*14* 突撃、隣の職場見学。
「おお……想像してたよりだいぶお姫様だ」
「お姫様がお姫様抱っこされて現れたぞ。今日非番だった奴ら可哀想に」
「滅茶苦茶美人さんじゃないですか。もしかして独身者に対する自慢ですか? そうですよね?」
「えー、見た目だけなら完璧に美女と美男だ。それに陛下はもうずっとイスクラ様を抱っこしてたら備品壊さなくていいんじゃないですか?」
「確かに! イスクラ様が毎日見学にいらして下さったら、訓練の度にオレたちの身体につく痣が減るかもな~」
こちらが一言も発する前に周囲を取り囲まれる気配がしたかと思うと、誰もが一気にワッと話し始めた。しかも少々聞き捨てならない発言も飛び出していた気がするのは気のせいかしら? 目蓋を閉ざしているのでどれくらいの人数がいるのか把握できないものの、突然太い男性の声を浴びるのは少々心臓に悪い。
手紙の改竄元を探す傍ら、イリーナがこちらにきてから一人で行う鍛練に限界を感じたというので、何が起こるか分からない現状で腕が鈍ると怖いからと、騎士団の方で対人鍛練をしてみたいと言い出したのでやって来たのだ。
前日までイリーナが怪我をするのは嫌なので止めて欲しいと懇願したけれど、彼女は頑として譲ってはくれなかった。ちょっと隅っこで休憩中の方にこっそりと頼もうと思っていたのに、すっかり感覚が麻痺していたお姫様抱っこという目立つ格好で現れた私達に、鍛練場の彼等はあっという間もなく気付いてしまったのだ。
「本日は皆さんの鍛練のお邪魔をしてしまってすみません。それにご挨拶も遅れてしまって。モスドベリからやって参りましたイスクラ・ティモールヴナ・ソロコフと申します。こちらは侍女のイリーナ。リルケニアには三ヶ月前からお世話になっております。これからよろしくお願いしますね」
この異様な空気に飲まれてはいけないと思って何とか挨拶をすれば、直後に「「「よろしくお願いします!!」」」と地面を揺るがすお返事が返ってきた。
申し訳ないのだけれど、素直に怖い。関係性がギクシャクする前のアンドレイもこんな感じだった。でも一人と集団は全然別物なのだと初めて知ったわ。
「ありがとうございます。フェリクス様の部下の方達は、やはり皆さんフェリクス様に似てお優しいのですね」
「いや……優しいというか、何も考えてないだけだ。それに俺も部下達も優しいと評される人種ではないと思う」
「ひでえ。同じくらい何も考えてないときあるくせに」
「優しくないのは陛下だけですって。巻き込まないで下さいよ」
「だいたい一番最初にイスクラ様がいらしたときに、訓練姿のまま汗だくで会いに行こうとしたの止めたの俺たちですよ?」
「そうそう。あのときに教えてなかったら、今頃イスクラ様もイリーナさんもモスドベリに帰ってるに決まってるぜ」
一度の発言で次々に返ってくる言葉の何と多いことか。そんな驚きがフェリクス様の肩に乗せていた手から伝わったのか、ふっと耳許で短い溜息が聞こえたかと思うと――。
「さっさと訓練に戻れ。これ以上恥を晒す行動をとれば、明日の訓練で向こう一週間無駄口が叩けなくなるくらい指導してやる」
そう今まで聞いたことがないような低く重みのある声で、フェリクス様が物騒な宣言をされた。瞬間ピタリと周囲の声が消える。特に声を張り上げたわけでもないのにこの効果。まるで魔法のようだ。
「どなたかわたしの鍛練にお付き合い頂けませんか? とは言っても、短剣しか使えないので、あまりお相手の方には鍛練にならないのですが」
けれどイリーナがよく通る声でそう軽やかに言うと、周囲から懲りずに男性達の声が上がる。何だかさっきまでより熱気と圧が凄い。ビリビリと身体を震わせる声にまたフェリクス様の肩に乗せていた手に力がこもる。
すると耳許で「イリーナ殿は武器を使うのか」とフェリクス様が聞かれたので、周囲の声にかき消えないように彼の気配に唇を寄せて「はい。彼女は私の護衛も兼ねてくれております」と答えた。すぐに「成程」とどこか愉快そうなビオラの声が返ってきたのでホッとする。
誰かちょうどいいお相手を見つけられたのか、イリーナが「では少し行って参りますわお嬢様」と言い残して行ってしまうと、その場に残ったのはお荷物な私と、私を抱えたフェリクス様だけになった。少し離れた場所から金属が擦れあって奏でる甲高い音楽と、イリーナへの熱烈な声援が上がる。
彼女の勇姿をこの目で見られないのは残念だけど、仕方がない。あとでどんな風だったのか聞いてみようと思っていたら、フェリクス様の「降ろすぞ」という声に反射的にドレスの裾を摘まんで地面に降り立つ。
「今日は我儘を聞き届けて下さってありがとうございます。私はここでお待ちしておりますので、フェリクス様もどうぞ皆さんと鍛練を――、」
「ここは庭園と違い危ない。今日は最初からここで貴方と部下達の訓練の様子を見ているつもりだ」
「そうですか。お手数を取らせてしまって――、」
「こちらが勝手にそうするだけだ。謝られても困る。それよりも座らないか? 昼までずっと立ったままでは午後からの仕事に響くぞ」
三ヶ月経っても相変わらず淡々としたその物言いに、近頃では萎縮するよりも先に苦笑してしまう。隣でフェリクス様が座り込んだ気配がしたので、私もゆっくりと膝を折ってレンガだろうか……の上に腰を下ろした。
夏を感じさせる空気の暑さとは違い、日陰はカラリとしていて過ごしやすい。お尻の下からひんやりとしたレンガの感触に、モスドベリでの生活では考えられなかったことをしていると改めて思うが、この気安さは嫌いではなかった。
毎日ずっと誰の目にも触れないように、父の執務室にほど近い書庫で書類の整理や調べものをする日々と違い、ここでの私は少し目が不自由な陛下の王妃候補。それもまともな女性があてがわれれば座を辞すお飾りだ。
妹のことも、アンドレイとのことも、誰も知らない。本当の私の姿を誰も知らず、憐れまれることも気味悪がられることもない。それだけのことでもう、充分に幸せだった。
「思ったよりも皆さん堅苦しくない気さくな方々で良かったですわ」
「ああ……今のは俺の直属の第二騎士団の者達だからな。兄の直属だった近衛騎士団と、ユゼフ直属の第一騎士団とは違って、さっきのようにあまり素行がよくない。騎士階級の家の三男や四男で作った寄せ集めだから不真面目だが気は良いな。多少手荒な訓練をさせても苦情が出ないのも良い」
日の当たる場所の賑やかさとは隔絶された空気を緩ませようと口にした言葉は、平坦なフェリクス様の声に意味をなさないものへと変わる。けれどそれでも構わない。この方の言葉に建前がないことも、卑屈なものが混じっていないことも分かっているからだ。
隣に座る彼のそんな強さが私は眩しくて羨ましい。私達二人の間に弾むような会話はないけれど、黙っていても息苦しさを感じることはなかった。
代わりに時折フェリクス様が「イリーナ殿の今の踏み込みはよかった」だとか。「あの場合は蹴りも有効だ」といった実況を挟んでくれる。
見えない私を楽しませるつもりではないのだろうけれど、そんな声に耳を傾けるのは思いのほか楽しかった。
でもそんな鍛練は途中から加わってきた第一騎士団のユゼフ様に見つかり、唐突に終わりを迎える。当然私達はそれはもう叱られた。この歳になってから叱られたのは初めてで、イリーナと一緒に笑いを堪えるのが大変だった。
それは何でもない日常のごく普通の風景で。そんな普通のものがある日一瞬で崩れ去ることを、私は暢気にも忘れて……いや、きっと忘れてしまいたかったのだ。
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