つめる。


 楽しい学校生活ってなんだろう……?



 ****



 日和とのんびり話しながら歩いてると、いつの間にか青蘭高校にたどり着いた。余裕をもって出てきたけど、もう八時半になっている。結構いい時間だな。


 ちなみに、この辺りにある高校の中では結構有名な所らしい。俺は家の近くで合格できそうな所を適当に受けただけだから、評判とかは全く知らなかった。


 今思うと、一人で暮らせる能力はあるし、知り合いが全くいなさそうな、めちゃくちゃ遠い高校に行けばよかったか?


 でも、高校生の一人暮らしなんて、余計に母さんに負担がかかる可能性もある。きっとこれでよかったんだ。


「日和、あそこにクラス分けが張り出されてるみたいだ」

「う、うん……」


 中庭に設置してある、大きい掲示板を囲う様に、たくさんの人だかりが出来ている。そこでは学生達が喜んだり落胆したりと、中々にカオスな空間になっていた。


 俺としては、あの不良達と一緒のクラスにならなければいいかな。あとは……この前の彼女も一緒は嫌だ。まあ一番の希望は、日和と一緒のクラスになりたい。


「日和?」

「…………」


 急に口数が少なくなった日和を見ると、とても不安そうな顔をしていた。そんなにクラス分けを見るのが緊張しているのだろうか?


「ヒデくんと一緒じゃなかったら、どうしよう」

「きっと大丈夫だよ。行こう」

「……うん」


 ここでボーっと立っていても始まらない。俺は日和の手を引いて掲示板の前に立ち、自分の名前を探し始める。


「桐生……桐生……あった。俺は一組だな」

「…………あっ!」

「見つけたか?」

「一組!」


 ずっと不安そうだった顔から一転、心の底から安心したように微笑む日和を見ていたら、俺もなんだか嬉しくなってしまった。


「ヒデくんと一緒で嬉しい。楽しい一年間にしようね」

「……ああ」


 嬉しそうに微笑む日和に、俺は素直に頷く。


 ずっといじめられて一人ぼっちだった俺でも、日和と一緒に楽しい学校生活を……幸せな日常を過ごしてもいいのだろうか?


 答えはわからないけど、俺は……楽しい学校生活をしてみたい。幸せと思える日常を過ごしたい。


 そのために……全部を諦めて、自分はダメな奴と決めつけて一人で殻に閉じこもって……自ら死のうとした弱い自分を変えてみよう。


 勿論一人ではなくて、日和と一緒に――







「やったぁ、ヒーローと同じクラスだぁ。これは……今年もおもちゃには困らないかな? ふふっ!」

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