★22★ 何が起こっているんだ?
日々彼女達を取り戻す軍備を整える傍ら、彼女のいなくなった執務室の書類は貯まっていく。しかしそれらはここのところ体調が持ち直したサピエハの手によって、積まれる端から捌かれていた。
それに以前までと違い、商人から文官見習いとして城に上がった者達のおかげで、文官達の一人頭の仕事量が格段に減った。
結果、今までなら徹夜の三日や四日は当たり前だった文官達の心身が守られ、サピエハの手足となる文官の頭数も確保されている。
その恩恵は武官にも及び、ユゼフの第一騎士団と俺の管轄下にある第二騎士団と近衛騎士団は、連日彼女達の奪還演習をすることができていた。元よりこちらは書類仕事よりも軍事の方が本職なのだ。
本来の分野に戻れたのも、ひとえに彼女が残していってくれた数々の功績のおかげだった。
イスクラ嬢が元婚約者に連れ去られてから三十五日目。我慢の目安である一ヶ月はすでに過ぎているのだが――。
「あーもー隊……じゃない、陛下。もうこっちの準備は万端だってのに、いつになったらポルタリカからの援軍が来るんですかー? サピエハ様を疑うわけじゃないですけど遅いですよ」
「もうあらかた訓練もやり終わって、俺たちを含めたユゼフ様率いる第一騎士団の連中の士気も高いんだ。あんまり向こうが援軍出すのを渋るようなら、俺たちだけでイスクラ様とイリーナちゃんを取り戻しに乗り込んだ方がいい」
「そうですよ。時間をかけすぎるとどうしても緊張感が持続しません。何よりもモスドベリの外交官連中が、あっちの馬鹿王に何か吹き込む時間をわざわざ作ってるようなもんですって」
「サッと国境越えてバッとハマートヴァ領に突っ込んで、イスクラ様を一回捨てたくせに拐った馬鹿坊っちゃんブチのめして、とっとと彼女達を連れて帰ってこりゃいいだけでしょうに」
鍛練場で口々に不満を吐き出す自分の部下達を見ながら、正規の騎士団というよりは賊の言い分のようだと思う。しかし実際率いる側に立つ俺も部下達の言い分と何ら変わらない。
「確かにそうだがサピエハの立場もある。彼女がいない今は、彼が外交官だ。兄の失踪に引き続いて彼に心労をかけるのは俺も本意ではない」
――が、そのサピエハには彼女達が連れ拐われて八日目に、ポルタリカの外交官宛に手紙を出すよう要請した。馬でも鳩でもなく鷹を使った伝達は当然早い。現に手紙を出してから五日後には、こちらの救援要請に少しなら手を貸す旨の内容が綴られた手紙が届いた。
にもかかわらずその後の再三に渡る要請には【暫し待て】の文面ばかりで、一向に救援が来ない。確かに向こうにしてみれば旨みの少ない手伝い戦だろうが、それでも彼女の手によってこちらと結んだ外交は生きているはずだ。
それを踏み倒すつもりなら、こちらも次からはすでに交易を結んだ他国との外交貿易に力を入れるつもりではある。彼女が懇意にしていた商人達に“ポルタリカは契約を守らない”と他国へと吹聴してもらえば、あちらにも少なからず痛手を加えられるだろう。
しかしそのことでサピエハに尋ねても、ポルタリカと同じように『もうしばらくお待ち下さい』と頭を下げられるだけで、一向に埒が明かない。
モスドベリの内情に彼女より詳しい人物はこの国にはおらず、現状だともうリルケニアの騎士団だけでモスドベリに乗り込む他に手がない。俗にいう八方塞がりという状況だが……やはりもう部下達と、何より俺の我慢が限界だ。むしろ割によく我慢が保った方だろう。
「……今からユゼフを捕まえてサピエハに話をつけてこよう。あちらに全力で止めるという意志が見られなければ、二日後にはリルケニアだけで出る。他の部隊にもそう伝えておいてくれ」
俺がそう言い終えるや周囲から、
「さっすが隊長! 気が短い!」
「馬鹿、お前それ褒めてねぇって」
「そうそう、むしろよく保った方だって。やっぱイスクラ様の躾のおかげだよ」
「もう何だって構うかっての。散々コケにしてくれたモスドベリのお坊っちゃん相手に暴れまくってやろうぜ」
――という、粗野で調子のいい声があがった。行儀の良い他の部隊ではあまり聞かない騒音だが、俺にはこの方が合っている。
おまけにあながち部下達の言い分も間違ってはいない。俺は彼女の声や、仕草、体温、物言い――……そういったものに安らぎを感じていた。彼女がいなくなってからというもの落ち着かず、苛立ちが募るばかりだ。早く彼女を取り戻してまた庭園に連れていきたい。
好き勝手に盛り上がる部下達の一部に制裁を加えてから、ユゼフの姿を探して鍛練場の中を歩いたがどこにも姿がない。あいつの従士を見つけたので声をかければ、手甲が壊れたので城の方に代わりを取りに戻ったとのことだった。
どのみち城内にいるサピエハの執務室に用があるのだ。手甲を取りに戻った時間から逆算すれば、向こうらこちらに戻る途中のユゼフと鉢合わせるだろう。
そう思って城へと続く回廊を歩いていると、庭園に差しかかろうというところでちょうどユゼフの声が聞こえてきた……が。声の調子から察するにどうも揉めているようだ。声のする方へ向かおうかどうしようかと一瞬悩む。乳兄弟とはいえユゼフも個人情報は守りたいはずだ。
しかしそんなことを悩んでいるうちに、悩みの現況が向こうからやって来てしまった。それも「珍しく良いところに来たなフェリクス!」という、やや引っかかるものを含んで。
目の前までやってきたユゼフの顔色は常よりも少し悪い。だがそれには触れずに「どうした?」と尋ねれば、ユゼフは僅かに言い淀む素振りを見せてから「お前に会いたいと言う商人が訪ねてきた」と答えた。
「商人……イスクラ嬢の懇意にしていた者か?」
「いや、違う。僕も初めて会う相手だが……見れば分かる。とにかく来てくれ」
そう言うやこちらの返事も聞かずに歩きだした背中を追う。廊下の途中で会ったのは城の衛兵だった。恐らく先を行くユゼフはあの衛兵と揉めていたのだろう。何故こんなところに? と思いはしたが、あからさまにホッとした表情をされては、持ち場を離れたことを咎める気にもなれない。
辿り着いた先は、彼女がいなくなってから一度も使われていない外交用の応接室だった。モスドベリからやってきたあの
馭者席でこの季節の日射しを避けるためなのだろうが、流石に王城まで入り込んでフードを被っているのは不遜すぎる。背格好からして片方は男だろうが、もう片方は男と断定するには華奢に見えた。訝かしみながらも二人組に近付き、追い返すつもりで口を開く。
「商人だと名乗ったそうだが、何用だ。こちらは今立て込んでいて行商に構っている暇はない」
「おいフェリクス、余計なことを口走るな。あー……我が主は少し気が短い。貴男も命が惜しいだろう。用件は聞くが、会話運びには気を付けてくれ」
まるで人のことを狂犬か何かのように紹介したユゼフの言葉に、一人がフードの下で笑った。咎める代わりに睨み付ければ笑った方の男がフードを持ち上げ、そこから覗く肌色と髪色に既視感を覚えて言葉を飲み込んだ。
「姪の言ってた通り隠し事のない若様だ。お代はもうもらっているから、そっちは受け取るだけで良いさ。ほい、若様宛にお届け物だよ」
こちらの見せた動揺に飄々と笑った初老の男は、そう言うやだんまりと隣に座っていた小柄な人物からフードを引き剥がした。その中から現れたのは、これもまたどこか見覚えのある配色の少女だ。
「……ひ、あ、あの、初めまして、ソビエスキ様。わ、わたしは、ポルタリカ外交官の、次女で、オレーシャ・イオノヴァと、申します。父から、王妃候補に、なるように、と」
目の前で今にも泣き出しそうに怯えた少女の口から出た言葉に眩暈を覚えた。
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