第16話 16、若返り
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深夜、千本は車庫に向かった。
千本が暗闇の車庫に入るとLED照明が点いた。
ムンクさんとラさんが待っており、ムンクさんが点灯したのだった。
エレベーターで地下一階に入ると奥のコンソールの左前に電話ボックスが出来上がっていた。
その電話ボックスは少し昔のスタイルで、木製で出来ているように見えた。
必要かどうかは定かでないが、屋根の先端から電話線らしいものがコンソールに接続されていた。
電話ボックスの中には公衆電話そっくりの緑色で塗装された電話機があり、ご丁寧に隅の棚には分厚い電話帳が置いてあった。
「マさん、こんばんわ。これが転送機ですか。すばらしい古風なデザインですね。気に入りました。」
「お気に召していただき、ありがとうございます、千本様。転送機の使用法をご説明致します。電話ボックスに入って扉を閉めて下さい。受話器をとり000-0000-0000にダイヤルすれば千本様はホムンクさんの宇宙船の中の転送機に転送されます。」
「私が転送されるのですか、そうすると持っていた電話機は落ちる訳ですか。」
「正確に言えば電話ボックスの内側全体が転送されます。ですから受話器を持ったまま転送されます。周囲の景色が変わったら転送完了ですから受話器を元の位置に戻して下さい。そうすれば扉を開けることができます。でも扉の外はどんな状況になっているのか分かりませんのでホムンクさんの指示があるまで扉を開けない方が良いと思います。」
「わかりました。どんな仕組みで私は転送されるのですか。」
「今千本様が存在する4次元時空界は未来に向かって進んでおります。ですから4次元時空界は次々と作り出されております。今の物質の上に今の次の時間の物質が重なります。4次元時空界では過去はありません。未来に続くだけです。それまでの過去から未来までの4次元時空界の重ね合わせで一つの5次元時間界が形成されます。5次元時間界は一つの世界を形成します。千本様が転移されると新たな5次元時間界が発生します。千本様がホムンクさんの宇宙船にいて、私がここにいる世界です。その新しい5次元時間界の過去は前と同じです。このような5次元時間界の無限の重ね合わせで6次元時間界が形成されます。6次元時間界は可能性の存在する5次元時間界を全て含んでおります。6次元時間界を制御できるホムンクさんは少なくとも7次元時間界に存在すると同等の技術を持っていると思われます。7次元時間界にいて初めて6次元時間界から隣接可能な二つを近接させ、5次元時間界の電話ボックス分を入れ替え、新たな時間界にするのだと思われます。その技術は私には不明です。日本を過去の日本と置き換えることがホムンクさんには可能でしたから、現在間での電話ボックス程度の空間の交換はホムンクさんには容易だと思われます。」
「すごいですね。さすが1億年もの切れ目のない文明進化に土台を置く技術です。マさん、観自在菩薩って知ってますか。どこでも自在に観ることができる能力を持つ仏教での仏様です。ホムンクさんの持つ技術は観自在菩薩の能力と同じかそれ以上だと思います。ということは過去にホムスク人が地球に来たことがあったのかもしれませんね。」
「私にはわかりません。ホムスク人の宇宙探険時代に地球にも来ていたのかもしれません。今回のホムスク人の試みに地球が選ばれたのですから。ホムンクさんはホムスク人の過去の全てを記憶されておりますから、ホムスクさんにお聞きになったら良いかと思います。」
「そんなことをホムンクさんに聞いても大丈夫でしょうかね。」
「問題ないと思います。その情報の付加はホムンクさんに課せられた命題に対しては許容範囲内だと思います。先ほどから「思います」と言っていますが、蓋然性95%です。ホムンクさんは地球人にとって、そして私にとっても桁外れな存在なのです。」
「いろいろありがとう。マさん。そろそろ0時になりますからいってきます。どれくらい時間がかかるでしょうか。分かりますか。」
「宇宙船でどれくらいの時間がかかるのかは不明ですが、帰ってくるのは今から1分以内だと思います。ホムンクさんはその時刻に向けて送り出すでしょうから。」
「理解しました。それでは行ってきます。」
千本は電話ボックスに入り、ドアを閉め、閉まったことを確認してから受話器を取り、そしてダイヤルした。
呼び出し音が2回鳴ってホムンクさんが出た。
千本は外の景色がどんな風に変わるかを期待していたが、呼び出し音が始まる前に電話ボックスから見える景色は瞬時に変わった。
像がぼやけるとかの現象は無かった。
もっとも、辺りは白色の壁に囲まれていた。
千本の予想では静かな簡素な庭園の片隅に電話ボックスがあり、そこでホムンクさんが待っているのだろうと想像していた。
予想と違って辺りは白一色。
千本は予想を裏切ったホムンクさんに更なる興味を持った。
「千本さん、移行が完了しました。ドアを開けて出て下さい。私が迎えにいきます。」
千本が電話ボックスのドアを開けて外に出ると、空気は準備されており、重力も1Gになっているらしい。
床は良く解らなかった。
柔らかいのだが丈夫そうだった。
リノリウムの三枚重ねという感触であった。
千本はいつもの通り、半袖のシャツに白ズボン、ウエストポーチを巻き、底がすり減った長靴をはいていた。
ホムンクさんは前方の白い壁の中から現れた。
内灘海岸に現れた時と同じ、金属光沢の暗黒の目を持つロボットの姿であった。
人間とそっくりのムンクさんやラさんを見れば、ホムンクさんにとって人間と同じ姿になることは容易である。
あえてロボットの姿で現れてくれたことにホムンクさんの親心を感じた。
それに、ホムンクさんの周りには影があった。
「こんばんわホムンクさん。よろしくお願いします。どのようにすればよろしいのですか。」
「こんばんわ千本さん。良くいらっしゃいました。ここは私の宇宙船の中です。私の宇宙船の大きさは1㎞程度ですが質量は地球の質量を超えております。地球の存在する4次元時空界に存在させると地球に重大な影響を与えますので常に7次元時間界に停泊させております。宇宙船に対する外部からの摂動に対応するため宇宙船内の時間速度は早めてあります。千本さんは宇宙船に入ることは出来ません。すぐさま老化し塵になります。これが千本さんをこの白壁の内側で出迎えた理由です。宇宙船の内部ですが、周囲の白壁の内側は千本さんの存在する4次元時空界に同調させております。白壁の内部に居る限り大丈夫です。それでは私の左手を握って下さい。ご一緒にまいりましょう。」
千本はホムンクさんの左手を握った。
実体があり、暖かかった。
ホムンクさんはそっと千本の手を握り、浮遊して千本と共に前進した。
前の白壁を通過するとそこには電話ボックスが二つ並んだような箱があった。
奥の箱には若い時の千本と良く似た人物が空中に浮かんでいた。
目は閉じていた。
60歳ということであったがずっと若いように見えた。
「これが千本さんになるクローンです。クローンが居る次元はここの次元とは異なっております。千本さんは左側のボックスに入って下さい。中央のしきりが無くなりクローンは千本さんと空間的に重なります。千本さんと同じ遺伝子から作られたクローンですが、現在の千本さんと全く同じというわけではありません。何の経験を持たない状態で育ったクローンなのです。千本さんの人世における経験が千本さん特有の骨格、筋肉、神経組織、そして脳の神経網と各細胞の電荷量を作り出しております。現在ここにあるクローンとは全く違うのです。ですからクローンは千本さんの体と合致するように成長させねばなりません。千本さんと重なり、現在の千本さんの人体構成と同一になるよう成長させます。クローンの存在する次元の時間進行は早めてありますから時間はかかりません。この方式の前の方式では脳の全細胞の電荷をクローンに植え付ける操作をしておりましたが、その方法では意思の伝授がうまく行きませんでした。記憶の移植は出来たのですが意思が違ってくるのです。それで全ての細胞を育て同一にすることにしました」
「それでクローンは若く見えるのですね。まるで中学生か高校生の時の写真で見たような気がします。」
「千本さんの体に合わせて成長させると、最終的には現在の千本さんの姿になります。でも体を構成している細胞は若いのです。千本さんは時間の経過と共に今の姿から若干若返ると思います。」
「分かったような気がします。私はこれからクローン上で生きることになるのですね。今ある体はどうなりますか。」
「時間停止状態で保存しておきます。ご希望なら消滅させてもいいのですが、千本さんはそのお体に愛着を持っていると思われますが。」
「ご迷惑でなかったら保存しておいて下さい。今の私ですから。そんな気がします。」
「わかりました。そうします。」
「そろそろ始めますか。よろしくホムンクさん。」
千本には長い時間経過が感じられた。
突然、視界が二つに見えたが、すぐさま再び元に戻った。
それで終わったと感じた。
千本の視界には前と変わらない白い壁が見えていたが二つのボックスには仕切り板が生じていた。
そしてその向こうには千本がいた。
半袖のシャツと白ズボンと長靴とウエストポーチを腰に巻いている。
向こうの千本に動きはなかった。
あわてて身の回りを確認すると同じシャツとズボン、長靴とウエストポーチを巻いている。
下着も着けているようであった。
「千本さん。終わりました。ボックスから出てもいいですよ。」
千本はボックスからゆっくり慎重に出ると、そこにはホムンクさんが立っていた。
「ありがとう、ホムンクさん。質問したいことがいっぱいあります。よろしいですか。」
「なんでもどうぞ。」
「ボックスの中にいる元の私には動きがありません。時間の進行を遅らせているのですか。そして私が巻いているウエストポーチは新しく作ったものでしょうか。クローンは若かったのですが現在の私の脳の体積や筋肉は最盛期よりは減少しているはずです。今の私を作る過程では多くの細胞が失われたのでしょうか。」
「ボックスの中にいる千本さんの時間はボックスの外にいる千本さんの時間進行速度と比べると止まって見えるほど遅くなっております。もちろん進行速度の遅い世界で暮らしてもその世界では何の支障もなく時間は進行しているのです。あたかも早い時間進行のホムスク星と遅い時間進行の地球のようにです。ボックスの中にいる千本さんは紛れもなく生きております。時間進行を同一にすれば二人の千本さんが出現しますがそれは現状ではしない方が良いと思います。ボックスの中にいる千本さんは今私が行っている説明を聞くことは出来ません。ボックスに入った時の千本さんそのままなのです。次にウエストポーチの件ですが、ウエストポーチや衣服はナノロボットが作りました。ボックスの中の衣服がオリジナルです。それから脳とか筋肉の体積の件ですが、筋肉の細胞は一部が自発的に消去されております。昔の千本さんの筋肉や神経そして内蔵諸器官と同じにするため成長されなかった細胞がありました。それらの細胞はアポトーシスで消去されます。脳細胞は消去されませんでした。千本さんの脳は既に萎縮が進行しておりましたから必要とされる脳細胞の数は若い時の細胞数よりも少ない数で複製できました。ですから使用されていない脳細胞は脳内に残っております。それらの脳細胞は今後の活動で活性化されると思います。筋肉や皮膚や内臓組織の現在は元の千本さんと同じ数ですが、それらを構成する細胞自体は若いので必要とされる時は自らが対応すると思います。肉体は少しずつ若返ると思います。」
「分かりました。自分が自我を持ちつつ存在しているとは不思議な気分です。どうぞ昔の千本を保存しておいて下さい。擬似時間停止ですか。いつでも昔の自我に戻れるということですね。感動しました。もう一つ質問していいですか。ホムンクさんは観自在菩薩という言葉をご存知ですか。仏教の中に出てくる仏様の一つです。この仏様の出来ると言われていることは私が知っている範囲でのホムンクさんの持つ技術と同様です。過去未来、如何なる場所を見ることが出来るという力です。そのことから私はホムスク星人が過去に地球に来たのでないかと思いました。ホムンクさんが地球を選んだことが傍証となります。ホムスク星人は過去に地球に来たことはありますか。」
「あります。でも千本さんの想像とは少し違うのではないかと思います。ホムスク星人が実際に宇宙を行き来するホムスク星の冒険時代には地球には人類は存在しておりませんでした。生物もいなかったのかもしれません。私が地球を選んだのは偶然です。ホムスク星では出発のほんの少し前に情報を得るため地球にスカウトを飛ばしました。地球時間ではおそらくそれが今から数千年前であったかもしれません。スカウトはロボットですが私と異なり、探査専用です。地球文明には影響は与えなかったと思います。」
「ありがとう、ホムンクさん。もう一つ質問してもいいですか。私がこの宇宙船に来た時ホムンクさんは私が白壁の領域外に出ればすぐさま老化し塵になると言いました。それは今いるここから考え出された表現だと思います。もし私が白壁の領域外に出れば私はホムスク星と同様な早い時間速度の中で残りの一生を過ごせることになります。宇宙船の中をゆっくり見学できることになります。ですからすぐさま老化し塵になるのではなく瞬時に見えなくなるが正しいのではないでしょうか。」
「失礼しました。おっしゃる通りです。」
「ホムンクさん、今日はほんとうにありがとう。自意識の継続を感じます。今日は自宅に帰り、新しい肉体を風呂に入って見たいと思います。」
「それでは電話ボックスにご案内します。」
千本は車庫に転移され、マさんとムンクさんとラさんの出迎えを受けた。
千本は未開地球人だったらしい。
ホムンクさんは若返りが成功裏に終了したと思った。
尽きせぬ興味を持ち続けたこと、若返り前の事項に関しても疑問を提示したこと。
「全てよし」であった。
こんど千本さんには宇宙船の内を見せてあげようと思った。
きっとびっくりするだろう。
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