第2話  2、日本の対応

<< 2、日本の対応 >>

 少数の外国人を除けば地球は日本のものとなっているはずだった。

原子力潜水艦という最強の装備を持っていたロシアや中華人民共和国の乗組員は日本の脅威とはならなかった。

大部分が男性であり、人数も少なかった。

 日本にとって最も警戒しなければならなかったものは駐留していた米軍だった。

強力な武器を持ち、人数も多く、家族を持つ者も多かった。

しかしながら彼等は日本を支配できるとは思わなかった。

一時的な優勢を勝ち取ることができたとしても、本国が存在しないので人員の補給ができない。

軍事力の彼我(ひが)の差は想像すらできない程でもない。

支配はやがて破綻することになる。

 彼等は日本に同化するか母国に戻るかしなくてはならなかった。

日本周囲に敵はいないので日本での基地の存在意義もなくなっていた。

彼等はできる限りの資材を積み、アメリカ大陸に新たな集落を作ることを選んだ。

その集落は数万の人口を持つ、エリートを含む町ということになる。

その町では人も生まれ、人口も増えるに違いない。

 問題は数万人では文明は発展しないということだ。

コンクリートを作るためには砂利と砂とセメントが必要である。

砂利や砂を採取するには重機が必要であり、重機を作るには例えば鉄とゴムとエレクトロニクスが必要だ。

ゴムとエレクトロニクスは在庫がなくなれば終わりである。

トランジスター、コンデンサー、銅線などは数万の人口では作ることができないであろう。

鉄も精錬から作り出すには更なる材料が必要とされる。

知識は本や記憶媒体に蓄積されてはいるが、それら全てを担う人員は数万人では不足だ。

機械の故障と共に文明は衰退するであろう。

世代が代れば知識も失われる。

彼等は日本に帰化した方がよかったのかもしれなかった。

 日本政府は先ず食料の生産に着手した。

一年以内にとりあえずの食料生産の基盤を確立しなければならない。

一年を乗り越えれば食料は無人の海外でも生産できるようになるだろう。

政府は国民に希望を伝えた。

「数年耐えれば世界は日本のものである」と説いた。

 政府は共産主義的な行動を取った。

日本には戒厳令や非常事態宣言を発令できる法律が無かったので、総理大臣は最初に「緊急事態」を布告した後、国会を開き、非常事態宣言の発令権を得た。

そして直ちに非常事態を宣言した。

個人や会社などの土地の所有をいったん放棄させた。

そして現住家屋、実動施設、実動建造物、そして実動農地をもとの所有者に無償で貸し与えた。

 神社、仏閣、墓地などは保存された。

そしてもちろん自分たちの公共施設は保存した。

日本人は日本存亡の岐路に立っていることを認識していた。

そして、それはやむを得ない政策であることを大部分の日本人は理解した。

当該政策が今の生活をとりあえず保証していたからだ。

 日本国民が共産主義国家になることに納得したのは、この共産主義施策が5年の短期間だけ適用され、5年後には自由主義国家に戻り、接収物を元の所有者に戻すことを約束していたためであった。

はたして5年後の日本がどのようになっているであろうかを予測できた者は少なかったであろう。

 食料増産のために必要な人員は募集の他に徴集によっても確保された。

会社の破綻による生活維持に不安を持った人々、生活保護を受けている人々、そして健康な体を持つ無職の人々が食料増産のために徴集された。

そこには体力を保持していた老人も含まれた。

大部分の不幸な外国人観光客はそれに加わるしか生きる方法はなかった。

外貨は価値を失った。

食料増産は日本が生きていくための当面の課題であったため、募集や徴集によって集められた人々には日本国の平均賃金のおよそ2倍以上の賃金が支払われた。

政府は日本国全体で生産に関わらない人間が無くなるような施策を矢継ぎ早にとった。

 新たな農地が急速に作られた。

休耕田は再開発され、新たに接収した土地を食料生産に使用した。

それらの土地やその周囲は集められた人々の生活の場となった。

そこでの生活は苦しいものではなかった。

重機が大量に投入され、植え付けや植物の維持に必要な費用の全てが政府によって支給された。

集められた人々は農業や畜産業にたずさわった経験がなかったが、政府が招いた指導者に従って生産に関与した。

 新たに作られた農業、畜産業、林業、漁業は効率を考慮した近代的な構造を採った。

政府の施策は食料生産のためには何でもありだった。

これまでのルールに従った既得権の主張は封殺された。

人々には「全て5年待てば安定する」と希望を持たせた。

新たな農地は増え、畜産業、漁業、林業も高収入ゆえに活気を取り戻した。

とにかく政府は自由にお札を印刷できるので社会構造の変化は問題にならなかった。

 医師は標的の一つとなった。

政府による薬価の操作で彼らの生活は安定ではあるが過度に裕福とはならないように操作された。

先ず日本の国民皆保険の医療制度は廃止された。

日本国民の医療費は廉価な登院診療料金のみとされ診療報酬は医師による請求制とした。

年間の請求額の上限が定められたため、医師の年間所得の上限も自動的に定められた。

全国民には認識番号が付与されていたので、国民の健康状態もおおよそ把握することができた。

全国民に付与された認識番号は国民を支配する道具として大きな力を発揮したが、それは国民の権利の象徴でもあった。

 教育には政府の意思を反映した莫大な資金が投入された。

国立大学には必要な教育費用は全て供給された一方、私学大学への補助金はなくなった。

数年経てば国立大学には貧富貴賤を問わず優秀な人材が集合し、多くの私立大学は閉鎖に至るであろう。

私立大学は資金が豊富な特殊な大学のみが存続した。

 教育に関しての改革は義務教育にも及んだ。

言葉通りの「義務教育」を提唱し、小中学校で一定の学力を身につけることが日本国民の義務であるとした。

小中学校を卒業できないかぎり日本国民としての権利は生じなかった。

そこには日本国の置かれた現況下で発展しつつ生き延びなければならないという命題を実行するための政府の冷徹な意思があった。

日本国民には「小中学校で教育を受ける権利」という人としての権利はなくなった。

小中学校の教師の権限は飛躍的に上昇した。

中学校を卒業できなかったら未来の生活は保証されないであろうことを政府は宣言したからである。

 食料さえ確保できれば人は力である。

政府は人口の増加を画策した。

子供を持つ家庭には税を大幅に緩和し、子供がいない家庭には加税し、独身成人には生活が不安となるほどの高税を課した。

たとえ生理的に子供が出来ない家庭であっても容赦しなかった。

平均的な国民にとって、結婚し子供を作ることが生きる伸びるための必須手段となった。

無人の外世界は日本人を受け入れるには十分な広さを持っており、子供が成長する頃には開拓団も編成できるであろうと政府は考えていた。

重要なことは開拓地での生活は日本国内と同等になることで、あたかも国内の一地方となることであった。

使用される言葉が日本語という一つの言語であることから、大きな問題は発生しないだろうと考えた。

 一年が経つまでもなく、政府にとって最も迅速さが求められていた食料問題はなんとか無事に解決された。

政府は市町村に食料会社を設立し、多くの人々を職員として雇用した。

職を失った多くの人々はそこに雇用された。

生産は所有者から取り上げた土地の農地化も含まれていた。

無制限とも言える資金に支えられ、国内の平地の多くは水田となり、区画整理された美しい田園風景を作り出した。

落ち着いた田園風景は飛躍的発明発見の父である。

 とにかく生産に携われば生活するに不自由はなかった。

かような共産主義的手法は長期に維持されればいずれ破綻することを政府は知っていた。

人は手を抜くものだからだ。

しかしながら日本国中のほぼ全員が未曾有の有事が日本にそして地球に起ったことを知っていたので働く手を止めることはなかった。

 日本は当面の危機をおおきな混乱も無く乗り越えることができた。

本当の危機においては、日本政府は真摯によく働いた。

危機に乗じた政治体制の矢継ぎ早の変革により日本国にあったこれまでの問題点も修正した。

時限的に共産主義世界の手法を採用し、非常事態であることを主張し、不満は封殺した。

これも世界の地下資源が保証されているはずであるので出来たことだった。

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