第15話

「いやだぁ――」

 MRI検査室の前には、泣きじゃくる女の子と、彼女を囲むように立っている困り果てた大人4人が立っていた。

「陽菜。この画像を撮らないと、病気がどうなってるかわからないんだよ」

 両親と思われる二人が、道添陽菜の横に座り込んで一生懸命説得しているが、陽菜はいやいやをくり返し泣くばかりだ。

 近くに立っていた看護師と検査技師が救いを求めるように伊波を見る。看護師が伊波に耳打ちをした。

「どうしてもMRIが怖いって言うんです。伊波先生からも説明してあげてくれますか」

「わかりました」

 伊波は道添陽菜に歩み寄り。固く冷たい床に膝をつく。陽菜も伊波を正面から見た。これは、両耳側半盲と言って両耳側の視野が欠損しているため、正面を向かないと物が見られないためだ。


「陽菜ちゃん」

 陽菜は無言でこちらを見た。ふっくらした頬に、度のきつい眼鏡。眼鏡の奥の目には、涙が一杯たまり潤んでいた。しゃっくり上げる小さな声。

「せんせい……」

 伊波の胸は踏み潰されたかのように軋んだ。やらなくていいよ、と言ってあげられたらどれだけ良いか。伊波は一呼吸してから言った。

「陽菜ちゃん。MRIの機械が怖いの?」

 陽菜はピンク服を着たのカバの人形を携えている。頷くと、顎のラインが消える。肥満は頭蓋咽頭腫のよくあらわれやすい症状だ。視力の低下も。

「なにがこわいの」

「音。あとは……まわりの機械」

「まわり?閉じ込められているみたいで怖いってこと?」

 陽菜はジッと黙っている。

「多分そうだと思います。ちょっと閉所恐怖症なところがあるので」

 後ろから母親が言った。母親は細身のジーンズにショートカットだった。

「じゃあ、少しお散歩しながら話そうか」

 伊波がそう言うと、陽菜はほっとしたように伊波に着いてきた。ほかの大人達も少しほっとした表情を見せていた。

 伊波はロビーを通り過ぎ、ちょっとした休憩場所に座った。大きな窓と、テーブル、それに自動販売機がいくつかある。廊下を通り過ぎる際、何人かの患者さんが挨拶してくれた。

二人はあいているテーブルに陣取って、伊波は道添陽菜に、以前からくり返し説明されたろうことを、もう一度かみ砕いて説明しようとした。しかし、道添陽菜は急に口を開いた。

「先生、先生は何でお医者さんになろうと思ったの」

「え?」

 道添陽菜は周りを見回していった。

「ずっと患者さんを見てて、忙しいし、たいへんだよね」。

「大変だけど……患者さんの方がもっと大変だし」

そう言いかけて、伊波は言い方を変えた。何かがそぐわない気がした。

「綺麗だから」

「きれい?」

「うん。上手く言えないけど……がんばって生きようとしてる人の目は澄んでて……強くて、綺麗だよ」

「ふうん」

「陽菜ちゃんももちろんそうだよ」

そう言うと、陽菜はぱっとこちらを向いた。

「本当?」

「本当だよ。先生の方がずっと弱虫だよ。こわいものがいっぱいある」

これは本音だった。自分が、脳の病気だと言われたら、まず精神的にショックを受け、前向きに治療するまでにはかなり時間がかかると思う。

「こわいものって?」

「傷つけることかな」

「でも、先生は治すんでしょ」

「そうだね。先生は治すのが仕事だからね。ぜったいに傷つけないようにって思って手術するよ」

 伊波はなんだか余計なことを話しているような気がした。失敗が怖いなんて患者を不安にさせるようなことを言ってしまった。

「でも、それはいいことじゃない」

「え?」

「こわいって思ってたら、気をつけようと思うでしょ。こわいっておもったら、乗り越えようと思うでしょ。それで、強くなるんじゃない?」

「そっか……」

 伊波は目からうろこが落ちるような気がした。ざわざわとほかの患者の話し声が聞こえる。伊波は背筋を伸ばした。目の前でカバの人形を持ち直している幼い女の子に心から尊敬の念を抱いた。

それから伊波は検査室に戻りながら、陽菜に手術の為にどうしても写真が必要なことなどを説明した。陽菜は先生が怖いなら、頑張ると言ってくれた。

 MRIを取る前には少しぐずったが、最終的に画像を撮ることが出来た。全員がほっとした。道添陽菜の祖父はこの地域の名士だった。この病院にも多額の寄付を寄せてくれている。なので、道添陽菜とその家族への扱いは丁寧に、ということを脳外科のメンバー達は院長から直々に言い渡されていた。下手をすれば、病院全体の今後に関わるということだ。伊波は息を吐き、肩の緊張を緩める。ところで、伊波も病棟へ戻った。


外来が終わり、伊波は画面に最後の必要事項を入力していた。最後のエンターキーをカチリと押してから腕を思い切り上に伸ばす。自然にあくびが出た。腹も鳴る。ついでに首がポキリと鳴った。

「あ、やべ」

「どうしました?」

「いや、首ぽきぽき鳴らしちゃったなと」

「ああ、首とか肩を無理に動かすと、血管壁が剥がれる原因になるんすよね」

 看護師の宮間がそう言って笑った。黒い肌とベリーショートの髪は、真冬でも夏を彷彿とさせる。伊波の机にあったコーヒーのカップを持ち上げる、カチャンと言う音がする。ほかの看護師はもう帰ったらしい。

「伊波先生」

「なんですか」

 伊波は画面に向かって薬の名前をぱちぱちと打ち続ける。あと報告書が三枚あるのだ。

「芳田雪音さんの事っすけど」

急に芳田の名前が出て、伊波はドキリとした。

「あの、ずっと言わないとって思ってたんすけど。言うのが遅れてすみません」

 伊波が振り向くと、宮間は部屋の入り口付近に立って申し訳なさそうに足下を見ていたが、キッと顔を上げた。

「芳田さんのベッドサイドモニタが、夜の間一時間くらい切れてたんす」

「え?」

「どういうこと?ああ、停電の所為?」

「違います。ほかの患者さんのモニタも確認しましたが、電源が一瞬落ちてたのは芳田さんのだけです」

そう言いながら、宮間は携帯を取りだして写真を見せる。

「これです」

それはモニタの履歴を写したものだった。日は芳田が急変した当日の物だ。たしかに、ちょうど停電のあたりで履歴が途切れていた。

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