*31* 愚かな勇気と、その後始末。
グラフィナが気安く“教会”と称したのは厳密に言えば大聖堂であり、私達が馬車で乗り付けたときには、神殿騎士に誰何されたりと少々雲行きが怪しかった。
けれどそこは暢気で人好きのするグラフィナが、夫の家名を告げて「この人達は私の姉と、侍女と、知人ですわ」と紹介してくれたおかげで無事に中に入れてもらうことができた。
その紹介に止せばいいのにアンドレイが「何でオレだけ知人なんだよ」と文句を言い、グラフィナが輝かんばかりの笑顔で「知っていると言っただけでも譲歩よ」と言い返して。どんどん勝手に自分の傷を抉っていくアンドレイに、可哀想だけれど同情と笑いが込み上げたわ。
大聖堂の中は新市街地から逃げてきた人達が不安そうに身を寄せ合い、普段はステンドグラスから降り注ぐ厳かな光も霞んでいるようだ。この大聖堂は城壁のない新市街と違い、しっかりと周囲を囲まれた旧市街地内にある。
王城から距離的には近いものの、流石に大司教様を擁するここにはまだ王の手も伸びていない。そのことからもここが一番安全だと判断したファリド様の采配は、何も間違ってはいないだろう。認めるのはかなり癪だけれど。
グラフィナの護衛をしてくれていた侍女達に礼を述べれば、彼女達は微笑んで当然のことだと言ってくれる。ただしその後にはしっかりと、旧市街地と新市街地の境目を散歩するのは止めさせて欲しいと釘を刺されてしまった。素直に頷くだけの経験は久し振りに味わう。
そんな私の視界の端でイリーナが神殿騎士を捕まえて、商人に偽装するために幌馬車に積んできた武器を、大聖堂に無償で譲渡する旨を綴ったピメノヴァ商会の捺印がある書類を渡していた。こういうところもソツがない。
言いたい注意事項を全て伝えきったらしい彼女達に、後のグラフィナの世話は私達が請け負うと伝え、代わりに妹が与えられている大聖堂の別館にある部屋まで案内してもらうことにした。
そうしてようやくグラフィナの寝起きしている部屋に腰を落ち着け、彼女に分かる範囲でこれまでの経緯を教えてもらうことにした。何から話せばいいのか迷うグラフィナに「カウフマン様の話が聞きたいわ。アンドレイも気になっているでしょうし」と促せば、隣に座っていたアンドレイがバツ悪そうに俯く。
そこですかさず「心根だけでなく姿勢も悪いですわ」と背中を叩くのは、イリーナなりの優しさだと思うけど、応戦する形で「うるさいな!」とアンドレイが手を叩いたりしたので、一時イリーナがアンドレイに躾と称して関節技を決める事態になった。
グラフィナは「久しぶりに見る光景ね」と笑っていたけれど、私は最近見飽きてきたので話の腰を折らないで欲しいと仲裁する。
要点の絞りきれないグラフィナの話を要約すれば、やはり今回カウフマン様が捕まったのは彼の勇み足が招いた結果だった。
当初の予定では各地から反王制派の援軍が集まりきるのを待ってから、全員で王都に攻め込むという作戦だったはずが、何を思ったのか半分にも満たない状態で新市街地に侵入したという。当然すぐに王城に騒ぎが届き、程なく王城から反乱軍討伐部隊が出てきて一方的に蹂躙されたそうだ。
それでも不幸中の幸いというべきなのは、両者共に市街戦だったこともあり騎馬を中心としない歩兵戦が展開されたことだろう。これでモスドベリ王が主戦部隊である重装騎兵を投入していたりしたら、その時点で反乱軍の士気は回復不可能なことになっていた。
とはいえ市街戦で馬を使うのは愚の骨頂。あれは平地でこそ爆発的な勢いを見せられるからだ。ただカウフマン様もそれを狙ってのことだったのだとは思うものの、流石に王城に詰めている兵士と各領地で鍛えた兵士では練度が違う。
実際カウフマン領の兵士達が一番勇猛に戦ったそうだが、最終的にはその叛骨精神を見せつけたことで念入りに叩きのめされ、当主であるカウフマン様が捕らえられて投獄された。
――ここまでが、アンドレイが『親父が投獄された』と言った部分の出来事だ。
一連の話を聞き終わった私が抱いた感想は“お粗末過ぎる。策ですらない”というものに尽きた。アンドレイの方を見たところで彼も首を横に振るだけ。自身の父親でありながら、庇う言葉を思い付かないらしい。
「この場におられない方のことを悪く言うのは気が引けますが……何とも愚かな方ですね。ちょっと常人には理解の及ばない愚かさで、流石はお嬢様を切り捨てたアンドレイ様のお父上と言ったところでしょうか」
「この場にいるオレを見ながら親父の不満込みで攻撃するのは止めろ」
「でもアンドレイの他に文句を言える血縁者がここにいないのは確かだもの。愚息の一人が聞かされていれば陰口にはならないわ。そうよね、お姉様?」
いきなりイリーナとグラフィナから攻撃の矛先を向けられたアンドレイが、助けを求めてこちらに視線を寄越したけれど――。
「ええ、そうねグラフィナ。この悪口を父親であるカウフマン様のお耳に入れるかどうかは、アンドレイの自由ですもの。それによって私の身柄がまた他国に流されるかもしれないのは嫌だけれど……仕方がないわ」
とりあえず二人のアンドレイいびりに少し乗っかりつつ、何とも形容しがたい表情になったアンドレイを見て「冗談よ。それより話の続きをしましょう」と机上から横滑りした議題を元に戻す。
「今後のことだけれど、ひとまずフェリクス様達には、私達がリルケニアを出立してから一週間後に進軍してもらう手筈になっているわ。途中でそれよりも早くイオノヴァ様が用意して下さったポルタリカの兵士達と合流するでしょう。これでポルタリカとリルケニアの共同軍ができるけれど……」
「「「けれど?」」」
「問題は今回のカウフマン様の浅はかな行為で、他の反乱軍に属する貴族達が今後二の足を踏むことになるところね。彼の蛮勇で私が予想してたよりもずっと早く戦況が変わってしまった。本来ならまだ王都は無傷であるべきで、反乱軍の到着に合わせてフェリクス様達が合流するはずだったのよ。このままだと彼等が到着する前に反乱軍は分裂して、反乱は失敗に終わるわ」
私の発言にイリーナを省いた二人が顔色を失くす。澄まし顔のイリーナは私のことを買い被っているか、本当にこの国が終わってしまっても一向に構わないと思っているらしい。
彼女の忠誠心に苦笑していると、グラフィナが心配そうに「わたし達はこれからどうなるのでしょうか、お姉様」と水を向けてくる。その顔には産まれてくる我が子が祖国を失うことを憂う母親の表情があった。
少し怖がらせ過ぎただろうかと反省し「手がないわけではないわ」と微笑んで見せる。無論、お得意のハッタリだ。手がないわけではないけれど、上手くいく保証もない。しかしグラフィナが身を寄せたこの場所はともすれば使える。
大聖堂、大司教、神を頼りに逃げ込んできた民。ここはモスドベリ国内にある全ての教会にとって護るべきものの塊。だとすれば対外戦争に意欲的な王の力に怯えず、大聖堂を……ひいては王都を守れる兵士。
それが各地に点在する修道院が持つ修道騎士団だ。彼の騎士団が敵と見なすのは天を恐れぬ悪魔の子のみ。ただしこの手を使うには本来中立派である大聖堂に王家と対立してもらう必要がある。
その一点で私の外交官としての力量次第であることが、この作戦を手離しに提唱できない部分なのだけれど……。
目の前で不安そうにしている身重の妹と、手酷く裏切ってくれたものの、初恋の相手であり義弟となるはずだった幼馴染み。右手首の腕輪を一度スルリと撫でれば『必ず迎えに行く。それまで無茶なことはするな』とビオラの声が囁いた気がして、小さく“ごめんなさい”と心の中で謝った。
「そこで相談なのだけれどね、グラフィナ? 私達がこれからの身のふり方を考えるにも、まずは大司教様にお目通りしたいわ。そのためにも貴方の夫の家名を貸してくれると嬉しいのだけれど」
大切な者のためならば、私は大聖堂と大司教様ですら利用してみせるわ
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