*3* 素直と無礼は紙一重。

 城の中に馬車が停まってドアが開けられる寸前、直前までの打ち合わせ通りに両の目蓋を閉ざすと、私の世界に一足早く夜が訪れた。


 馬鹿なことを考えついたものだと自分を嗤うも、目蓋の裏に張り付いた暗闇の中で、肩を抱き締めるように寄り添ってくれるイリーナの温もりを感じながら、馬車の外から聞こえる出迎えの人々の声と開かれるドアの音に身を固くする。

 

 ややあって開かれた馬車のドアから外気が流れ込み、不安を感じる私の頬を優しく撫でた。一人目の花嫁候補に逃げられたリルケニアの人々は、馬車からなかなか降り立たない私達に焦れる気配がしたけれど――。


「このような小国にようこそイスクラ嬢。まさかモスドベリの外交官殿のご息女にお越し頂けるとは光栄です。もしよろしければお美しい貴女のお手をとらせて頂いても構いませんか?」


 先陣を切って口上を述べる男性の声は、目蓋を閉ざしているせいで視界からの情報が得られないにしても、整った顔立ちをしていそうな風である。見えないせいで聴覚に頼るだけの世界は、いつもより少しだけ想像力を刺激した。


 初対面で恐ろしいものを見て息を飲む音ではなく、求めていた称賛は得られたものの、同時に身勝手にも虚しいという単語が脳裏に浮かんだ。私はいったい何様のつもりなのか。


 ただ差し出されているらしい手を取らない私を不思議に思ったのか、声の主がこちらを窺うような気配が肌に伝わる。隣に寄り添うイリーナの袖を引けば、彼女は心得たとでもいうように手の甲を撫でてくれた。


「このように温かく主を迎えて下さりありがとうございます。ですがどうか無粋に割って入るご無礼をお許し下さい。お嬢様は目がご不自由なものですから……」


 幼い頃から聴き馴染んだ麗しいイリーナの声に、出迎えに来てくれていた城の使用人達からサワリと動揺する気配が伝わる。今のところ敵意のようなものはないけれど、明らかな戸惑いが周囲に静かに浸透していく。


「皆様お忙しいところをせっかくお出迎え下さったのに、至らぬ身で申し訳ありません。貴方が私の夫となるソビエスキ様でしょうか?」


 余計な疑問を持たれる前にたたみかけるように言葉を紡げば、どうしたのかと訪ねようとした直後に「失礼」と声をかけられ、馬車が傾いだと思った次の瞬間には、爪先に固い地面の感触を感じた。


 恐らく声の主がイリーナの腕に掴まる私を引き離して馬車から降ろしたのだろうけれど、一切こちらに身構える時間を与えなかった動きはまるで早業だ。私が腰に添えられている掌に緊張していることが分かったのか、声の主は一人で馬車から降りてきたイリーナと立ち位置を交代してくれた。


「名乗りが遅れて申し訳ありません。僕はユゼフ・アウグスト・ルボミルスキ。先日愛に生きると飛び出した色ボケと……ああ、やっと来た。今の今まで汗を流して部下に稽古をつけていた筋肉馬鹿の乳兄弟です」


 そう独特な自己紹介の後、ルボミルスキと名乗った彼が身体ごと誰かに向き直る気配を感じて、見えないまでも俯かせていた顔を上げる。すると見当違いな方角を向いてしまっていたのか、さりげなく隣に立つイリーナが向きを修正してくれた。


 ゴッゴッゴッとだんだん重々しい靴音が近づいてきて、その音がすぐ傍で不自然にゴッ……と途切れる。途端につい今しがたまで気まずさから存在を消していた使用人とおぼしき者達が、小さく敬いの言葉をかけていく。


 短くそれに「ああ」と答える声は、私を馬車から降ろしてくれた人物のそれより少し低い。さっきまで相手をしてくれていたルボミルスキ様が華やかなバイオリンの音色だとしたら、今度現れた声の主はビオラの音色だわ。


 地に響くチェロやコントラバスとも違う中間の音色は、緊張した心を僅かにだが弛緩させてくれた。


「お待たせしたようですまない。客人が来るのを忘れていたわけではないのだが、部下に稽古をつけるのにすっかり熱が入ってしまった。そちらが――?」


「お初にお目にかかります、陛下。イスクラ・ティモールヴナ・ソロコフです」


「ああ……そうか、貴方が。俺はフェリクス・レヴェラ・ソビエスキだ。それで何故目を瞑っている? 砂でも入ったのなら医師を呼ぶが」


 ビオラに似た声の主が心持ちずれた気遣いを見せてくれたところで、ピシッと音がしそうなほどはっきりと周囲の気配が凍りついた。空気がこれ以上硬化しない間にイリーナが理由を説明しようとするも、先に「いや、フェリクスそうじゃない。彼女は目が不自由だそうだ。あと、公の場で【俺】は止めろ」と、ルボミルスキ様が説明とお説教を買って出て下さる。


 ――が。


「まさかまったく見えないのか? 釣書にはそんなことは書かれていなかったぞ」


 チッと鋭く空気を切るような鋭い音が聞こえた。間違いなく舌打ちだと思われるが、この場で舌打ちをするなど素直な方だと妙な感動をしてしまったではないの。一応欲していた称賛の言葉が得られなかったところからも、やはり私の見目は妹に遠く及ばないらしい。これも収穫だわ。


 掴んでいたイリーナの腕がわなわなと震えているけれど、当然の反応に痛む心などない。そんなものはこの話を受けた時に母国へ置いてきた。


 このまま相手が腹を立てたところで私とイリーナを殺して送り返しでもすれば、モスドベリの思う壷だ。せいぜい書状を持たせて送り返すくらいだろうけれど、そうなったらモスドベリは私達をまた国外へと放り出すだろう。


 実際に今回のこの扱いを受けて逃げないと思われているのも、よくよく考えてみれば腹立たしい。いっそのこと二人でモスドベリの内情を手土産に、ポルタリカへ逃げようかと思っているくらいだ。


 長年父の隣で秘書をしてきた自負はあるので、瞳さえ眼帯で上手くごまかせれば、市井に下りて裕福な商人の子供の家庭教師という働き方もできる。溜息にならないよう細く息を吐き出し、不本意ではあるものの謝罪して書状を持たせてくれるように持ちかけようとした、その時。


「バッ――……! 彼女たちに謝れフェリクス」


「何故だ。身体的な情報は重要なことだろう」


「それはそうだが、釣書の時点で好条件すぎることを怪しまなかったこちらにも落ち度があったのだから――、」


「落ち度? 何を言ってるんだお前は。イスクラ嬢と侍女殿、長時間の移動で疲れが溜まっているところを申し訳ないが、用意しておいた部屋の点検をする。その間は城の客室で待っていてくれ」


 目蓋を閉ざしている私達の前で繰り広げられる会話が、何だか思わぬ方角へ流れたことで、思わず「あの?」と口を挟んでしまう。


「その目では用意した絨毯だと毛足が長くて危ない。取り急ぎ新しいものを用意する。椅子やテーブルの配置も部屋の端に直す必要があるだろうから、短くとも半日はかかるだろう。部屋が整い次第呼びに行く。それでは」


 そう言いたいことを一方的に話終えるや、私の新しい夫候補は現れた時と同様にさっさとどこかへ歩き差ってしまったようだ。国賓扱いしろとは言わないけれど、あれでは普通の外交すらできないのではないかしら。


 迷いなく遠退いていく靴音に内心大物か紙一重だと感じていたら、隣のイリーナがほんの小さく「クソガキの次は無神経か」と呟いていたのは……聞かなかったことにしておこう。


「申し訳ないイスクラ嬢。あれは昔から話を聞かない奴でして。見た目と多少落差はありますが、悪い男じゃないんですよ」


「ええ、とてもお優しい方のようで、安心致しました。この目でお姿を見ることが叶わず残念ですわ」


「あー……と、失言でした。これだと僕もあいつのことを言えませんね。でもそれならむしろ良いところだけを分かってもらえるということかな。実のところポルタリカのお嬢さんは、あいつの見た目との落差に怒って帰ってしまったんですよ」


 ははは、と朗らかに笑うルボミルスキ様の言葉に、再び場の空気が凍りついたのは言うまでもない。そしてそんな無神経二号なルボミルスキ様に誘われて、お茶を楽しむこと二時間後――。


「何というのか……見た目と物言いがちぐはぐな方々でしたわ。お嬢様の中ではどんな男性を想像されました?」


 かなりくたびれた表情でそう尋ねてくるイリーナに苦笑し、先程抱き上げてこの部屋に案内してくれたソビエスキ様の堅い腕の感触を思い出す。


 彼いわく、


『不馴れな場所で侍女殿に掴まっての移動は疲れるだろう。この方が早く移動できる。二、三日は部屋でゆっくり休むといい』


 ――との心遣いからの行いだったようだ。あまりに短絡的で子供のような行動原理に、不思議と無礼や嫌だという感情は一切沸かなかった。その点を考えればルボミルスキ様の失言にも一理あるのかもしれない。


 質問の内容に少しだけ悩みつつ「アンドレイのように、がっしりした見た目の方かしら」と答えれば、イリーナは器用に片方の眉だけを動かして剣呑な微笑みを浮かべる。


「確かにあのクソガキと身長は同じくらいでしたが、見目はもう少し細くてよろしいかと。けれどまぁ何と申しましょうか……最初は脳筋から脳筋へとお相手が変わっただけだと思いましたが、この部屋とその説明を聞けばあれよりはずっとマシですわね」


 そう言ってクルリと二人で見回す部屋の中は、まったく統一性のない家具や色合わせのなっていない布小物の数々で溢れているけれど、一度目蓋を閉じてそれらに触れれば、どこにも角がなく滑らかであることが分かる。


 その的がずれた気遣いは半ば追放される形で国を出た私達には、おかしくて、ひどく嬉しかった。

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