第3話  3、ホムンク

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 大きな政治体制の変化にもかかわらず、千本の生活はほとんど変わらなかった。

千本は生産活動には歳をとり過ぎており、食料生産のための徴集から外された。

政府はいくらでも紙幣を印刷できたので年金は以前と同じ額が支払われた。

実際に働いている人々の給料は倍増していたので千本の収入は実質には半減していた。

しかしながら、千本はつましい生活も好きだった。

 その日、千本は裏山の孟宗竹(もうそうちく)を取除く作業をしていた。

竹は地下茎が浅く、山の斜面を安定させないし、竹の葉は分解されないで残る。

竹林の地表では他の植物は育たないし、繁殖もずうずうしい。

竹をロープで倒れないようにしてから根元から切断し、山の斜面に沿って引き降ろし、70㎝ほどに切断してから手斧で半割する。

半割すれば若竹でもすぐさま燃やすことができる。

 千本はかがり型の焼却炉を自作していた。

最初は量販店で既成の焼却炉を使用したが、裏山の小枝や土を含む畑の草木を燃やすには容量が小さく、数年使うと錆びた。

次にブロックで焼却炉を作ったが、土を含む灰の処理が面倒だったし、雨が降ると燃え残りが濡れて燃やしにくかった。

最終的に行き着いた構造は時代劇での陣屋などの照明のために登場する篝(かがり)であった。

市販のアングル材で縦45㎝横90㎝、高さ90㎝の骨組みを作り、45㎝高さの位置にステンレスの針金を荒く組んで籠を作った。

草木は空中で燃えることになり、灰は下に落ちて溜まらない。

 千本が焚き付けに火を点ける直前、携帯電話が鳴った。

携帯電話に表示された相手の電話番号は「000-0000-0000」であった。

千本の電話番号はどこにも公表されておらず、ほんの数人しか知らなかった。

千本は自分の電話帳に記録されていない電話は受けないことにしていたが表示された番号は異常であったし、明白に「異常」であるということを知らせている電話に興味を持った。

悪意を持つ者ならそんな異常を示すはずはないし、そんな番号はありえなかった。

 こんなことを可能とする何者かが関わっていると心の準備をしてから千本は電話を受けた。

「はい。」

「私は別の星から来たホムンクと申します。川本千本さんですか。」

「はいそうです。」

「日本が過去に遷移されたのは私が行いました。あなたに興味があります。協力してくれませんか。」

「どのような協力でしょう。」

「日本文明を急速に進展させるための協力です。」

「私の生命は保証できますか。」

「保証します。」

「それでは協力することに問題はありません。具体的な詳細をお聴かせいただけますか。」

「高性能のロボットを作る会社を興します。私は表に出られないので貴方にそれを実行してほしいと思っております。より詳細な説明のため今夜内灘海岸までお越し下さい。その方が納得できると思われます。」

「いいですよ。時間と場所は。」

「いつでもどこでも結構です。こちらで探しますから。」

「何か必要なものがありますか。」

「ありません。貴方は高齢ですし、遺書を書いておかれるのが良いと思います。」

「ご親切に。今夜行きます。それでは失礼します。」

 電話を切った後、千本は興奮した。

それは異常な電話だった。

着信履歴は記録されていなかった。

こんな異常なことを行える者、別の星から来て日本を過去に移動したと平気で話している者、千本が訝(いぶか)りもせずに電話に応答したことに何の違和感を感じない者、そして礼儀を示さず遺書を書いておけと言った者。

相手は地球人ではないと千本は確信した。

まるでロボットのようだった。

 千本はかがりの新聞紙に点火した。

竹の焼却には二時間が必要であるが、時間は十分にあった。

千本は若竹が赤い熾(お)きに変わってから家に入りシャワーで汗を流してから遅い昼食のインスタントラーメンを作った。

千本は自炊生活をしており、朝はパン、昼はラーメンか焼きそば、そして夜は米のご飯を食べるのが千本の食事であった。

 千本は書斎のデスクからタイプ用紙を取り出し、簡単な経緯を記し、遺書をしたためて机の引き出しに入れた。

千本に近しい身内はいなかった。

インスタントコーヒーを作ってタバコを吸ってから携帯電話の着信履歴を見た。

やはり、あの電話の着信履歴は記録されていなかった。

千本は深呼吸してから習慣としている後眠に入った。

仰向けではなかなか寝付けなかったが横になると3時間の睡眠が得られた。

 日が暮れてから千本は夕食の準備を始めた。

冷蔵庫からご飯のパックを取り出し、レンジで温めてから舟形のカレー皿に入れ、レトルトカレーを載せてから再度レンジで暖めた。

いつもはこれに目玉焼きを載せるのだが、この日は手抜きした。

そして食卓でテレビを見ながら食事することもなく、書斎でネットのニュースを眺めながらカレーライスを食べた。

「異星人」での検索でも新しいニュースも入っていなかった。

 22時、千本は四輪駆動のジムニーで内灘に向かった。

なじみのスーパーは夜0時まで営業しており、昼食のラーメンの買い置きを買うため、客の少ない深夜に買い物に行くのは千本の常であった。

ジムニーは軽自動車で太いタイヤを付けている。

出力は非力だが自重が軽いので海岸の砂浜を走行するには適していた。

 念のため散弾銃2丁にスラッグ弾を装填し、予備弾20発をつめた弾帯と共に後部席に置いておいた。

ベネリM2には弾倉だけ、有鶏頭付きのM97には薬室まで装填した。

有鶏頭付きであればハーフコックにしておけば車の振動でも暴発することはない。

警察に見つかったら不脱包ということで銃の所持許可は取り消されるであろうが、たいしたことではない。

少しでも罪を軽くしようとする姑息な考えのため、有害鳥獣捕獲隊の腕章をつけた猟友会のチョッキと帽子を畳んで被せておいた。

熊猟にはいつ出動命令が出るか不明だから常に用意してあるとでも言い逃れるつもりだった。

 内灘に着いたとき千本はホムンクが「内灘海岸」と言ったことを思い出した。

なぜ内灘ではなく内灘海岸と言ったのか。

波打ち際が説明には必要とされるのであろう。

それはホムンクが海から現れることを意味する。

そして納得する説明には海にある何かが必要なのであろう。

 千本は覚悟を決めていた。

別の星から来た日本語を自由に駆使できる何者かに圧倒的な興味を抱いた。

それは目に見えるのであろうか。

千本は人気の少ない大学裏の海岸砂丘に入り、慎重に海岸線に下りていった。

何かあって逃げなければならないときには海岸線を走って防波堤までたどり着けば良い。

そこの傾斜は緩やかで容易に道路まで到達できる。

いざとなればそこで発砲すれば誰かが気づくであろう。

ウインチェスターM97では無理だがベネリM2なら立射50mなら的に当たるはずだ。

 千本は波打ち際から20mの位置で車を海岸線と平行に止めた。

そしてライトを消してからエンジンを切った。

周囲50mに人影はなかった。

雲はなく月は満月に少し欠け、星々の光輝を相対的に弱めていた。

海岸線は陸から数メートルにわたって青白く淡く光っていた。

夜光虫が波に乗ってあおられ光を発している。

波打ち際の泡の輪郭だけが強く青白い。

風は凪(な)いでおり、波打ち際の波泡のはじける音が聞こえる。

千本は携帯電話を取り出し時間を確認した。

23時50分であった。

 携帯灰皿とガストーチをポーチから取り出し、胸ポケットからタバコを取り出し、ガストーチでタバコに火をつけた。

風がないとはいえ海岸でガスライターを使うことは点火できない可能性を持つ。

そんな様子をどこかで観察しているであろうホムンクに見せたくはなかった。

地球の未開人が精一杯の虚勢を張っているようで、そんな自分を千本は苦笑した。

千本はホムンクが海から来ることを確信していた。

そうでなければ海岸を指定した意味が無い。

 ホムンクは海からやってきた。

海の中を歩いて来たようだった。

水面に頭が出て、近づくに従って顔、首、胴、脚、足と出て来た。

彼の出現によっても水の飛沫はとばず、水は彼の存在などを認めていないようだった。

水にとけ込んでいるようにも見え、水が彼を突き抜けているようにも見えた。

彼は透明ではなかったが彼の背景の海を見ることは出来た。

 千本は目の前に起っている現象をどのように自分を納得させうるかに悩んだ。

それは一コマ毎に千本のいる海岸とホムンクが存在する空間が高速で交互に映っている映画のようだった。

千本はこの世の4次元時空間に出現する幽霊は別の時空間に存在しているのであろうとする彼なりの考えを持っていたので、ホムンクを幽霊と考えれば納得できると考えた。

 彼は歩いて千本の前に立った。

予想通り砂の上にホムンクの足跡は残っていなかった。

彼はヒトの体型をしていた。

背の高さは千本と同程度、中肉中背、金属光沢。

顔の造形はヒトと同じ配置で、目は黒い穴であった。

その黒は光を反射しない、真の黒であった。

 「川本千本です。ホムンクさんですか。」

「そうです。」

ホムンクの声は心地よい響きであった。

千本の耳は高音部が聞こえない老人性の難聴になっていたが、ホムンクの声は潮騒の騒音があるにもかかわらずヘッドフォンで聴くように明白に聞き取れた。

その理由はいくつか推測できたが千本は無視した。

「私の協力についての詳細をお話しください。」

何の修飾も付けず千本は言った。

「私を怖くはないんですか。」

千本は感心した。

普通なら「怖くはないのですか」であろう。

ホムンクは千本の言い回しをも使っている。

「初めての経験ですから怖いです。でも興味があり興奮しております。子供みたいですね。」

「私はどのように見えますか。」

千本は悩んだ。

ホムンクの存在をどのように表現すべきなのか。

千本は持論を言った。

「幽霊のように見えます。私のいる世界とは別の次元に居るかのようで重なって見えます。日本を過去に遷移させたことから推測すると私が想像できないような相当な技術力をお持ちのようですね。」

 ホムンクは千本を選択したことが誤っていなかったことに満足した。

「協力できますか。」

「生命の保証をしていただけるとのことですから安心しておりますが、許容できる範囲で詳細を説明していただけますか。」

「この国の文明を恒星間移動ができるまでに短期間、百年程度で高めることが出来るか否かを命題としております。そのための間接的な助力をすることができます。私が文明の進歩に直接介入することは禁じられております。川本千本さんが表に立って文明を進歩させてほしいのです。最初は進歩に必要な道具としてのロボットを生産します。実際の生産技術は私がお教えします。」

 「壮大な計画のように思えます。期間が百年程度とのことですが、私の年齢は68歳です。私はこのままでは百年間も生きていられないという蓋然性が高いと思われます。その点はどのように計画されておりますか。」

「生命の延長に関しては考えてあります。貴方の体はその機構上必ず老化します。貴方のクローンを作り、貴方の記憶と意識をクローンに移すことによって貴方の全ての記憶と意識を百年間はおろか千年でも続けさせることができます。この技術は恒星間移動には必要なものになると思います。」

「想像できます。数年前に観た映画の技術版というところですか。ところで質問していいですか。」

「どうぞ。」

「貴方は『命題』と言う言葉と『禁じられている』と言う言葉を使いました。それは貴方にはさらに上位に位置する誰かがいることを意味しております。貴方は誰かに命令された代行者のようなものですか。」

「そうです。私は代行者です。そして私に命令した者はここにはおりません。」

 千本はおぼろげに背景が理解できた。

とてつもない技術を持つ何者かが未開の地球で実験を開始するためホムンクを派遣したのだ。

そして「代行者」という説明はホムンクがその何者かの意思と技術の全てを持っているということを意味した。

ホムンクは神とも言える何者かと同じということである。

「質問に答えていただきありがとうございます。これから私はどのように行動すればいいのでしょう。」

「工場を造ります。そのためにはお金がある状況が必要です。貴方の携帯電話にその方法を伝えます。指示に従ってください。」

「了解しました。もう一つ質問してもいいですか。」

「どうぞ。」

「私を選んだ理由はなんですか。選択基準を話すことができますか。」

「理由は最適そして結果的に唯一だったからです。選択基準は引退した老人であること、科学者であったこと、研究分野を変えた経歴を持つこと、世間から認められていない新分野の研究を続けたこと、その研究が死後に評価されることです。」

「貴方が日本を過去に移動したことは周囲を見れば理解できますが、貴方は未来も見ることができるのですか。」

「世界が変わらなければ観ることができます。今は世界が変わりましたから変わる前の世界の未来とは異なります。」

「追加の質問にも答えていただきありがとうございます。最後の基準を聞いて嬉しく思います。そうですか。以前の世界では死後に評価されたのですか。嬉しいですね。他に何かありますか。」

「今日はここまでです。他にはありません。」

「貴方が消えてゆくのを観ていてもいいですか。」

「いいですよ。ではまた。」

ホムンクは海に向かって歩み始めた。

そして来たときと同じように水と共存するように深みに消えた。

 千本はこれまでの人生を満たされた気持ちで想い出した。

千本は世界でだれ一人行っていない研究を続け、生物学の一つの学問分野を新たに開いた。

ヒトは両親から一つずつもらった2つのDNA組を持つ2倍体である。

それよりも多いDNA組を持つ細胞は多倍体細胞と呼ばれる。

多倍体細胞の性質は2倍体細胞の性質とは異なるので、多倍体細胞で構成されたヒトは現在の2倍体ヒトとは別の能力を持つ可能性を持つと考えられる。

このような考え方から千本は研究を続けてきたが、千本を取り巻く世界は医療の当面の要望を満たすためか2倍体ヒトにおいての応用を追求していた。

2倍体ヒトでの能力限界が認識されるようになれば多倍体ヒトにも興味が持たれるはずではあったが、それは現在の世間の要望からはかけ離れていた。

 千本は生物学を研究する前は量子化学を学んでいたので、定年後に全く別の分野で枯れかけた精力を注いだとしてもそれほどの違和感は感じられないであろう。

それが選択するための三つ目の基準だったのであろう。

 千本は車に戻り、タバコに火をつけてからホムンクの消えた波間を見つめた。

これからの人生はおもしろいものになると微笑んだ。

ジムニーのエンジンをかけて一気に海岸砂丘を登り家に向かった。

帰路の20分間、千本は無言であった。

記憶の反芻をしていた。

ガレージにジムニーを入れてエンジンを切ったとき千本は思った。

「今度ホムンクさんに会ったら触らせてもらおう。」

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