*8* 真人間との交渉は大変だわ。
庭園での誓いの後、今度は事前に「抱き上げるぞ」とお声をかけて下さったフェリクス様にしがみつき、証拠の品を提供するために一旦私に宛がわれた部屋へと立ち寄った。
書類の使えそうな部分を纏めたメモをイリーナに持ってきてもらい、それを持ったイリーナと、私を抱え直したフェリクス様の一行は、書類仕事が行われる彼の執務室へと直行。私が怒らせたポルタリカの外交官を送り返すのに手を焼いているだろうユゼフ様を待った。
そうして疲労感を満載にして戻って来られたユゼフ様に、私からさっきフェリクス様にした説明とまったく同じ内容を話した。予想通り、明らかに気分を害した気配と苛立った溜息を吐き出したユゼフ様は口を開いて、
「駄目に決まってるだろう。君たちはまだ正式に結婚したわけではないのだから、リルケニアにしてみたらまだお客人扱いだ。それを急に国の中枢に関わる外交に割り込ませるはずがない」
――と、至極当然なお言葉を頂いてしまった。私が同じ立場でも同じことを言う。それくらい無茶なことを頼んだのだ。あっさりと頷くフェリクス様の神経がやや特殊と言うか……何故こんな大事を個人で叶えられる程度の内枠に入れたのか、と。
「第一、ポルタリカの外交官を怒らせておきながらさっさと姿を消した君たちに、そんな重要なことを任せられるとでも? いくら嫌な相手とはいえ、客人の見送りに出てこないのは論外だよ」
本当に、まったくもって言い訳のできない正論である。けれど私もまさかポルタリカの外交官を放って来られるとは思っていなかったので、これは不可抗……、
「僭越ながら申し上げますが、それについてはお嬢様は不可抗力ではないでしょうか。目の不自由なお嬢様が急に抱き上げられて抵抗できるとお思いですか?」
「そのことについては俺の責任だ。ただ彼女の働きは予想以上だった。彼との会談相手が俺では、すぐにでも言いくるめられて新しい王妃候補がポルタリカから送りつけられる。ならば彼女と式を挙げるまで食い止めてもらっておいた方が利口だ」
二人の息の合った援護に「それは……」とユゼフ様が口ごもり、私も援護を受けて思わず胸が温かくなる。でもここはお礼を言いたい気持ちを堪えて「いいえ、ユゼフ様の仰る通りです」と彼を援護した。何故かと聞かれたら、私も彼と同じ立場だったら……以下略だからである。
イリーナは私の言葉なら道理を引っ込めそうなところがあるし、フェリクス様は王家の人間にしては致命的なことに建前が不在。外交的に詰んでいる。これが小国の第二王子と第一王子の教育の違いなのかしらと思ったけれど、たぶん違う。
父から聞かされていたリルケニアの第一王子は、外交官としてやりにくい人種だという話だったから、彼の真っ直ぐすぎる性格は彼だけの特徴だ。そして私はどういうわけか、そんな彼の特徴が嫌いではなかった。
「ですから、私は公の場に影響するような外交に関わりたいわけではないのです。もっとこう、小さなことで構いません。そうでないと――……」
「そうでないと?」
「フェリクス様だけでは、いずれ溜まりにたまった書類が雪崩れてしまうかと」
目蓋を閉ざしているのだから見えるわけではないのだけれど、長年書類仕事を手伝っていたせいか、この執務室中に籠っているインクの香りからして、相当な量の書類が積まれている気がするのだ。それにフェリクス様もご自身が“軍事関係にしか明るくない”と評しておられた。
となれば、一般的な書類の整理は滞りがちになるのが道理。そしてフェリクス様の性格から推測するに、恐らく畑違いでまったく分からない書類でも、全ての内容に目を通されてから認印を捺されているに違いない。おまけに本人にはそれとは別に元からの騎士団の仕事もある。兼任は厳しいはずだ。
案の定指摘した直後にユゼフ様を取り巻く気配が堅くなった。図星を指されたと思ったのだろう。たたみかけるなら相手が揺らいでいる今だわ。
「失礼だとは思ったのですが、モスドベリからこちらに来る前に少々リルケニアの内情を調べさせて頂きました。国の規模として文官の数がやや足りていません。歴代の第一王子が政治に明るいからという理由だけではなく、これは慢性的なものですね?」
国の基盤が武力なのだ。よそから文官の血筋を入れたところでそれが定着して広がるのにも、歴史の中で勢いの差がある。子供は天からの授かり物。当然持って生まれる才能を選べはしない。
要するに、武に偏った子供の出生率の方が高いのだと思う。本当にそんな恐ろしいことがあるのかとは思うけれどそうとしか思えない。そして母国が私のことを捩じ込めると踏んだのも、私の家が文官の家系だったからだ。
「ユゼフ様、貴方もそうお思いだったからこそ、一時的とはいえ私のような者の身柄を受け入れる気になったのではないでしょうか。怪しまれるのは致し方のないことですが、手許にある駒は使うべきです」
なんて偉そうに言ってみたところで、半分はハッタリだ。流石に一国の実際の内情など、私が調べられる範囲のものではないもの。
「今さら隠したところで仕方がないからこの際もう言ってしまうけれど、確かに君の言う通りではある。君の家系はこの国において喉から手が出るほど欲しいよ。できることならもう少し御しやすいお嬢さんであれば、もっと良かったのだがね」
悩ましげなバイオリンの声音に、私の隣から「これだから懐古野郎は」と本当に小さな声でイリーナが呟いたのを聞いてしまった。内心聞こえたのではとヒヤヒヤしたものの、フェリクス様からもユゼフ様からも反応はない。考え事に集中しているようで助かったわ……。
それに今日のところはこの辺で交渉を切り上げた方がいいだろう。疑り深い相手から悩む素振りを引き出せただけでも充分だ。一度に多くを求めれば釣り竿は魚の重さに負けて折れてしまう。そうでしたわね、お父様?
「ユゼフ様もフェリクス様もお忙しい身ですから、この話は今日はここまでに。お二人ともお時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。フェリクス様、お約束していた書類は置いて行きますので、お時間のある時にでもユゼフ様とご一緒に目を通して下さいませ」
そう言い置いてゆるりとその場でカーテシーを取った私は、部屋まで送って行くというフェリクス様の申し出を丁重に断り、イリーナの手を借りて執務室を後にした。部屋から離れた場所で隣を歩いていたイリーナが「先程は堂々とされて素敵でしたわお嬢様。上手くいくと良いですわね」と褒めてくれたので、ほんの少し緊張が和らいだ。
「ええ、そうね。私の【瞳】には、綺麗なものを見せたいもの」
あのバラよりも嬉しい何かを、私は彼に返さなくては。
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