ある少年の話

 MEME-01について、一つの例を挙げてみよう。

 その少年、田中太郎(仮名)さんは大学受験を控える高校三年生であった。

 ある日、田中さんは予備校に通うために電車に乗っていた。

「…………!」

「……?」

 田中さんの耳に、人の声は届かない。電車の中の乗客は田中さんを含め、皆が耳栓をつけていた。

 感染症対策はまず予防から。MEME-01は言葉を介する感染症であるため耳を塞ぐか、そこになんらかのフィルターを備えることが効果的である。

 人は習慣的に会話をする生物である。MEME-01はそれを利用し、自己を増殖させるために人間を「喋りたい」という気持ちにさせる特徴があった。

 つまり、MEME-01を引き起こす※¥/>という言葉を知った人は、それを口に出したくてたまらなくなってしまうのだ。

 そのような背景から、ウィズミームに移行した当時の日本では、全ての人が耳栓をすることは欠かせない。

 とはいえ罰則があるわけではないので、どうしても気が緩んで感染者と会話し、自分もMEME-01に感染してしまう人もいるし、耳栓についても「九九%の情報をカット」と謳われている高額商品ですらMEME-01を完全に防げるわけではないため、感染者の増加には歯止めがかからないままであった。

 田中さんのような受験生をはじめ、本来は風邪やインフルエンザを予防されるためにマスクをつけるのがこの時期の人々の習慣であったが、MEME-01はそれらを越える脅威であるため、マスクよりも耳栓が優先されている。

 むしろ、MEME-01に感染したことによる症状は、風邪やインフルエンザを遥かに超える上に重篤な副作用もあり、情報を媒介するというその性質からワクチンや治療法が未だに確立されておらず、感染者を隔離することで精一杯であった。

「※¥/>! ※¥/>!」

「――!?」

「!!」

「???」

 その日、田中さんが乗り合わせた乗客の中に、一人の感染者が紛れ込んでいた。

 感染者は狂乱状態に陥りながら※¥/>を連呼し、乗客が恐怖に顔を青ざめながら逃げ惑う。そして、感染者が十回から十五回ほど※¥/>を発話した後に、従業員に取り押さえられた。

 この時の感染者の様子について、田中さんは「白目を向いて痙攣し、涙と涎を垂らしながら、舌を噛みそうな勢いで繰り返し何かの言葉を口にしていて、非常に恐怖を感じました」と答えている。

 田中さんが言っているのは、MEME-01の感染者には代表的な症状である。

 MEME-01に感染した人の脳内は、※¥/>という言葉に支配されてしまう。

 それは※¥/>という言葉が記憶されるというだけでなく、あらゆる言葉が※¥/>に置き換わると考えられている。

 つまり、まさに今、私が書いているこの文書のありとあらゆる言葉は※¥/>に置き換わり、文章は虫食い状態となって意味消失することだろう。

 例えば「私は今この文章を書いている」という文章だと、


  ※¥/>ま※¥/>※¥/>ょ※¥※¥/>※¥/>る


 といった風になる。

 これが感染者全てに見られるMEME-01の主要な症状であり、感染者と意思疎通が難しくなることで研究を妨げる大きな障害でもある。

 また、田中さんが言っていた「白目を向いて痙攣」することについても、MEME-01では多く見られる。

 意識内で言葉の置き換えが行われることが身体症状に繋がるとは一般的に考えづらいかもしれないが、MEME-01は例外である。

 感染者の脳内であらゆる情報が※¥/>に置き換わるということは、私たちが本来長い時間をかけて色々なことを記憶し、蓄積された情報を思考によって繋ぎ合わせる作業がMEME-01のせいで高速で行われるということである。

 つまり、感染者はほんのわずかな時間でこれまで生きてきた年数分の習得言語が次々と※¥/>に置き換わるという経験をすることであり、その時点で感染者はパニックに陥るか精神に異常をきたしてしまうケースがほとんどである。

 また、器質的に見ても、MEME-01による※¥/>の増殖は脳細胞を著しく活性化させ、ほとんど全てのニューロンが常時発火状態に陥り、脳内を大量の電気信号が駆け巡ることとなる。

 これにより、感染者にはてんかん発作と非常によく似た症状が現れることとなる。

 しかも厄介なことに、MEME-01は感染者をてんかん発作の状態にした上で、自己を増殖させるために※¥/>を連呼させるのである。

 以上のように、MEME-01の予防において個々人の我慢や意志の力には限界があり、それはMEME-01が人間を精神的肉体的に追い詰めて理性の力を失わせるためであると言えるだろう。

 そのような背景から、人々は自衛の手段として耳栓をすることが精一杯であった。

 政府が主導して国民すべての口に何らかの装置をつける案も出たが、生命活動に影響があるとの指摘も多数あり、実際に生命が危険に晒されたケースもあったことから国会での法案可決はひとまず見送られ、国内メーカーがより高度な装置が開発されるのを待つこととなっている。

 なにより、この時代の日本は顔を合わせて会話をすることを重要視し、それを前提とした社会構造をしていたため、インターネットが発達しているにも関わらずそこで生きる人々の多くは口頭以外で正確に意思疎通をすることに難があったと今では考えられている。

 要するに、そのような法案を可決してしまえば経済自体が危うく、かといって社会全体で歩調を合わせて一気に大きなパラダイムシフトを行うのは難しいという現実がそこにあった。

 こうしたしがらみの中で、MEME-01は社会の中で大いに猛威を振るっていたのだ。

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