離れ小島・1

 シャワーヘッドを颯はつかむ。水を出す。手に掛けて、温度を調整する。頭の天辺から、勢い良く出る湯をかけていく。短い黒髪につけたリンス、淡い橙白色の肌をおおう泡を落とす。キレイに洗い流した後。今度は、冷やす。手足の先から順に、水を掛けていく。体の中心に至る。水を止めた。壁のフックにヘッドを戻す。


 湯船と向き合う。横に長い箱形。片方は、入った時にもたれかかりやすい斜めだ。右足を入れる。「ヒッ」と、短い声をあげる。身がすくむ。慣れらしたはずなのに、氷を足したように冷たい。出る訳にもいかない。せっかく、くんできた湧き水。無駄にしたくない。我慢と、颯は自分に言い聞かせる。ブラインドが掛かった窓を背にして立つ。膝下に溜まった水に、波紋ができた。


 水面がおさまる。まぶたを閉じた。颯は唱え出す。他の人には、理解できない言葉。呪文にも聞こえる。中心にして、渦を描き出す。体に沿って、水が昇る。螺旋を描いた。頭の天辺で折り返す。口を閉じる。流れるとおりに、水は湯船に戻った。静けさに包まれる。まぶたを開いた。


 湯船を出て、栓を抜く。流れきったところで、シャワーで洗い流す。脱衣所に出て、バスタオルで水気を拭く。上下とも、新しい肌着を身に付ける。髪をドライヤーで乾かす。藤紫色の袖無しのワンピースを着る。あつらえたばかりの。脱衣所を出た。


「よお! 来ていたのか! 湯浴みならぬ、水浴みをしてきたな」


「颯くんの方が向いているのが、問題よね。呪いが解けた証かしら」


 麻木 諒(あさき りょう)を見つけた。艶のある黒のワンピース姿の。同じく、袖無しだ。颯は声を掛ける。彼が答えるより先に、話す声が割り込む。


 右頬に右手を当てて、母の美琴(みこと)が考え込んでいる。シルフィア世界の長の仕事に専念させてやりたい、気持ちがあらわになっていた。話したはずだけど、と、颯は眺めやる。代理を務めるルシアとラフィッツが民から絶大な人気を得ていて、信頼も寄せられている。変えるのは、得策じゃない。末席に加わった、太古の存在の方々からは、新しい世界で学んでこい。旅して回った話を、酒のつまみに聞きたがっていると読んだ。


「意味を教えて欲しい」


「本家で、誰が神職を継ぐのか、もめているんだ。俺が見たところ、誰が継いでも大丈夫なんだけど。現職の方と、とんでもなく仲が悪くてね」


「颯くんが候補に挙がっているんだね」


「うん。少し、マシって言われた。あらかじめ、神在月に、出雲の国へ行って、ご挨拶して来ようと思っている」


「自分が就いても良いか? 機嫌を損ねないか?」


「まあね」


 コソッ、と、諒に訊かれた。颯は説明する。アルバイト先には話してあり、がっかりさせた。まだ、未定とは言いにくかった。妙な感じはするが。頼まれるなら、まっとうしようと思う。


「誰が継ぐかは、本家に任せるしかないよ」


「そうね。石頭に、何を言っても無駄ね。……あら、禊は済んだのね」


「うん。偉い方々に、挨拶してくる。お遊びに付き合わされると思うけど。明日の朝には、帰って来られると予想している」


 皆から視線を向けられて、父の理人(りひと)がなだめる。美琴は思い直す。目が合った颯は、出発すると告げた。帰宅の予想時間も。一気に、諒が緊張する。


「切り上げられると思う?」


「話が判る方々なので」


 理人が話を振る。虹が答えた。余計なことは伏せて。遊戯の審判を務めさせられると、推測していた。朝には、終わっているとも。ただ、流れる時間が異なる。ズレが生じた場合。時間を司るナイオスツァイトと、空間を司るスィエルアスタの助けを借りる。


「帰ってきたら、バタンキューだね。明日が休みで良かった」


「起きたら、ごちそうが待っているよ」


「ワアー、楽しみ」


 精神力を使い果たして、爆睡すると颯は伝えておく。亜理紗が約束する。こわばった顔で、諒は喜んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る