★38★ 狂宴の終わり。

 その音に素早く周囲に視線を走らせたが、鼓笛兵はすでに後方に退いたのか、倒されたのか見当たらない。待ちわびた合図に事切れた敵を投げ出して馬上で槍を一振りすると、周囲にいた部下達の視線が一斉にこちらを向いた。


 仕方なく俺の部隊で無駄に声が大きい五騎を伝令兵に仕立て、伝言を各部隊に伝えるように命じて走らせた。


「全軍、これより一時後退せよ!! 殿しんがりは我等が引き受ける!! 隊列を横一列に、一騎も欠けることなく走り抜けろ!!」


 出せる限りの声を張り上げ、少し離れた場所からも注目が集まったのを肌で確認した後は、槍で後方の援軍が向かってきている方角を指し示す。


 その言葉と動きですべてを察したかどうかは分からない。ただ即座に反応した部下達が馬首を巡らせ、腹を軽く蹴って首を思いきり前に倒す。すぐさまその命令に馬が応え、それと同時に両側に長く広がった陣形を組み直して、角笛の音が響いた方角へと加速した。


 常に馬を走らせたままなのは相手方もこちらも変わらないが、上に乗せている人間にもつの重さが違う分、まだこちらの馬の足には余裕がある。


 小隊に分かれていた離れた場所の部下達も、伝令が走って行くと徐々に馬首を翻して、先に走り出した者達の後へ続く。第二が動き出したことで第一のユゼフも意図を汲み、部下である小隊達を先に後退させ、自身を含んだ本隊でこちらに合流してきた。


「フェリクス、ようやく援軍のお出ましか!」


「恐らくそうだ! 味方と合流する直前まで敵に悟らせたくない!」


「了解だ! 弓で牽制しつつ味方の鼻先まで案内してやろう!!」


 お互いの鐙が触れそうな距離まで馬を近づけて声を張り合うと、打てば響く答えが返ってくる。その言葉に頷くや互いに槍を馬の横腹に束さえ、代わりに弓と矢を持ち直して振り向き、何事か分からないまま追ってくる敵へと放った。


 殺傷を目的としない矢は重装甲に阻まれて呆気なく弾かれるが、馬を並べた部下達もそれにならって矢を放つことで、敵の苛立ちが募って視野を狭めていく。


 せめて大将であるモスドベリ王の側に侍る部隊であったなら、まだしも冷静な判断ができたのだろうが、王の部隊はまだ後方にあり、すでに陣形は縦に延びて崩れかけている。


 今のうちに引っ張っていけるところまで引っ張っていくことにして、騎乗したままデタラメに矢を放った。統制の取れた第一騎士団の矢と、奔放な第二騎士団の矢が鎧を引っ掻く耳障りな音が馬蹄に飲み込まれる。


 気がつけば先を走っていたはずの部下達が同じ線上まで下がり、横一列に並んでいた。何を馬鹿なことを。先に行けと言うべきなのだろうに――。


「隙なく放て! 奴等に息をつかせるな!!」


 こんなものは攻撃でも策でもない。ただ誰が最初だったのか、次第に馬蹄と弓弦の音に混じって場違いな笑い声が聞こえた。それは横一列という単純な並びから段々と広がり、ついには笑いながら後方の敵に弓を射掛ける頭のイカれた軍団へと変じる。


 敵はさぞかし気味が悪いだろうが、一度始まった笑いの発作は止まらない。隣でユゼフが「せっかくだフェリクス、おまえも笑え!」と、らしくもなくイカれた提案をするものだから、つい言われるがままに笑ってしまった。


 角笛よりも歪でありながら、角笛よりも狂気を帯びて。笑いながら矢を射掛け続ける後退は、けれど、矢の品切れによってその幕を閉じた。後ろには虚仮にされたことで怒り狂った敵軍、眼前には長槍パイク兵と長弓兵を配した援軍が待ち受ける。


 それまでの笑いを引っ込め、馬を並べたユゼフと俺が馬の横腹に携えた槍に手を伸ばしたのも、真っ直ぐに頭上に掲げた槍の穂先を各々逆に向けたのもほぼ同時だった。


 何度もリルケニアで行った軍事演習通り、無声の合図に横一列だった隊列の両翼が、ほどけるように外側へと開く。ちょうど渡り鳥が風を捉えて急降下するように、馬首を巡らせた部下達が両脇へと散って。


 回避できる限界まで堪えた馬の首を叩き、最後に俺とユゼフが反対方向に全速力で馬を駆った。長槍パイク兵の切先が鐙をかする音に肝を冷やした直後――。


 リルケニアの胸甲軽騎兵と違い、俊敏さを持たないモスドベリの重装騎馬兵達は、蹲ったヤマアラシのような長槍パイク兵に自ら望まぬ死の突撃をかけ、自重と突進力で次々に串刺しにされていった。


 しかし何とか前列の犠牲でヤマアラシの棘が覆い尽くされようとも、今度は長槍パイク兵の背後から現れた反乱軍と修道騎士達によって、突進力を失った馬上から引きずり下ろされて次々と撲殺された。


 反乱軍を指揮する中にハマートヴァの姿が見えたような気もしたが、すぐに混乱の中に紛れて見えなくなる。まぁ放っておいたところで、これだけお膳立てされた局面で死ぬことはないだろう。


 後方で突撃に間に合わなかった敵兵は、ポルタリカが誇る長弓兵達の放つ長距離の五月雨射ちに合い、次々に地面に縫い止められていく。自らもあれだけ新市街で暴れておきながら、こんな惨劇をイスクラ嬢がいる王都の目の前で繰り広げられなくて良かったと思ったのは、身勝手だろうか。


 ――ともあれこれでこの戦もようやく終わる。


 まだ【戦】が最後の断末魔を響かせてのたうち回っている最中だというのに、心は生きて彼女を迎えに行けるということだけで満たされていた。問題はこの壮絶な格好で迎えに行ってもいいものだろうかということだったのだが、そんな考えも混戦の中で誰かが発した「王が逃げたぞ!!」という声に一気に消し飛んだ。


 馬上で王都の方角を見やれば、確かに数騎だけ走り去る重装騎兵の姿。他国のこととはいえ、王らしからぬ諦めの悪さに思わず舌打ちし、近くにいた修道騎士に「悪いがその戦棍メイスを譲ってくれ」と声をかけ、答えを聞かぬままその手から引ったくり、代わりに槍を押し付ける。


 その間も視線でモスドベリ王が逃げる姿を追えば、すでに数騎の追っ手がかかっていたが、重装騎兵を怯えているらしくあれでは追い付く気があるのか怪しい。


「疲れているところを悪いが、もう少しだけ付き合ってくれないか?」


 まだ息を整えている途中の黒馬にそう耳打ちすれば、開いていた口を閉ざして馬銜を食い縛り直してくれた。彼女を迎えに行くのはあとほんの少し遅れるだろうが、彼女の口から本音を引き出す前にすべてをきっちり片付けておく必要があるだろう。


 かくして俺は最後の一騎駆けを決行し、残ったゴミの頭を一人残らずかち割ったのだが……。


 つい力加減を間違えたせいで殴打した相手の頭部損傷が激しく、どれが王の亡骸であるのかを検証するために、戦の終結宣言が三日もずれ込んでしまったのはまったくの予想外だった。

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