*13* 嬉しさ半分、不穏さ半分。
大きな箱が三つ、小さな箱が一つ、紙袋が大小五つ。そこにさらに小さな箱を一つと小さな紙袋を二つ足す。
中身は大きな箱がぬいぐるみ。小さな箱の一つは絵本、もう一つは木製の馬の玩具。紙袋はそれぞれシルクの産着と、小さなシルクの手袋と靴下、柔らかい生地でできたよだれかけを二十枚、汗疹ができたときに塗る塗り薬などなど。
色々なお店の主人に“初めて子供ができたときにもらって嬉しいもの”を尋ねたおかげで、かなり実用性の高い品を揃えることができたと思う。まだ性別が分からないので、どれも淡い暖色で無難に揃えてある。
知育系の玩具はまだ気が早いかもしれないとは思ったけれど、モスドベリでは買えないような意匠や織物を使ってあるものを選んだので、同じ赤ちゃん用品でも物珍しいはずだわ。
先日モスドベリから送られてきた妹からの手紙には、何と私に姪か甥ができるという素晴らしい報告だったのだ。まだ妊娠三ヶ月目らしいけれど、きっとグラフィナに似た可愛らしい子が生まれるに違いない。
もう一方の手紙はイリーナの叔父であるピメノヴァ商会からだったけれど……今は楽しい気分に浸りたいので忘れることにした。
国から持ってきておいたお金の使い道としては予想していなかったものだけど、あの子が出産間際になったとしても傍にいてやれないことを考えれば、これくらいの散財は何ということもない。
「ふむ、荷物が結構な量になってきたようだから、次の店についたらこの荷物を一旦馬車に預けてくるよ。二人は僕がいない間は店内で待っているように」
「今日はお忙しいのにお付き合い頂いて申し訳ありません、ユゼフ様。私達は馬車だけお借りできれば良かったのですけれど……」
「いや、構わないよこれくらい。いつもの君たちの働きに比べれば大したことじゃないからね。それにこの国がいくら治安が悪くない方とはいえ、流石にこんな美人を二人だけで街歩きさせるわけにもいかない。君に何かあったら外交云々もあるが、フェリクスがどうにかなる」
そこで何故フェリクス様が引き合いに出されたのか分からず曖昧に微笑んでいると、かぶせるようにイリーナが「護衛兼荷物運びを買って出て下さるなんて、本当に助かりますわ」と、重ねて感謝の意を伝えてくれた。
ユゼフ様が馬車に荷物を預けに行ってくれている間に、またさらに買い込んでしまって「女性は本当に買い物が好きだね」と、やや呆れた声で笑われる始末。
けれどその直後に「お嬢様は、ご自分の物は何一つ買われておりません」とイリーナが鋭く言う。慌てて陛下の乳兄弟に対して無礼な態度を窘めたけど、本当は少し嬉しかった。すると急にユゼフ様が私の手をとる。
「そんなことだろうと思ったから、はい。安物で申し訳ないけど、最近人気がある店の髪飾り。見えないだろうけどイリーナ嬢と君とお揃いだ」
ポンと掌に置かれた僅かな重みに驚き、イリーナも「まぁ……」と気まずそうな声をあげる。その場で二人して謝罪して、イリーナが髪に受け取ったばかりの髪飾りを挿してくれた。
その後は微妙にまだ距離を探りつつ無事に買い物を済ませ、待ってもらっていた馬車へと乗り込むことができたのだけれど……。
「今日一緒にいて不思議に思っていたんだが、イスクラ嬢は目が見えないのに色彩は分かるのだね? 店員に尋ねるときも色にこだわりがあるようだった」
馬車がゆっくりと走り出した車内で、ほんの少し低く尋ねてきたバイオリンの声音に“やられた”と思った。いつもより多少はしゃいでいたとはいえ、自分がこの国では微妙な立場である自覚がこのところ薄れていたのだ。
彼は、やはり和やかなまま今日という一日を終わらせてはくれなかった。咄嗟に言葉が出ずに押し黙ってしまった私に、ユゼフ様からの視線が刺さる。
――でも。
「それはそうでしょうね。お嬢様は十歳までは晴眼でしたから。十歳から三年ほどかけて徐々に視力を失われたので、それまで見えていた記憶は朧気にでも残っておられるはずですわ」
「ふむ、成程」
「むしろ今更なことを尋ねてこられますがユゼフ様……そんな残酷なことを急に仰るだなんて、想像力が欠如されているのではありませんか」
「その通りだな。おかしなことを言ってすまなかった。こんな失言をしておいて何だけれど、フェリクスに告げ口するのは止めてくれよ? あいつは口より先に手が出るから」
「あら、それは良いことを聞きましたわ」
ハハハ、ウフフと笑い合う私とフェリクス様の世話役の間に、轟々と真っ赤な火柱が立ったように感じた気がする。人混みに気を付けなければならない買い物中よりも緊張する、心休まらない帰り道だった。
***
フェリクス様に無事に戻ったとの挨拶と、一日休みを頂いたことへのお礼を改めて告げに行き、イリーナいわく視線で口止めをしてきたユゼフ様に見送られて戻った自室。
そのままベッドに倒れこみたくなるのをグッと堪えて、地味な色の外出着からさらに地味な色の部屋着へと着替える。着古したクタクタの部屋着はモスドベリにいた頃からの愛用品で、とにかく肌触りが心地良い。
ドレスのピシリとした生地も背筋が伸びて好きだけれど、根本はこちらの方がやっぱり好きなのだ。
「馬車ではありがとうイリーナ。あのときの咄嗟の貴方の切り返しは凄かったわ」
「いいえ。あのくらいのことでしたらお任せ下さい。わたしの一族は口から生まれたような者ばかりですので。けれどやはりユゼフ様には当初から変わらず警戒されていますね」
鏡台の前に座ってお化粧を落としてくれるイリーナに馬車での礼を述べると、鏡の中の彼女はそう苦笑を浮かべつつゆったりと首を横に振った。
「仕方がないわよ。乳兄弟の長男は出奔。次男まで私のような女を押し付けられて……何の疑いも持たない人の方が変よ」
「あんなに感じの悪い当て擦りをされたのに、お嬢様はお優しいですわね」
何がなんでも私の味方でいてくれる有能な侍女は、ユゼフ様が下さった髪飾りをさっさと髪から引き抜いて鏡台のひきだしに片付けた。しかもさりげなく一番使用頻度の低いところに。
おまけに自分の分は鏡台横の屑籠にサラッと捨てようとしたものだから、その手から髪飾りを奪って私の分が片付けられたひきだしに入れておいた。まったく油断も隙もない。
「もうユゼフ様の話はここまで。それよりもイリーナ、手が空いているときで構わないのだけれど、フェリクス様のお兄様の情報を集めて欲しいの」
「畏まりました。叔父にもそのように頼んでおきますわ。それでお嬢様、叔父から届いた
ピメノヴァ商会から送られてきたもう一方の手紙。その内容は私が去ったあとの領地についての調査依頼だった。けれど私がイリーナの叔父に伝えた建前は、辣腕を振るう商人の前にあっさりと剥ぎ捨てられて。
剥き出しの本音を読み取った彼の手により纏められた手紙……報告書には、アンドレイが着任してから、徐々に領民達の間に彼に対しての不信感が募っているとのことだった。それはまぁ、そうだろう。
私の婚約者としてあの領地を引き継ぐことになっていた彼が、肝心の私はおろか、屋敷の使用人達や、家名まで変えて新しい領主になったのだから。多少であれ不信感を抱かれないはずがない。
おまけに何を考えているのか、新しい伴侶を選ぶことに難色を示しているという。だが、これについてはもうグラフィナでなければ誰もいらないのだろうと予想されて、それが少し悲しくもあり嬉しくもあった。
――さらに言えば心配事はそれだけでもない。
「あちらの件に関しては、引き続き動向を探ってもらって頂戴。それからグラフィナの周囲の情報も深入りしないでいいから、探れる範囲で頼んで欲しいわ」
おしゃべり好きで手紙を書くのも好きな妹から二ヶ月以上もの間、まったく手紙がこないことはおかしいと思ってはいた。それも今回の手紙の内容に少しずつ紛れていた違和感のおかげで確信へと変わる。
「グラフィナ様の手紙を改竄した代筆屋を探すよう頼んでみます」
手紙の要所には、前後にもっと情報量があったように見受けられる箇所があった。流石に今回の妊娠情報に関しては、私から手紙の返事がないと妹も不審に感じるとの思惑があったのだろう。
器用に話の辻褄を合わせて筆跡を真似た手紙は、皮肉なことに無邪気な妹の書く文章よりも要点が絞れていて読みやすかったのだ。
「ええ、お願い。危ないようならすぐに手を引いてもらって。報酬はまた新しい貴族の顧客に繋ぐことで了承してもらえると助かるわ」
こんなに早く不穏な影が追いかけてくるだなんて、やっぱりこんな瞳を持つ私は呪われているのかもしれなかった。
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