ある少年の話2
田中さんに話を戻そう。
予備校についた田中さんは、まず最初に入り口で体調チェックを受ける。
MEME-01の場合だと、愛憎、異国、上野、襟といった風に、「あ」から「わ」までの間で一つの音につき一つの単語を口に出すことで脳内での感染状態がある程度確認できるため、ほぼ全ての施設でこの簡易テストが行われている。
ただし、このテストは繰り返し行われるうちに自分がテストで回答する四十八の単語を暗記してしまう人が出てくるため、効果を疑問視する声もある。しかし、これの代替となり、かつ民間施設で簡単に実践できるテストは開発されなかった。
体調チェックを終えた田中さんは、指定された教室の席につく。ソーシャルディスタンスに基づき、生徒が座る席は一個飛ばしとなっている。
実は、この席配置に関しても実際には効果が疑問視されていた。というのも、飛沫感染等と異なり、人の声というものは席一つ分の距離を離しても容易に聞こえてしまうからだ。これは生物的な能力の問題であり、ただ席を離しただけでは効果がないと言えるだろう。
ただし、田中さんもそうであるように、教室の生徒は講義が始まるにも関わらず耳栓をつけたままである。このように耳栓を併用する場合だと、一人分の席を空けて座ることは声の絶対的な音量を下げるため、いくらかの効果を見込むことができた。
しかしながら、耳栓とソーシャルディスタンスを組み合わせてもMEME-01の感染リスクをゼロにすることはできないため、当時の専門家の中には「MEME-01に感染し、それを克服した新人類が現れてくるのを待つしかない」とか「国際的な壁を越え、世界中のスーパーコンピューターを連動させ、人の意識をコピーしてその中で生き、MEME-01の治療法を研究するしかない」といった極端な意見を述べる者もいた。
それらの意見は一考の価値はあったものの、実際は人権・倫理的な面や国家間の確執を越えることはできず、実現することはなかった。
さて、教室に講師が入ってきたようだ。
「……」
「…………」
講師は手の動きで何かを示し、生徒と田中さんも同じように手の動きを返す。
手話による会話である。通常の手話をベースに、あらかじめ決められたジェスチャーを載せたプリントが生徒に渡されている。
このような会話方法は、予備校や学校に限らず、あらゆる施設で取り入れられており、どうしてもフェイストゥーフェイスでコミュニケーションを取らなければいけない時に活用される。
そして最初の挨拶を手話で済ませた後、田中さんは机の上に置かれたタブレットを起動する。
口頭での講義ができない以上、生徒たちはタブレットで過去の講義映像を見て、現在の要領と異なる部分を追加で学ぶ形式となっている。
新たな講義映像を撮ることは感染防止のために許可されておらず、逆に過去の映像に登場する人物はMEMEー01に感染している可能性がゼロであることから、どうしても過去の講義映像を活用するしかないのである。
それからきっちり四十五分間、田中さんを含めた生徒は映像を鑑賞し、折り返しの四十五分間で追加分の講義と補足説明を筆談で受けることとなった。
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