*28* 巡る季節。
ポルタリカからはイリーナが、リルケニアからはユゼフさんが迎えにきてくれた。いつもは気丈な彼女は、小さな女の子のように私にすがりながら声を上げて泣いてくれた。
もらい泣きする私の少し離れた場所では、フェリクス様を迎えにきたユゼフさんが『歳下相手にどこまで大人気がないんだ』と、苦々しいバイオリンの声。
子供扱いされたアンドレイは『大したことない』と居心地が悪そうだったけれど、あの声音は幼い頃に照れ臭いことがあったときの声と同じだった。リルケニアに戻ればそこには鍛練場で聞いたことのある人達が、
『オレ達の癒しのお帰りだぞ』
『おいクソガキ、おまえフェリクス様の鉄拳顔面に食らったんだって? 随分加減したんだなーフェリクス様。てっきり頭蓋骨にヒビくらい入れられるかと思ってたんだけど』
『そりゃあやっぱり精神安定剤のイスクラ様に無事に会えたからだろうな』
『狂戦士すら止めるこれが愛の力ってやつかー……万能じゃね? よかったなお前、殺されなくて。お二人ともお疲れさまでした』
――と、物騒な発言内容と好意的な内容が入り交じった出迎えをしてくれた。
それを聞いた途端にまだ嘘を吐いている身でありながら、図々しくも“ああ、またここへ帰って来られたんだ”と思ってしまった自分がいる。彼等の声にポルタリカでは忘れかけていた罪悪感が、フッと首をもたげた気がした。
けれどぼんやりしている間に、アンドレイが事情聴取と称して連れていかれそうになって慌てて押し留めたり、騎士団の人達が壁になって弾かれていたらしいオレーシャ様が『せ、せん、先生!』と抱きついてきたことにも驚いた。
引っ込み思案だった彼女が『み、みなさ、皆さんは騒がし、すぎです』と意見し、騎士団の人達から『オレーシャちゃんはお堅いなぁ』と気安くからかいの声が飛ぶ。やはりここでの生活は彼女にとって良い経験になったようで、うっすら“先生”と呼んでくれたオレーシャ様への信頼に報いれた気になる。
騒がしい出迎えの輪はその間にもどんどん大きくなり、誰かがサピエハ様を呼んで来てくれたのか、外交官というには好好爺の声で『よう戻った、ようやられた』と、感極まったように抱き締めて下さった。全てに片が付いたとき帰れる場所がここなら良いのにと、思わずにはいられなかった。
アンドレイと一緒に有無を言わせぬ強引さで、再びこの国にお世話になることになってから八日目。今日は久しぶりにフェリクス様に抱き上げられて、リルケニアで過ごした記憶の中で一際輝いていた庭園へと連れてきてもらっている。
記憶と寸分違わぬ優しく甘いバラの香りと、ここでの記憶にはないどこか香ばしい秋風に鼻腔をくすぐられた。
「思えば最初に貴方を連れてここへ来たのもバラの時季だったな」
「はい。あのときは春バラの季節でしたが……この庭園は、秋バラの季節も素晴らしい香りですわ」
「貴方にそう言われると、何故だか兄と過ごした日々を懐かしく感じる。生来粗暴な俺でも穏やかな気分になるからだろうか」
「フェリクス様は少し人より行動が素直なだけですわ」
「成程。だとすれば子供の頃からまるで性格が変わっていないというわけか……」
「ふふ、ですがその方が伸び伸びしていて良いと思います」
同じことを同じ瞬間に考えていたのだと思うと、たったそれだけのことで胸の内側がほわりと熱を持つ。再会してから一度もつけていない腕輪は、部屋の物書き机のひきだしに入れたままだ。
意識を集中させれば心音すら聞こえそうなほど密着しているのに、私にとって彼の色は未だに腕輪の磨ききらない鈍色の銀と、深みのある青い石。嘘をついたから目蓋を持ち上げることができなくなってしまったのではなく、嘘をつかなければここでこうして笑い合うこともできない。何て皮肉なのだろう。
そんな詮のないことを考えていたら、これも懐かしい平坦な「降ろすぞ」の声。頷くよりも早く爪先に触れた地面を確かめるように靴底で撫でれば、隣から小さく笑う気配がした。
「今日はどんなバラをご所望だろうか。秋のバラは香りも色も春のものより複雑に感じるせいか、上手く勧めにくい。なるべく似たものを探すから好みの特徴を思いつくまま言ってみてくれ」
「それでは……赤系統で、花弁が分厚く、香りが強くて、一輪の花が大きいものを」
「分かった、探してみよう。少しここで待っていてくれ」
そう言い残して彼の気配が遠ざかったのを確認し、ほんの少しだけ薄目を開けると視界の中に首筋が隠れる程度の長さをした銀灰色の髪を一本に束ねた、長身の背中が見えた。
男性なのだから当然肩幅は広いけれど、思っていたよりも細身だ。てっきりアンドレイよりも身体がうんとがっしりした人を想像していたのに……と、私の注文した花に近いものを見つけて下さったのか、フェリクス様が身体を屈める。
バラの花を摘んだところを見届けて、私はすぐに目蓋を閉ざした。前回同様に棘の処理をしてくれていたのか、やや間を開けて「待たせた」と言うビオラの声と共に、鼻先に甘いバラの香りが届けられた。
お礼を述べて彼の手からバラの花を受け取り、ガーデニアの花の頃のように二人並んで芝生へと寝転んだ。鳥の声と、風の音と、土の匂いと、バラの香りと。
お互いに無言で季節の中に溶けてしまうかと錯覚していたとき、隣から「どうしても貴方が囮として戻らねばならないのか」という静かな声が聞こえた。
ここへ戻った初日にそのことについての話はもう終わっていた。私とアンドレイは当初の予定通りモスドベリに戻り、すでに集まっているだろう反乱軍と共に決起することが決まっている。
アンドレイは兄達とこの反乱の立役者の一人である父のカウフマン伯爵の奪還を掲げ、私とグラフィナは立役者の一人でありながら途中で暗殺されたソロコフ伯爵家の生き残り……云わば反乱軍の旗標として身を投じるのだ。
「はい。現モスドベリ王は私の両親の仇ですから」
私達がモスドベリの内側で火を起こして混乱させている間に、ポルタリカとリルケニアの合同軍が王都に攻め込んでくれれば、モスドベリの国としての威信が下がる代わりに、血を流して争う時間と人死にの被害が少なくなる。
この反乱が成功しても、しなくても、その後のことは考えない。考えようが、考えまいが、ここまで迷惑をかけてしまった私にここへ戻る資格はないのだから。
――……けれど。
「その割には、俺は貴方の口からそんな話の片鱗すら聞かされていない。本当にモスドベリ王が憎いのか?」
こちらの空虚な思いを知ってか知らずか、フェリクス様はそんなことを尋ねてこられた。嘘のない真っ直ぐすぎる言葉に、この方らしい潔さを感じて思わず口角が上がる。
「……一般的に親を殺された子供は復讐を誓うものですわフェリクス様。それにモスドベリには身重の妹がおります。あの子をこちらに避難させることも考えましたが、もうお腹の大きさを考えるに動かしては危険でしょう」
ただ私は嘘つきだから、心の中にいる自分を殺すことなんて何ともない。
意図も容易く馬鹿げた希望を抱きかけた自分を殺して、あっさりとそう言葉にしたのだけれど、続くフェリクス様の「今の質問は貴方を怒らせただろうか」という言葉に、咄嗟に「いいえ」と答えていた。
――そこでふと悔しいことに、初めて私の中に常にそびえる建前が揺らいで。
「フェリクス様の仰ったように、私にも両親の死が仕組まれたことだとしても、悲しいかどうかが分からないのです。妹にこんな非情なところを知られて嫌われるかと思うと……その方がよほど悲しいのかもしれません」
ほんの僅かな本音が口をついて零れたのは、左手に持った秋バラと、右手を握る貴方の掌の温かさのせいだと思うのです。
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