真相そしてあなたのステキな恋人編
第47話 ボーイ・ミーツ・ワイフ
天道寺さんと杉田の運命を変えたからだろう。
やから男子中学生三人の怒りと暴力の矛先は、どうやら僕に向いたようだ。
いやようだも何も向いてた。
ばっちばっちに向いてた。
勘弁してよもぉー。
「おう、なにしてくれてんだよボウズ。人が気持ちよく祭終わって帰ってるってのによぉ。おい、てめぇー、どこ中だ」
「わぁ、この頃からその脅し文句って使われてたのね。知らなかった」
「てめぇー! 舐めてってブッコッスゾオラァーっ!」
「イキッテンシャネェルゾォ、ルァー!」
「分かった、分かった。分かったから日本語で話して?」
なるほど、タイムリープというか、運命改変ものでは鉄板よね。
誰かの不幸を代わりに受けて主人公が最後に消えちゃう系。
けど、こんなどうしようもなく現実的で、まったくもって画にならない、挙げ句の果てに感動感ゼロのオチってあります。
タイムリープの目的は果たしたんだから、さっさと未来に戻ろうよ。
まさか今回も失敗とか言わないよね。
これで失敗ならもう、何やっても失敗する気しかしないんですけれど。
「なに言ってンだオラァーッ!」
「やっちまおうぜ、こいつ!」
「ガキャァッ! チョッシコイッテンネーゾゥウウ!」
「最後の子、ちょっと言えてなくない! ねぇ、ちょっと台詞が言えてなくない! もぉー、やだぁー! なんでこーなるのよぉー! 誰か、助けてぇー!」
未来も世界も友達も救ったってのにあんまりだよ!
電車の中に轟く僕の甲高い悲鳴。
あわや、ヒーロー殴られる寸前。
このピンチにいったい誰が駆けつけるのか――。
って、駆けつける訳ないだろ! 僕が駆けつける方だよ! なに言ってんだ!
「こらぁー! あーちゃーんをー! いじぃーめぇーるぅーなぁー!」
え、うっそ、駆けつけてくれるの?
耳になじみのある、間延びした声が僕に届く。
けれどもそれは彼女が消えた後ろの車両からではない。
聞こえてきたのは窓の向こう。停車している駅のホーム。
広くて四角い車両の窓、その向こう側に、純白のカッターシャツに黒いプリーツスカート、それをはためかせて走る美巨女の姿があった。
若くして女性として完成されたプロポーション。
引き締まった腰回り。安産型でどっしりとしたお尻。しなやかで張りのある脚。そして、走るたびに激しく揺れるたわわに実った二つの果実。
彼女は黒い髪を靡かせて窓に向かって跳躍すると、可愛らしい水色のパンティが見えるのも構わず、僕の居る方向にドロップキックを繰り出した。
分厚いガラスの板で隔てられた駅と車内。
けれども、彼女のキックをまるで誘い込むように、ガラスは小さな立方体のキューブに分解されたかと思うと、ミルキークラウンのように爆ぜた。
その中央、飛び込んでくる美巨女の踵が、僕に迫っていた男子中学生の側頭部を捉える。そのまま、男子中学生は強烈な打撃音と共に弾き飛ばされると、阪急電車の緑色をしたシートの上で白目を剥いたのだった。
なんだ、なんだと狼狽える残された中学生たち。
そんな彼らに、窓から跳んで入って来た美巨女は、溢れんばかりの輝いた表情を見せる。まるでありし日の青春の輝き、若さ故のエネルギーをはち切れんばかりにその身にたたえた天真爛漫の少女は、にっと口の端をつり上げて拳を突き出した。
「あーちゃんをー、いじめていいのはぁー! このぉー、妻のぉー、私だけなんだからぁー! ちょっかいかける奴はぁー、容赦しないよぉー!」
「千帆ぉ!」
そこに立っていたのは紛れもなく、消えたはずの千帆だった。
先ほど、僕を先頭車両に送り出して、多くの乗客と共に消えたはずの千帆だった。
けど、どうして。
なんで彼女がここに。
彼女は消えたはずではなかったのか――いや、タイムリープが終わって、もしかして戻って来てくれたのだろうか。よく考えれば、前のループでは一緒に消えた天道寺さんもここには居る。ということは、僕たちは何か運命に打ち勝って――。
「そうじゃないよぉー、あーちゃん? もぉー、最後までほんとお馬鹿さーん! このタイムリープの目的にぃー、ちぃーっとも気がつかないんだからぁー!」
「え? 千帆? ていうか、君、タイムリープの理由を知ってるのかい?」
「知ってるよぉー! もぉー、あーちゃんだってぇー、本当はもうー、気がついているんでしょぉー? そうやってぇー、大切なことから逃げていちゃー、ダメなんだからぁー! ちゃんと過去にも向きあったんだからぁー、私たちの未来にもぉー、向き合わなくちゃだめよぉー!」
そう言って、えいや、えいやと千帆は男子中学生を投げ飛ばす。
巴投げ。
投げられた男子高校生が、杉田と天道寺さんの横を通って、向かいの車両にまで飛んだ。けれども、彼が投げ飛ばされた先は、いつの間にやら闇に飲み込まれていた。その深淵に中学生男子はマヌケな断末魔と共に吸い込まれていく。
続いて、襲いかかってきた男子中学生に大外刈り。
たたきつけたその床に、いきなり亀裂が入ったかと思うと、車両の先頭部分と僕たちのいる中央部分が割れる。先頭部分に男子中学生を放り込めば、おまたせいたしましたというアナウンスと共に、闇に向かって電車が走り出す。気を失った男子中学生を乗せて、バランスの悪い電車はどこか遠くへと消えていった。
いつしか、僕たちは闇の中。阪急電車の床だけがある場所に立っている。
杉田と天道寺さんの姿はもうない。ただ、千帆だけが僕の前に立っていて、こちらに未来も過去も変わらない、甘い笑顔を向けていたのだった。
彼女が僕に語りかける。
「頑張ったねぇー、あーちゃーん。ずーっと、見てたんだよぉー。君の中でぇー」
「千帆? なに言ってるんだ? 君はいつだって、僕の隣に」
「私の中の私がねぇー。あーちゃんの中の私はぁー、ずーっとあーちゃんと一緒にいたよぉー。郁奈ちゃんと一緒よぉー。ただぁー、私の中の私が隣に居るからぁー、今まで表に出てこられなかったのぉー。彼女ぉー、ヤキモチさんだからぁー、休憩してもぉー、すぐに戻ってくるしねぇー」
「なに言ってるんだよ千帆」
彼女の言っていることが分からなかった。
けれども、間違いなく目の前の千帆は、僕の知っている千帆だった。
誰よりも可愛くて、誰よりも愛らしくて、時折僕でもついていけないほどに我が儘で、ヤキモチを妬いていじわるをしてくる、そんな妻に間違いなかった。
彼女の言葉に嘘は感じない。なら、きっとそれは真実なのだ。
まだ僕の知らない情報があるのかもしれない。
そう思って僕は目の前の妻の言葉を胸に刻んだ。
僕が受け入れてくれたのを察したのだろう、彼女はさきほど消えてしまった時とはまた違う、ちょっとさみしい顔をして頷いた。
「あーちゃーん。君はとってもお馬鹿さんでぇー、とってもダメダメでぇー、度胸もなければぁー、学もなくってぇー、性格もクズのクズクズでぇー、女癖もドン引きするほど悪いー、最低のクズだよねぇー」
「そこまでいうことなくありません?」
「事実じゃなぁーい? 反論できるのぉー?」
「少しの余地もございません。クズクズのクズ人間でございます」
あれ、なんか感動のフィナーレっぽい流れだったはずなのに、普通に説教されてません。僕、なんで千帆に怒られてちゃってるの。
事実だけれど、今それって、僕に言うべきことですかね。
いやまぁ、事実でなんの反論もできないことなんですけれど。
とほほと肩を落とした僕の手に、そっと千帆は自分の手を重ねる。
それは、この過去で会った若かりし頃の千帆の手ではなく、僕と一緒に未来を歩んでいた千帆の手だった。その左手の薬指、彼女に贈った結婚指輪がその証拠だ。
三ヶ月の給料をはたこうとして「もったいないからいいよぉー」とケチられたそのリングには、宝石の一つもついちゃいない。けれども、表面に施された、僕と千帆のイニシャルをかたどった模様が、僕たちだけの記念品の証拠であった。
千帆、どうして過去の君がそれを持っているんだ。
いや、そもそも、この世界は――。
そのとき、僕はようやく、全ての謎を理解した。というよりも、理解させられた。何者かの手によって蓋をさせられていた情報は全て僕に開示され、この奇妙なタイムリープについて、その目的と原理全てが頭の中に流れ込んでいた。
答えは全て与えられていた。
けれども、それを巧妙に隠されていたのだ。
目的と理由を失った過去の世界で、僕はこの7月14日を何度も何度も繰り返し、そして、一つの真実にたどり着かなければならなかった。
そう、それはWhoでもなければ、Whatでもなく、Howでもなければ、Why。
そしてタイムリープの意味ではなく、それを通して経験したことの意味を、今ここに突きつけられたのだ。
すべてを悟ればなるほどそう、僕は確かに自分たちの未来に立ち向かう必要があった。目の前の妻が言う、妻の中の千帆と対峙する必要が。
「けどぉー、君は逃げなかったねぇー。最後までぇー、私たちからぁー、逃げずに立ち向かってくれたぁー。私たちの不安に寄り添ってぇー、一緒にいてくてたねぇー」
「……千帆」
「どんな私もぉー、そんなあーちゃんのことがぁー、好きだったよぉー。情けなくってぇー、みじめでぇー、どうしようもなくたっていいのぉー。あーちゃんはぁー、いつだってぇー、私と一緒に居てくれるからぁー。私の味方をしてくれるからぁー」
千帆が笑う。
その笑顔の向こう側に、僕はこの世界で再び出会った、過去の三人の女性達の面影を見た。どうして彼女たちとこんな風に、過去の世界で出会ったのか。いや、彼女たちの姿を借りた何かと、僕は何を対峙しなければならなかったのか。
その意味を、僕は今一度考えた。
僕のことを一番に愛することができなかった相沢。
肉体的な関係でしか愛を信じられなかった天道寺さん。
僕より遠く離れた場所で誰かの母のように生きる志野さん。
過去の彼女たちはたしかにそういう生き方をしていたのかもしれない。けれども、僕が立ち向かっていたのは彼女たちでもあり、彼女たちの中にある僕との関係性でもあったのだ。そして、そんな関係性を彼女は不安に思ってもいたのだ。
きっと大丈夫だと唱えながら、心の奥底で新しい僕たちの関係性を、ずっと彼女は一人で抱え込んで、不安に震えていたのだ。これは彼女の心にかかった不安を払うための儀式であり、僕たちが未来に進むために立ち向かうべき壁だったのだ。
そう、今にして僕はようやくこの不可思議な記憶の旅の意味を理解した。
「あーちゃーん、はやく行ってあげてぇー。私ぃー、きっと待っているからぁー」
「……あぁ」
「絶対にぃー、泣かせちゃだめよぉー。ちゃんとぉー、ここでしたみたいにぃー、受け止めてあげるんだよぉー。きっと、きっとだよぉー」
「……約束するよ」
「守ってねぇー! 信じてるからぁー! あーちゃんのことぉー、私はぁー、世界の誰よりぃー、愛してるからぁー! きっとそれはぁー、私の中の私もぉー、きっと同じはずだからぁー!」
ゆっくりと、千帆の身体が崩れていく。
彼女の輪郭がいよいよぼやけて、闇の中に溶け込む瞬間、僕はその唇があった場所に自分の唇を重ねていた。感触はない。虚無に向かって虚しく唇を突き出す、気持ちの悪い男がそこにはいるだけだ。
けれども僕は彼女が紡いだ言葉を、そうすることでようやく飲み込めた。
「僕も、千帆の中の君を、絶対に愛しているさ。だから、安心して」
視界が崩れる。
2007年9月14日の世界が崩れていく。
いよいよ、闇の中に落ち込んでいく僕を、冷静な何かが見つめていた。僕のこの一連の行いを冷静に俯瞰している何かを感じ、それに淡い期待を向けながら、僕はゆっくりと2007年の記憶から退出した。
◇ ◇ ◇ ◇
「おはよう、あーちゃん」
目を覚ますと、前で妻が寝ていた。
ピンク色をした入院服を着てふかふかとしたベッドに眠っている彼女は、優しく僕の腰に手を回して、脚を絡めて抱きついていた。なんていやらしい添い寝なのだろうかと思ったが、それよりも僕はこの現実に戻ってこれたことが嬉しかった。
妻の身体に触れる。
寝ながら回していたその腰を引き寄せて、僕は彼女の乳房に顔を押しつけた。
夢の中では禁欲を貫いてきた僕のそんな姿に、一瞬千帆は戸惑ったようだが、すぐに僕の頭に手を載せて、やさしくその髪を撫でてくれた。
妻の匂いが、彼女の温もりが、彼女の鼓動が、ありありと感じられる。
ここは間違いなく現実で、未来で、そして、僕たちが生きる時代だった。
久しぶりに感じる妻を名残惜しく感じながらも、僕は視線を上げる。壁に掛かった電波時計は、時針と短針が追いかけ合うアナログ式だったが、3時の位置に配置されたパネルから、日付が確認できるようになっていた。
2021年5月1日土曜日17:32。
場所は――。
「おや、お目覚めになられましたか?」
「……貴方は?」
「どうやらまだ記憶が混乱されているようですね。今回のスリープタイムリープを担当させていただいた、京都夢能力開発センターの中島です」
京都夢能力開発センター。そのベッドの上だった。
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【連絡】01/30と01/31はクライマックスにつき三回更新(8:07/12:17/20:07)となります。よろしくお願いいたします。
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