★26★ 再会と鉄拳。

 光の加減によって青みがかった色になる黒馬の背に乗って走る頬を、香ばしい香りの秋風が撫でる。釣られるように陽射しに目を眇めて見上げた空は、夏の頃よりも随分高く感じた。


 ポルタリカから“新しい王妃候補”としてオレーシャ嬢が送り込まれ、彼女が自分の口からは話せないと言った情報をピメノヴァ殿から買った・・・。彼の話はリルケニアからモスドベリの使者を招いたわけではないものの、モスドベリの方が一方的にリルケニアに乗り込んできたあの日から始まった。


 その後は彼女達が軟禁されていた場所から逃走したことで、外交的に弱いリルケニアに対してモスドベリ王が難癖をつけて攻め込むことを恐れ、ポルタリカのイオノヴァ殿を頼ったこと。


 俺が外交官を殴ったせいで、リルケニアがモスドベリに付け入られる隙を埋めるために、ポルタリカが一時は退いたリルケニア王家への王妃の推薦と、自身が身を引くことを選んだこと。


 イオノヴァ殿は外交官の知人として、引っ込み思案だった娘の話し相手として、そんな彼女のことを頼りにすると同時に心配していたこと。


 ついでにこの期に乗じてポルタリカとリルケニアの合同で、モスドベリに攻め込んで国力を削げればいいと考えたこと――。


 そのどれもが人の顔色を読むことも、相手を怒らせない建前を使うこともできない俺には考えつかないことだ。


 感心すると同時に話を聞き終えてすぐに城の軍備を編成し直したはいいが、そのせいで出立の予定がずれ込み、現在やっとイスクラ嬢達の元へと早馬を使って単騎ポルタリカに向かっているところだ。


 留守はすべてユゼフの采配に任せることになるが、再編成に時間を割いている間に、人見知りなオレーシャ嬢が城の者達と打ち解けられたことは幸いだった。


 オレーシャ嬢は落ち着いて話をすれば、父であるイオノヴァ殿の性質の片鱗を見せることもあり、耳を傾ける人物がいればひとかどの人材になりそうだ。


 彼女はイスクラ嬢達の身柄を確保したら、一度ポルタリカへと戻ってもらう手筈になっている。要するに……今回の王妃候補云々は、イオノヴァ殿とオレーシャ嬢の間だけで交わされた密約であり虚言だった。

 

 ただし、イスクラ嬢から大量に人材の引き抜きをかけてもらった礼としてこちらに兵を寄越し、手を組んでモスドベリを叩こうというのは本当のようだ。ポルタリカにしてみればどうせ近いうちに揉めるのであれば、多少なりともモスドベリの勢いを削いでおきたいという考えなのだろう。


 ポルタリカ王の耳には一切リルケニアの王妃が交代する話は通っていないらしい。イスクラ嬢との縁がまだ切れていないことに、何故かひどく安堵する自分がいる。そのことが新鮮で、俺はさらに馬の速度を上げた。


『うちの一族とは思えない甘いところが、不出来で可愛い姪でしてねー。何なら今回の働きの報奨にあの子の伴侶候補を紹介して欲しいくらいだ。あれは一族の男に嫁がせるには勿体ないよー』


 そう言って目尻の皺を深めて飄々と笑った掴みどころのないピメノヴァ殿は、元々自らも商人として国を行き来するだけあり、その土地や国の情勢に詳しい。奴隷を商う者達もいる中で彼の一族はやや風変わりだ。それというのも、ピメノヴァ商会では一族以外の人間を商品として扱わないのだという。


 彼等は乞われれば一族の女性を貴族の侍女やメイドとして送り込む。彼女等が雇い主に与える情報の数々は、さぞや甘美な毒薬か諸刃の剣の如く情報を与える存在だったことだろう。おそらく元々はイスクラ嬢についていた彼女も、そういう目的のために母親共々その存在を雇われたはずだ。


 ついでに幼い頃の彼女の話を綴ったイリーナ嬢の手紙の内容を少し聞かされ、その不遇さを姉のように案じたイリーナ嬢のおかげで、今日の彼女が形成されたことも分かった。向こうに到着したら彼女にもしっかりと礼を言おうと思う。

 

 あとは――……イスクラ嬢達に付きまとうハマートヴァとかいう男だが……奴については次に会ったときに少々話し合う・・・・必要があるだろう。ただどちらにしてもイスクラ嬢達の身柄を確保してからの話ではあるが――。


「……馬上で考え事をするとはかどるな。次からユゼフに面倒な話をふられたら遠乗りに誘うか」


 思わず独り言が口をついてでた。本来ジッと椅子に座っているのが向かない性分だけに、こうして座ってはいても馬上であれば考え事がまとまるのはいい発見だ。


 ――と、まだかなり距離はあるが、前方に道の端で立ち往生している幌馬車が見えた。遠すぎて分からないが幌馬車ということは商人か農民だろうか。


 人数は二人。幌の中にまだいるかもしれないが、物取りである可能性も考えて腰に提げた剣帯に意識を向けておく。


 急いでいる手前声をかけようか迷ったが、さすがにここで見捨てていっては気の毒だろうと思い、馬の手綱を少し引いて速度を落とすように促す。機嫌よく走っているところに水を差された黒馬は鼻を鳴らしたものの、徐々にこちらがしごく手綱の力に応えるように速度を落とした。


 常歩までになる頃には、豆粒程だった二人の姿が性別が分かる距離になる。どうやら幌の大きさからして男女の商人のようだ。車軸が折れたか曲がったかした様子で、馬車から馬を外して女性に手綱を預けた男性の方が、しきりに前輪を気にしている。


 不用心なことに二人とも意識は馬車に向いているようで、どちらもこちらに背を向けているために気づいていないようだ。


 しかし俺が気になったのは、馬上からでも分かる女性の身長の高さだった。髪色こそ違えども女性の後ろ姿と身長に、俺はふとイスクラ嬢を重ねてしまう。自分でも何を馬鹿なことをと感じたが、ついそのあまりに彼女を彷彿とさせる後ろ姿に魅入った。


 すると女性が手綱を握っていた馬達がこちらの黒馬に気付いて嘶く。その瞬間驚いたように振り返った男性の顔を見て――……俺は馬上から飛び降りた。


 ようやく異変に気付いて振り返ろうとした女性の腕を引いたハマートヴァが、何を思ったのか「ソビエスキか!」と叫んで、彼女を背に庇うように立ちはだかる。彼女の姿はハマートヴァに阻まれて見えなかったが、か細く「フェリクス様?」と名を呼ぶ声がした。


 その声に一瞬息が止まる心地がし、早く無事を確認したい焦りは即座に立ちはだかる男への暴力衝動に変わる。まさかこんなに早くこの男と話し合える・・・・・とは思ってもみなかった。


 早く話し合いたかった・・・・・・・・俺の拳がハマートヴァの顔面に語りかけた直後、邪魔な肉の壁は受け身も満足に取れず真横に吹き飛び、その後ろで何が起こったのか分からず硬直する彼女を久しぶりにこの腕に抱き上げる。


 出逢ったばかりの頃のような軽さの彼女に「三食きちんと食べていたのか」と尋ねれば、硬直していた彼女は僅かに身動いで、困惑したままほんの小さく「忘れていたかもしれません」と微笑んだ。

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