*21* そうして舞台の幕が上がる。
あの後、流石に喫茶店でできる話ではないからと、イオノヴァ様が王城勤めの際に使用される館へと招かれた。突然の客人に驚くかと思ったけれど、すでに言付けをしに王城へ走ってくれた使用人が伝えてくれていたのか、割とあっさりと応接室に通される。
一応使用人達に怯えられるのは本意ではないので館の中では眼帯は着用。それでも視線を感じるのは、恐らく女性で顔に大きな傷を負っていることへの同情であり、痛ましいものを気の毒がる目だろう。
お茶の準備を整えたメイドと一緒にイリーナが退室すると、二人だけになった応接室には当然のように沈黙が落ちた。
「先程の話だが、祖国の一部を寄越すとは穏やかではない。しかも失礼だが、現状モスドベリで余っている土地といえば、使いでのない北ばかりではないか?」
しかしそこは外交官。イオノヴァ様はすでに目ぼしい土地の地図を頭の中に描き出しているのか、その表情はやや冷ややかだ。親しさを感じていた人にこの表情をされるのは少し怖い。
けれどここからが外交手腕の見せ所。警戒された状態から盤面をひっくり返すのも楽しいものだ。
「その通りですわ閣下。切り売りしたい土地には、農地としての価値は露ほどもありません。はっきり申し上げればまともな作物は育たないでしょう。ですので、私が切り売りするのは土地であって、土地ではありません」
「ほう、やはりそうか。わざわざその秘密までさらしたからには、何かあるのだろうと思っていたが……面白そうだ、言ってみなさい」
片眼を瞑ってトンと軽く目蓋を叩いたイオノヴァ様の胡桃色の瞳に、ふと愉悦の色が浮かび、話を打ち切ることなく先を促してくる。内心ホッとしつつ、けれどそんなことはおくびにも出さずに微笑み、私は再び口を開いた。
「ご存じのように私はモスドベリ側の外交とも呼べない手段で、いきなりリルケニアへ王妃候補として上がり込みました」
「ああまったく……その節は、随分と手を焼かせてくれたものだ」
「本当にご迷惑をおかけしました。けれどご覧のように私はこのような瞳。最初から受け入れられるとは思えない。どこか切りの良いところで王妃候補からは降りるつもりでした」
そこで一度会話を切り、ティーカップに手を伸ばす。一度に多くを語りすぎてはいけない。小出しにしつつ、相手側が何に興味を惹かれるのかを見定めて次の話題を振るためだ。情報はときに黄金と同じ価値を持つ。無駄にばら蒔くことは悪手でしかない。
イオノヴァ様の表情を読むともなしに見やれば、彼もまた胡桃色の瞳でこちらを見ている。目蓋を閉ざして人と接する間に瞳からだけではなく、気配からも感情を読み取れるようになったのは収穫だった。彼の微かな揺らぎはとても
「これからお聞き頂く内容は、まだイオノヴァ様の他は誰も知りません。できる限り魅力が伝わるようにお話させて頂きますわ」
逸る心を押さえ込み、私はにっこり微笑んで、外交ゲームのカードを配る。
***
モスドベリは国土こそ広いが、国の半分は凍土なので実質使える土地はそう多くない。そんなものだから余っている北の土地には村も町も極端に少なく、お互いに行き来することすら稀だ。
当然土地としての価値など皆無なのだけれど、私は現在この北の地こそがモスドベリで最も実りがあると確信している。
前国王は民の現状を知るために二年に一度は国内に視察に出向き、足を伸ばせない地域に視察団を派遣していた。しかし現国王はその公費を全て軍事面につぎ込み、予算を組むことすらしなくなった。故に彼の王は比較的暖かい王都のサンドラから出ることはない。
民を作物だと言い張る愚かな王は独裁者の例に漏れず、そんな自身に対しての否定的な……この場合人道的であったり、理論的であったりする発言をした文官や武官の一族を北の地に封じた。ごく少数の文官や武官は、王の目を欺いて中枢に潜んでいるとも耳に挟んだことはある。
けれど彼等の決起を待つ間に国が滅んでしまっては本末転倒だし、何よりも今はリルケニアへの圧力を封殺することの方が重要だ。そこで今回私が取り急ぎポルタリカのイオノヴァ様に切り売りするのは、この土地に実る優秀な人材である。
彼の地に封じられた文官の中には、父と懇意にしていた人物も名を連ねていたから、手紙を出すにしても何かとやりやすいだろう。何より王都で潜んで決起を待つ同胞よりも、北の地で耐える自分達と同じく、両親を失い婚約者から引き剥がされて追放紛いに他国へ嫁いだ私の言葉の方が響くはずだ。
実際にはそちらの方が、祖国よりずっと温かく迎え入れてくれる場所だったとしても、誰も知らなければ充分に策として使える。
いくら同じように志を掲げたところで、立場に大きな差が生じている場合は一枚岩とはいかないのが人間の心理。そこを突いて“愚王を引きずり降ろす道が一本ではない”と提示するのだ。
――というような説明を、二時間ほど面白おかしく語らせて頂く。
最初はソファーに深くかけていたイオノヴァ様も、途中からは浅くかけ直し、最終的にはご自身の執務室から地図を持っていらして、紅茶のお代わりを淹れに来てくれたメイドに早く下がるようにと言い、前のめり気味に話に聞き入って下さった。上々の反応を引き出せたようでホッとしたわ……。
「以上でご説明できる部分は全てです。ご拝聴ありがとうございました。そこでご相談なのですがイオノヴァ様。現在フェリクス様に相応しいご令嬢がいらっしゃるのでしたら、サピエハ様を介してリルケニアへと送り込んで頂けせんか?」
「つまり……リルケニアとの友好関係を結び直す機会を与えると言うのか? しかしそれだとそちらは優秀な人材と王妃の座を手離すことになる。こちらの有利な取引でしかないが、そちらにとっては何の旨みもないだろう」
相手側が熱くなりすぎず、かといって冷静になりすぎる前に強引ともいえる一手を打つ。外交では使い古された手ではあるけれど、絵画や音楽、文芸にダンスといった幅広い分野でも古典は大切だ。
「いいえ、旨みならございますわ。私はこの度急に祖国が憎くなりました。一度は追放紛いに追い出しておきながら、今度は何を思ったのかリルケニアに上がり込み、私の身柄を返せと迫った。フェリクス様のお心を煩わせ、二度も私の顔に泥を塗ったのです」
そこでわざと乱暴にティーカップをソーサーに戻し、音を立てて“怒り”を演出する。外交に携わる者の表情はかえって深読みされるため、あくまでも所作だけで感情を表現した。ティーカップの中に残った紅茶が大きく揺らいで、映り込んだ私の像を崩す。
けれど所詮は小娘の演技。相手側であるイオノヴァ様もそれは分かって楽しんでおられる気配を感じる。
「私はほとほと呆れてしまって、先程の侍女と一緒に逃げることにしました。置き土産として何か手酷い仕返しがしたい。かといって、もうリルケニアの人々は私の言葉に耳を貸してはくれないでしょう。ですからその協力を求めてこちらに来たのですわ、閣下」
すっかり冷めた紅茶に口をつけ、渇いた喉を潤す。華やかな茶葉の香りが鼻腔を抜ける心地にほうっと息を一つ、イオノヴァ様へと視線を投げかける。
「ハッハッハ! いや成程、女性の怒りは怖いものだな。そういうことならばこちらも一口乗らせてもらおう。勝ちしかない賭けに乗らない理由はない」
私の視線へそう大仰に演技を返してくれるイオノヴァ様に微笑み、ついでに「ミラン・ピメノヴァが閣下によろしくと申しておりました」と伝言したところ、彼は「なんと、ピメノヴァまで噛んでいるのか。それであれば益々間違いがないな」と楽しげに応じてくれる。
話が無事に纏まったので、そろそろイリーナを応接室に呼び戻しても良いかと尋ねようとしたけれど、不意に紅茶で喉を潤していたイオノヴァ様が眉根に皺を刻んで口を開いた。
「……本当に王妃候補を送り込んでも構わんのだな?」
「ええ、勿論ですわ。私はフェリクス陛下の外交官。あの方にとって最も良い案を献策することが私の役目です」
念を押すようにそう言ったイオノヴァ様の視線が、右手首にはめた腕輪に注がれる。けれど私は彼の視線に気付かないふりをして微笑んだ。これは【気に入ったから】着けているだけ。深い意味なんて何もない。
「今日からしばらくはこの屋敷に滞在してもらおう。心を震わせる檄文を書いてもらわねばならぬからな」
「閣下のお心遣いに感謝します。ペンの力で人心を掌握するのは、外交官にとっては見せ場ですもの。必ずや優秀な人材をポルタリカに贈らせて頂きます」
「これは心強いことだ。それともう一つ、君はこの策がなれば何処か向かう当てはあるのかね?」
「そうですね……もうモスドベリにもリルケニアにも居場所はありませんし、ポルタリカにはイオノヴァ様がいらっしゃいますから、ここも私の居場所ではない。であれば、三国の楔を離れたどこか。美しいものを、この瞳を隠さずに見られるところへ行きたいですわ」
“この世のどこにそんなところがあるものか”と自分の内から声がする。けれど私はその声に耳を塞いで、沸き上がってこようとするもう一つの声に蓋をした。私は外交官だもの。
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