第2話 幼馴染で婚約者でお隣さん

 神宮寺日和と名乗った少女は、控えめに笑いながら、俺の事を見つめている。


 言われてみれば、確かに当時の面影は残っているように見える。髪色もそうだけど、表情が乏しい所とか、大人しい所とか。声も当時とそんなに変わっていない気がする。


 変わっているところと言えば、身長がある程度伸びてるのと、女の子らしい身体つきになってるところだろうか。


 まあ……今の俺にはどうでもいい事だ。俺はどうせこれから死ぬんだ。


「……何か用?」

「あ、えと……お隣に引っ越したから、ご挨拶」


 一体何を言っているんだ? 隣に引っ越してきた? 新手の詐欺かなんかだろうか?


「どういう事?」

「ヒデくんのお母様から聞いてない……?」

「なにも……」

「その……私の両親が、高校生になったら、ヒデくんと同じ高校に通ってもいいよって。ずっと会えなくて寂しかったけど……これからは一緒にいられる」

「…………」


 日和を名乗る女子は、一人で嬉しそうに微笑み続ける。


 正直、この女子が日和かどうかなんてわからない――そうか、こいつもきっと俺を騙そうとしているんだ。


「悪いけど、俺に関わらないでくれ」

「え……?」

「あんたが日和かどうかの確証なんてない」

「で、でも……」

「……帰ってくれ」


 俺は静かに扉を閉めると、外から「ヒデくん……あけて……!」と、彼女の声が聞こえてくる。


 今更十年前のあの子が俺に会いに来た? そもそもどうやって俺の家を知った? 隣に住むってなんだ? 高校も同じところに通う?


 もう何から何まで意味がわからない。どう考えても俺を騙そうとしてる気しかしない。放っておけばそのうち諦めて帰るだろう。


「はあ……なんか死ぬ気が削がれたな……」


 さっきまでの死にたいって気持ちは、俺の心から消えていた。日和を名乗る女子は俺の気を紛らわすのに一役買ってくれたようだ。


「何が日和だよ……俺の唯一の楽しかった思い出を汚さないでくれ……」


 でも、もしあれが本当に日和だったらどうする? いやいや、そんな事が起こるはず――


「……簡単に確認できる方法があるじゃないか」


 そうだ、さっき母さんから聞いていないのかと言っていた。なら、母さんに聞けば真相がわかるかもしれない。


 さっきは死のうとしたほど追い込まれていたからか、こんな簡単な判断すら出来なくなっていたようだ。


「さすがに母さんが俺を騙すなんて事……ないよな……あ、もしもし母さん。今大丈夫?」

『英雄? 少しなら大丈夫だけど。どうかした?』


 数コールした後、電話の向こうから、元気そうな母さんの声が聞こえてきて少しホッとした。最近も全然帰って来てないから心配していたんだ。


「さっき神宮寺日和を名乗る女の子が押しかけてきたんだけど……何か知ってる?」

『あれ……言ってなかったっけ?』

「何も知らないけど」

『わー!? ごめんね英雄! 母さん伝えたと勘違いしてたわ!』


 まさか……あれは本当に日和だったって事か!?


『今日から日和ちゃんがお隣に引っ越してくるって、随分前に彼女の親御さんから連絡があったのよ』

「いやいや、どういう事だ? ちゃんと説明してくれよ」


 母さんに頼み込むと、手短に事の顛末を話してくれた。


 どうやら彼女が日和なのは間違いないようだ。


 日和の両親は、俺と同じ学校に通いたいという日和の強い希望を叶えると同時に、社会勉強もかねて、俺の住むアパートの隣の部屋を借りて日和を一人暮らしさせる事にしたようだ。


 ちなみに、俺が行く高校は事前に母さんが伝えていたらしい。


 いくら俺と日和の仲が良かったとはいえ、母さんが日和の両親と繋がりがあったなんて全然知らなかったな。


 それに、子供の口約束のプロポーズだというのに、日和がいまだに忘れずにいてくれて、俺と同じ高校に通う為に一人暮らしをしようとするなんて驚きだ。


『日和ちゃん、初めて家を出るみたいだから英雄が面倒みてあげてね』

「……」

『……日和ちゃんといれば、きっとまた昔みたいに元気になれると思うわ』

「え……?」

『あ、呼ばれちゃったわ。じゃあね! また帰る時は連絡するから!』


 そう言い残して電話は切れてしまった。


 もしかして……母さんは俺がいじめられているのを知ってたのか? それともただの偶然か?


「ごめん母さん。俺、悲しむ人なんていないと思って死のうとしてたよ……」


 俺は馬鹿だ。何が悲しむ人はいないだ……ずっと会えてないのに、心配してくれる母さんがいるじゃないか。


 そう考えると、少しだけ俺の心は軽くなったような気がした。


「って、こんな事をしている場合じゃない! 日和に謝らないと!」


 少しだけ心に余裕が出てきたのか、俺の脳裏には先程の日和の悲しそうな顔が浮かんだ。


 俺は急いで外に出ると、隣の部屋のインターホンを押す。いくら酷い目にあわされて落ち込んでいたとはいえ、日和には酷く当たってしまった。早く謝らないと!


「……ヒデ、くん?」

「日和、さっきはごめん!」


 悲しそうな顔をした日和が見えた瞬間、俺は勢いよく頭を下げると、「え、え……?」と日和の素っ頓狂な声が聞こえた。


「さっき母さんに確認したんだ。そうしたら日和が引っ越してくるって言われたんだ……ちゃんと確認もしないで決めつけて……本当にごめん!」

「……ううん、いいの。十年振りだから仕方ない……それに、急におしかけたら、迷惑だった。ごめんなさい」


 全面的に俺が悪いのに、日和はそう言いながらペコリと頭を下げた。俺はこんないい子にあんな態度を取ってしまったうえ、こんな悲しませてしまったのか。


 母さんの事を考えずに死のうとしたり、ちゃんと知りもしないで日和に当たったり……辛い事があったからなんて言い訳が出来ないくらい最低だ。


「あっ……ヒデくん、やっぱり私怒ってる。プンプンなの」

「え?」


 急に態度を変えた日和の様子を窺うように、恐る恐る顔を上げてみると、そこには可愛らしく笑っていた日和が、ポケットからスマホを取り出していた。


「ラインのIDを教えてくれたら、きっと許せると思う」

「あ、もちろん!」

「えへへ……嬉しい。これからもよろしくね、ヒデくん」


 日和はスマホの画面を見ながら、ほんの少しだけ笑顔を浮かべた。


 目の前で喜ぶ幼馴染の姿を見て、不思議とこの子なら大丈夫だろうと思えた俺は、何年か振りの笑顔を浮かべるのだった。

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