*2* 駒なら駒の。

 明らかに警戒色を滲ませたイリーナに微笑みかけ、耳を塞がれる前に先手を打とうとさらに言葉を紡ぐ。


「私はこれから嫁ぐ先では、人前で目を開けないことにするわ。無論夫となる方の前でもよ。目が不自由なことにするの」


「……それはどういうお考えでのことかお窺いしても構いませんでしょうか?」


 自分でも突拍子のないことを言っている自覚は大いにある。本当に目が不自由な人からすれば、赦しがたい悪ふざけだと思われるだろう。何より端から見ているイリーナにしてみれば、気がふれたのだと心配になったとしても無理はない。現に絶望感からか、イリーナの顔色がみるみる失せていく。


 優しい侍女で、頼りになる姉で、これからは背中を預ける戦友になって欲しいとも思う。当然断られれば諦めるけれど、私なら綺麗さっぱり無視を決め込んでしまうだろう発言に、素直な彼女は耳を傾けてしまった。


「私は自分が目蓋を閉ざしているところは当然見たことがないけれど、閉ざせば愛される容姿になれるというのなら、お相手と国民のためにそうすべきだと思うのよ。友好関係を結びに送られてきたのが私のような者では、あちらも馬鹿にされたと憤ります」


 一瞬眼帯という手も考えたけれどそれだと傷のある娘を嫁したことになる。いくら格下と侮っている小国とはいえ最初から傷があるのは外聞が悪い。しかし直前まで粘って手にいれた情報だと、第一王子に嫁ぐはずだった令嬢はポルタリカの有力貴族の娘だった。


 馬鹿にされたと腹を立てた娘の父親とポルタリカ王が揉めている間に、モスドベリが次の花嫁候補として私を捩じ込み、次は花嫁ではなく軍を派遣されるのではと恐れていたリルケニアは、あっさりとモスドベリの申し出に頷いたのだ。


 それ故に私はこの策ですぐに叩き出されるとは思っていない。いずれポルタリカからまともな娘を寄越されて離縁されるとしても、少しくらいの猶予はあると踏んでいる。それに両目が揃っていたからといって、必ずしもそれが良いというものでもないのだから。


 すでに釣書は送ってあると言われたけれど、たぶん取引材料として不利な瞳のことには言及していないだろう。少なくとも私ならそうする。


「それは発想が飛躍しすぎなうえに、ご自身を低く扱いすぎでございますお嬢様」


「貴方は昔から私を買い被りすぎだわ。それに私も一度くらい美しいと言われてみたいのよ。そのためには口が固くて忠義に厚い協力者が必要なの。駄目かしら?」


 この瞳で真正面から覗きこんでも怯えないのも、不快感を露にしないのも、妹と両親を除けばイリーナだけだ。彼女の翡翠の瞳には、不揃いな赤と青の瞳孔を持つ私の顔が映っていた。俗に言う金銀妖瞳だ。


 私の瞳は虹彩異常の一種で視力の低下や病気からくるものではない。けれど社交界では悪魔憑きのようだと陰口を叩かれた瞳は自分で認めるのもなんだけれど、今日も今日とて恐ろしい。


 珍しくすぐには折れてくれず、かといって即座に拒否もしないイリーナと睨み合う時間がしばし流れたけれど、フッと眉間に刻んでいた皺を和らげて「仕方がありませんね」と微笑んでくれた。


「お嬢様は昔から滅多に我儘を言い出さない代わりに、一度言い出すと絶対に折れませんでしたもの。今回もわたしがお付き合いしますわ」


***


 途中の街で宿泊を挟んでからさらに三日後。街道の幅がどんどん広くなり始めたのは、おそらく目的地が近づいてきた証拠だろう。


 馬車は軽快に走り続け、収穫を待つ作物を風になびかせる広い畑や小さな村が点在する地域を抜けていく。そうして二時間後、ようやく城壁都市から発展を遂げて国となった王都オレニアの城壁が見えた。


 歴代の戦の爪痕を残す城壁の外堀にかけられた跳ね橋を渡って城門を潜り、オレニアの敷地内に入った瞬間それまでの揺れが嘘のように静かになり、小国家とはいえ道がかなり丁寧に舗装されているのだと分かる。


 興味を惹かれて目蓋を持ち上げすぎないように伏せそっと外の景色を窺うと、若干の文化の違いはあれども、暮らしていく上でいきなり不自由を感じることもなさそうだった。


 出立前に聞かされていた情報が古かったのかとも思ったけれど、もしかすると端から相手方が劣っていると決めつけていたのかもしれない。到着して早々に狭量な母国のお偉方達にげんなりとしてしまった。


 夫を迎えるまでの代理とはいえ外交の一部を担った身としては、モスドベリ王家の外交を軽んじた姿勢に苛立ちを感じる。仮に表面上の和睦であろうとも、ただでさえ厚顔にも私のような見目の人間を送り込もうというのに……気が咎めたりしないのだろうか。


 まだ離れた位置に見える質素だが質実剛健といった城には、モスドベリの城にあったような尖塔はなく、平坦なターレットを持った実戦向きな形をしている。それを取り囲む城壁は自然石をそのまま積んだ荒削りな姿で、その積み方の複雑さに目を見張った。この国には腕の良い石工が多いようだ。


 城下町の店に並ぶ商品は母国でも見たことがない珍しいものばかりだ。しかもポルタリカからのものだけではない。そのさらに向こうにある国々からの輸入品もあると思われることから、これがコウモリ外交の強みかと唸ってしまう。


 国民の肌色も白だけでなく、黄や黒、中間と様々にある。政治の場以外で外国との交流があまり盛んでないモスドベリでは珍しい光景に、彼や彼女等の母国語を聞いてみたいという好奇心が胸の内に沸き上がる。


 馬車の窓から見る景色に安堵したのは私だけではなかったようで、正面に座って窓の外の景色を食い入るように見つめているイリーナを見ていたら、肩から程よく力が抜ける。


 モスドベリの紋章が入った馬車が珍しいのか、小さな子供達が興味津々といった様子で手を振ってくれた。あの子供達は、この馬車に乗っているのが自分達の国の第二王子が新しく手配した花嫁だとは知らない。それにもしもこの瞳の秘密がバレてしまえば、あんな風に無邪気な視線を向けてはもらえないだろう。


 城の姿が近付いてくるにつれ、流石に今から成そうとする無謀な嘘に緊張から口の中が乾く。なかなか沸かない唾を飲み込む真似をしていると、そんな私の姿を見ていたイリーナが「やはりお止めになりますか?」と笑う。


「まさか。もうすぐゲームが始まるわ。駒としての持ち場につく前に、作戦の最終確認をしてしまいしょう」


 賽はすでに投げられた。投げた本人は知らんふり。それなら選ばれた私達もそんな賽など蹴とばして、好きに盤上を駆けるまでだわ。

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