◉幕間◉先生。

 大切なものは昔から、鍵をかけてしまっておく派。


 一日の最後に鍵を開ける分厚い日記帳の中だけが、人見知りで口下手なわたしの言葉を隠しておける場所。


 大嫌いな自分のことでも、物語調にして客観的に読んでみれば、それはまるで現実味がなくなって。愛せはしなくとも段々と許せる脇役として楽しむ程度はできるようになる。


 わたしだけの秘密。

 わたしだけの居場所。


 ――でも、普通のご令嬢達のように上手くお喋りができないわたしの話に、辛抱強く耳を傾けて相槌を打って、笑ってくれた人が……家族以外で初めてできた。


 だからお父様から初めて『お前が嫌なら絶対に無理強いはしない。それでも本当に手伝うのか?』と聞かれたとき、一も二もなく頷いた。


 正直会話を交わしたときはとても怖かったけれど、あの人が心配していたお相手はお聞きしていた通り不器用で優しい方だった。ポルタリカを発つ前、見送りに来てくれたお父様は、わたしを抱き締めるふりをして『彼を上手く焚き付けておやり』と。そうあの人には聞こえないように囁いた。


 あてがわれた私室の中で思い出し笑いを漏らし、可愛らしいランプの下でいつものように、鍵のついた日記帳の表紙をめくって数年前の頁を開く。



◆◆◆


 ポルタリカ王国のイオノヴァ家といえば、歴史上その血統の中に王家から何人も姫君を賜ったほどの名家です。歴代の当主も王の憶えがめでたく、そのせいで政敵が多いのは……ありがたくはないけど、誇らしくはありました。


 そんなイオノヴァ家は優秀な子供を多く輩出する家系でもありましたから、年頃にもなれば縁談は常に引っ切りなし。だから兄弟が多くても、子供が売れ残る心配はほとんど・・・・ありませんでした。


 だけど生まれてくる子供が全員優秀だなんて、そんなことが本当にあるのかと、誰だって思うはず。休ませなければずっと実り豊かな畑がないように、時々はみそっかす・・・・・が生まれてきたりするのです。


 わたしには、父に将来当主を任せるに相応しい優秀な兄がいます。

 わたしには、父に母の面影を見せてあげられる美しく聡明な姉がいます。

 わたしには、出産の際に母を死なせてしまった負い目の他には何もない。


 優秀で愛情深い家族は、誰もそのことでわたしを責めたことはないけれど。王家の血を引く母を死なせてまで生を受けたわたしを、世間は許しはしなかった。家名のおかげで表立って悪く言う人間はいなかったけれど、幼い頃からことあるごとに兄や姉と比べられました。


 歳の近い友人なんて一人もいない幼少期は、孤独よりも平穏だとすら感じました。けれどそれも仕方がないのです。家族がいない場で誰かに話しかけられれば、緊張してつっかえた細切れの会話しかできないのだから。


 社交界に出る年頃になればますますそれはひどくなり、家族の目のないところで陰口を叩かれました。


 でもやっぱり当然です。外交官の娘なのに、極度の人見知りで人と目を会わせることもできず、ダンスに誘われた相手の顔もろくに見られないのだから。通常有力貴族の子供なら十二歳までには決まっている婚約者も、当然わたしにはいませんでした。


 家族は“オレーシャは繊細で気が優しいから”と言ってくれますが、そんなことではないのだと、そこまで愚かではないのだから気付きます。これはもう “みそっかす”以外の評価のしようがないですから。


◆◆◆



 今よりずっとつたない文字で、強がりばかりの文面が並ぶことがおかしくて。そんな過去の幼い自分を指先でなぞって懐かしんでから、最近の――……あの人に初めて出会った日の頁を開く。



◆◆◆


 今日はまだ城でお仕事をなさっている時間帯なのに、お父様がわたしを呼んでいるというので、仕方なく自室から出てお父様の執務室へと向かいました。


 するとそこには赤みがかった金髪の、女性としては平均よりも高い身長をした方と、やや浅黒い肌をした黒髪の女性が立っていたのです。人見知りなわたしはそれだけでも大いに戸惑いましたが、何よりも背の高い方の女性がしていた眼帯にも戸惑いました。


 どちらもわたしより歳上のようで、こちらが入室したことに気付くと、眼帯から目を離せない不躾なわたしの視線に気を悪くすることもなく、美しいカーテシーで出迎えてくれたのです。


 二人の後ろにはお父様が楽しげな表情で立っていて、その瞬間またわたしの友人候補としてどこかのご令嬢を連れてきたのかと、うんざりしてしまったわたしに対して、眼帯をした女性が淀みなく挨拶をしてくれました。


 世情に疎いわたしでも、チラリと聞いたことがあるような家名を口にした女性は、しばらく仕事の関係で当家に滞在させてほしいと言いました。何故お父様が同室にいるのにわたしの了承が必要なのかといえば、すでに嫁いだお姉様を除いてしまうと、わたし以外の家族は日中仕事に出かけているからです。


 とくに馬鹿にされたというような気持ちは沸きませんでしたが、広い屋敷とはいえども、見慣れた家人以外の他人がひとつ屋根の下にいるのは、引きこもりの人見知りには地獄。


 ――とはいえ、役立たずのわたしに反対できるわけもなく、致し方なく憂鬱な気持ちで頷いたのけれど……真の地獄はこの後でした。


 お父様は何を思ったのか、家族以外の人前ではろくに会話のできないわたしに、屋敷内を二人に案内しろと仰ったのです。


 でも半分泣きそうになりながら単語を組み合わせて案内をするわたしの言葉に、後ろをついてくる二人は熱心に耳を傾けて、眼帯をした……イスクラ様は、時折質問やわたしの意見まで尋ねてきました。


 最初は嫌でたまらなかったのに段々と一定のリズムが組み立てられ、信じられないことに、わたしも自分から会話を振ったりするようになって――。


◆◆◆


 そこまで読み進めたところで、また唇に思い出し笑いが浮かぶ。


 結局わたしはその日の内にすっかり彼女の話術の虜になり、翌日からは仕事が片付くとわたしの部屋にお付きの侍女のイリーナと一緒にやってきては、色んな話を聞かせてくれたり、逆に話して聞かせる立場になったりした。


 紙の上ならなりたい自分になれると言ったわたしに、あの人は『あら、違うわ。本当の貴方に戻るだけよ』と笑ってくれて。そのときに『例えば……これが本当の私だわ』と、瞳の秘密も教えてくれた。


 ――それから、自信をつけるおまじないも。


『小さな紙にその日褒められたことを五個書き込んで、いっぱいになったら破って捨てるの。一日に何枚書いたって構わないわ』


 だけど部屋に引きこもっているわたしが、一日に五個も褒められるのは難しいと言ったら、彼女は笑って『文字が綺麗、礼儀正しい、たまの笑顔が可愛く、家族思いで、感受性豊か』と五個、小さな紙に書き出して、それをわたしに握らせた。


 その紙は今もお守りとして肌身離さず持っている。


 同じ外交官の娘で五歳上の大人の女性で、家庭教師ですら匙を投げたわたしの相手を辛抱強くしてくれる彼女に、勇気を出して“先生”と呼んでも良いかと尋ねたら、ほんの少し驚いた顔をしたけれど『光栄だわ』と微笑んでくれた。


 お手本の笑顔に、満点の答え。

 

 だけどお父様がわたしにリルケニア王との縁談を持ちかけてきたときのあの人は、いつもの余裕がある雰囲気とは違って、あまりに悲し気だったので。わたしは言葉が上手く伝えられないけれど、外交官の娘だから、嘘は七割見抜けるの。


 外交官は本音を隠す仕事だけれどね、先生。

 嘘をつくのが仕事じゃないって、お父様は言っていたわ。

 だからね、先生。嘘の気持ち・・・・・本当にしないで・・・・・・・

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