運命の電車編

第44話 母は強くママも強くマンマミーヤで美しくエロい

 京都市役所前駅直通地下街ゼスト御池。

 御池通りに沿って作られた京都市民に愛される地下街を抜けて、僕は市営地下鉄京都市役所前駅に駆け込んだ。


 時刻は14:20。

 時刻表を確認すれば、24分に御陵・六地蔵方面行きの電車がある。

 悩んで多少高く付くが僕は地下鉄一日券を購入した。六百円。けれども、これを使えば、地下鉄烏丸御池経由で阪急烏丸に合流することができる。

 どう考えても、このタイムアタックには必須のアイテムだった。


 急いで僕は改札を通る。そのまま改札向かって右手、ホーム行きのエスカレーターに飛び乗る。祇園祭の本番には早く、人がそれほど多くなく助かった。

 ホームに降りればちょうど24分初の御陵・六地蔵方面行きの電車が入ってきた。

 そのまま、ひょいとそれに飛び乗る。


 電車に揺られること三分弱。

 あっという間に電車は東山駅に到着した。


 東山は京都屈指の観光地だが、本日ばかりは烏丸が主役。降りる人は少なかった。電車から飛び降りると、一番乗りでエスカレーターを駆け、そのまま改札を抜け地下鉄東山駅から地上に出る。


 緩やかな山道に入った三条通をひたすら東へ。

 はじめての大きな十字路に差し掛かれば、そこが神宮道。右手に折れれば浄土宗の総本山知恩院。左手に折れれば朱塗りのお堂が鮮やかな平安神宮だ。これを、平安神宮に向かって折れる。参拝者たちを相手にした土産物屋が軒を連ねるその道は、こちらも祇園祭に客を取られて閑古鳥。まばらな人通りの中を颯爽と駆け抜け、岡崎疎水を越え、美術館と図書館を横切り、二条通を左に折れてみやこめっせに到着した。


 時刻は14:39。まずまずのタイムだ。


 はたして、天道寺さんがバイト先を上がるのは15:00である。

 千帆が消失したのは17:00前後。まだ、新聞の記事の詳細は確認していないが、どこで彼女たちが事件に巻き込まれたのかは定かではない。もしかすると電車に乗って南茨木に移動する途中で、彼らは事件に巻き込まれたのかもしれない。


 余裕を持って見積もっても16:00までには四条烏丸、あるいは河原町に戻っている必要がある。これから、このみやこめっせで志野さんを探すにしても、どれくらいの時間がかかるか分からない。とにかく、時間は多いに越したことがなかった。


 みやこメッセの正門口から中へと入る。既にイベントのピークは過ぎているのだろう人はそんなにいない。入り口を抜ければすぐに立て看板が目に入った。


 ――京都同人小説創作マーケットは地下1階で開催中。


 僕はすぐさま向かって右手側の下りエレベーターに乗り込んだ。

 地下1階に降りてすぐ左手。折りたたみの長机を三つほど入り口の前に並べ、小冊子を配布している人たちが見えた。少し離れて「京都同人小説創作マーケット09」の文字が書かれた立て看板。間違いなかった。


 ただし。


「入場料六百円!」


 これは予想外。まったく考えて居なかった。財布を開いてみるが小銭がない。これおつり大丈夫だろうかと、千円札を握りしめて入り口に近づくと、いかにも愛想のいいお姉さんが微笑みかけてきた。


「こんにちは。入場料六百円、記念冊子四百円になります。どうされますか?」


「このしょうばいじょうず!」


 おつりを貰う時間さえもったいない。僕は千円を渡すと、入場チケットと記念冊子を受け取ってさっさと中に入った。ほんと、無駄遣いしてごめんよ過去の僕。

 未来になったらいっぱい贅沢させてあげるからね。って、言いたい所だけれど、うちそんなに裕福じゃないんだ。ごめんね、しがないサラリーマンで。


 そんな風に過去の自分に詫びつつ僕は会場を見渡した。


 意外と広い。


 入り口と同じ長机で囲って作られた島が全部で十二。さらに途中で切れている。都合二十四個の島がある。外に人はいなかったけれどまだ会場内に人は多い。

 さらに間の悪いことに、席から離れている人たちも多い。どこに誰がいるのやらてんで分からない。この会場から志野さんを見つけ出すのは骨が折れそうだ。


 時間が無い。手当たり次第で探している余裕なんてある訳もない。

 効率よくこの中から志野さんを見つけ出すにはどうすればいいか。

 彼女がどこにいるのか、ヒントがあればいいのだけれど――。


 頭の中をひっくり返してこの状況を好転させるヒントがないか検証する。そうだ、図書準備室で、僕はここのチラシともう一つ重要な何かを見た。その二つを合わせて、僕は志野さんがここに居るだろうと結論づけたのだ。

 なにを見た、なにがあった、机の上に置かれていたのは――。


「童話、かかし、ライオン、ブリキ、魔法の靴――オズの魔法使いだ!」


 志野さんが書いた原稿は、このイベントに出すためのものだ。誤字だらけだが情熱に溢れたその小説を、僕は少しだけ読んでいた。あれは間違いなく童話だ。それも、オズの魔法使いのパロディ小説に違いない。

 となれば、そこから彼女の居る場所が分かるかもしれない。


 ふと、手の中にある記念冊子に気がつく。そうだ、この手の即売会では、出店しているサークルの情報を、こんな風に冊子にまとめている。

 入り口すぐの壁に背を預けると僕は記念冊子を開いた。


 残念ながら、記念冊子に出展者の情報は載っていなかった。それはパンフレットでもなんでもなく本当に記念の本だった。

 ただ特集ページということで、出展者の何名かにインタビューが載っている。その中に「高校生参加者で常連の」という煽りがあった。常連かどうかは分からないが志野さんは高校生だ。もしやと思って記事を見れば、茨木の高校に通っているという紹介と、今回はオズの魔法使いをモチーフにした作品を出すと書かれていた。


 間違いない、この人が志野さんだ。


 インタビューを受けたサークルの配置については載っている。

 い―17。入り口から向かって、右手奥から、いろはにほへとで順番に列に記号が振られている。17は前から数えた順番だ。

 つまり、志野さんがいるのは、右列奥の島の手前から7番目の席。


 すぐにその位置を確認すれば人影が見えた。人前に出るからだろう、最低限整えてはきているようだが、野暮ったさが消せ切れていないボリュームのある髪が見えた。

 間違いない。僕は人の波をすり抜けて、急いでそこに向かった。


 近づくほどに、僕は確信する。

 そのブースに居る女性が志野さんだと。


 色っぽくあばたが散りばめられた鼻の先。少し物憂げな表情。山と積まれたコピー本。そして、自分で描いたのかそれとも誰かに描いてもらったのか、ファンシーなかかしとライオンとブリキの木こりが描かれたポスター。


 はたして僕がそのブースの前にたどり着くと、淡いクリーム色のニットセーターに、チョコレートのような甘い色味の吊りスカートを着た文学少女が椅子に座っていた。その手に握られているのは、ループの際に見たあの青色の大学ノート。祇園祭とは違うがこちらもハレの日だというのに、彼女は落ち込んだ顔で視線を伏せていた。

 本が売れなかったからではない。明らかにそれは、自分がしでかした決して取り返すことのできない過ちを悔いていた。


 そんな塞ぎ込み己を責める少女に向かい僕は声を張り上げた。


「志野さん! まだだ、まだ終わってない!」


「……え? す、鈴原さん? どうしてここに?」


「前のループでこのイベントのチラシを見て、君が出るんじゃないかなって思ったんだ! 大丈夫だ、まだ時間はある! 君の知識と、僕たちの知識を合わせれば、タイムリープを越えられる! 天道寺さんたちの幸せな未来をつかみ取れる!」


 だから、そのノートを貸してくれ。

 僕はパイプ椅子に座る志野さんに向かって手を差し出した。

 彼女の手に握られている希望を求めた。


 僕の開かれた手を見つめて、少し戸惑った表情を見せる志野さん。

 けれど、彼女の気持ちは変わっていないはずだ。あのループ前の夜から変わっていないからこそ、現実に打ちのめされていたし、後悔に顔を青ざめさせているのだ。


 その後悔を僕の手が拭ってみせる。


 頼りない僕だけれど、いつも迷走してばかりの僕だけれど、今回ばかりはちゃんとキメてみせる。親友とその恋人の未来を救うため。彼らが過去に残してきた後悔を拭うため、僕はこの真夏の京都を幾らだって駆け抜けてやる。


「汗だく、ですね」


「……え?」


 志野さんが少し不思議そうな顔色で僕に言った。

 確かに、ここまでぶっ通しで外を走り続けてきた。三条通も神宮通もどこも日陰なんてなく、地下鉄とみやこめっせ以外は、常に日光に晒されてきた。

 腕は汗まみれ。微かに乾いている部分にも、表面に塩がうっすらと浮いていた。


 そんな僕の手を握って、志野さんは慈しむようにその甲を撫でた。

 それまで彼女が僕に触れたどの手触りよりもそれは優しい。そこに、異性に触れる怯えもなければ、強い決意も感じない。彼女が持ち合わせている極めて強い母性が、その慈しむ心と共に染み入ってくるような、そんな触り方だった。


 それまで彼女の母性を僕は性的なものだと感じていた。けれども、今は彼女に触れられるのは苦ではなく、また、妻以外の女性に触れられているのに不思議と性的な興奮も罪悪感も感じなかった。ただただ、彼女から伝わってくるそれは親愛の念だ。

 なるほど、どうして無関係の彼女がこの件に関わってきたのかようやく分かった。


「天道寺さんは、私にとって大切な友人なんです。彼女が手伝ってくれたおかげで、私はこの頭の中にある物語を形にすることができたんです。物語を共に作ってくれた彼女は、私にとって――家族のようなものなんです」


 だから彼女にはどうしても幸せになって欲しい。

 志野さんはおそらく本心真心で僕に向かってそう言った。


 だってその顔は、それまで後悔に歪んでいた顔とはまったく違っていて、僕に希望を託すことを心の底から安堵しているように見えたから。彼女は、目の前の男を全幅に信頼して、大切な家族の未来を託そうとしているように、僕の瞳には映ったのだ。


 志野さんにとっておそらく家族の定義はおそろしく広いのだ。あまり友達が居ないからかもしれないし、元からそういう気質なのかもしれない。彼女はその手で触れる身近な人に惜しげもなくその母性を注ぐ。まるで母が家族を愛するように。


 今まで性的に見えたそれは、きっとそんな原始的な感情なんだ。

 彼女の中にあるのは根源的な母のような愛情なのだ。


 だからこそ僕は彼女に応えなくてはならない。確かに前のループでは、僕と同じで暴走したが、彼女が天道寺さんへの愛を僕はちゃんと受け継がなくてはならない。


「お父さんみたいな手をしてるんですね」


「……この時代の僕はまだ独身だよ。未来でも子供だっていない」


「ふふっ。年齢なんて関係ありませんよ。自分以外の誰かのために、損得勘定抜きにしてここまで汗をかけるんですから」


 僕と千帆の間にまだ子供はいない。

 妊活もあまり思わしくない。これまでの結婚生活の成果も散々だ。

 過去に戻って、子供が欲しいとねだる千帆にも、覚悟がないなんて情けないことを言ってしまった。こんな僕がお父さんになれるかなんて、正直分からない。


 けれど、ほんのちょっぴり、志野さんの言葉で自信を貰った気がする。


 自分以外の誰かのために汗をかけるか、か。


 きっと千帆のためならば、子供のためならば、できるような気がした。

 だって親友とその恋人のためにここまでしたのに、家族のためにもできなくちゃ、それは嘘になってしまうだろう。


 その日がいつやってくるのかは分からない。

 けど、たぶんできる。


 志野さんが膝の上に置いた青いノートを手に取り、僕の手にそれを握らせた。

 冷たい大学ノートの表紙の手触り。小説ネタ帳と黒マジックで書かれている。

 彼女にとってこれは、おそらく小説と同じで、我が子のように大切なものなのだろう。手渡すその素振りに、何か真剣な雰囲気を感じた。


「だったら、私もこれを貴方に託せます。すみません、本来であれば私がやるべきことなのでしょうが」


「いいさ、こういうことは男の僕の仕事だよ」


「そういう格好付け、あまり女性にはウケがよくないと思いますよ」


「格好付けてるんじゃないさ。女性と違って男には、こういう地味で辛くて頭を使わない単純なことしかできないから。だからさ、任せてくれよ。死ぬ気でやるから」


 志野さんが微笑む。

 彼女は完全にノートから手を離し、僕にそれを委ねた。


 すぐさま僕はその中を改める。おそらく、杉田と天道寺さんの未来について、書かれているならば、使われているページの中で一番最後だろう。

 そんな僕の予感は当たり、最後のページに新聞記事の切り出しと、未来に関する走り書きがあった。


 ――2007年7月14日(土)16:45 阪急電車京都線烏丸桂間を運行していた特急電車の車内にて、京都府内に住む男子中学生三名に、茨木市に住む男子高校生が突然殴りかかる事件が発生した。男子高校生は騒ぎを目撃した乗客とかけつけた添乗員に諭されてすぐにおとなしくなった。現在、男子高校生は暴行の詳しい動機について京都府警から事情聴取を受けている。取り調べに対して男子高校生は黙秘しているが、乗客の証言によると直前に男子中学生三人と激しい言い争いをしていた模様である。


 掌半分に収まる程度。写真も何もなければ、余計なことも書かれていないシンプルな三面記事だ。けれども僕たちに必要な情報が詳らかに書かれていた。16:45分。烏丸桂間を走る特急電車。時刻表を確認すれば、それは自ずと明らかになるだろう。


 問題は、いったいそこで何があったのかだ。

 走り書きには、まさにこの新聞の文字だけでは語り尽くせなかった、事件の切れ端が書き込まれている――のかと思いきや、内容は具体性に欠けていた。

 というよりも、ループ前に南茨木駅で聞いた以上の話は書かれていない。


「この事件に天道寺さんが関わっている。男子中学生を殴ったのは同じクラスの杉田くん。天道寺さんはこのことをずっと引きずっている」


「たぶん、それ、未来の私が書いたんだと思います。字も私の字ですし」


「……書いてあることはこれだけ? うん?」


 ノートの罫線が歪んでいるのに僕は気がついた。

 あきらかに、何かを書いて消した跡。すぐ、僕は志野さんに鉛筆を借りると、芯を寝かせてその凹凸がある部分にこすりつけた。その陰影が徐々にはっきりしてくる。黒く塗りつぶされたノートに、白地で浮き上がった日本語。

 はたして、そこに書かれていたのは――。


「当日、天道寺さんはかつらを忘れていた?」


「意味がわからないですよね。私も光の当たる角度を変えて読んでみましたが、そうとしか読めなくて。あるんでしょうか、桂駅を忘れるだなんて」


 いや、違う、違うよ。

 これだよ、天道寺さんと杉田が事件に巻き込まれた原因は。


 そして、天道寺さんが残してきた後悔は――。


 僕はそこで何が起こったのか、どれだけ悲しい出来事が起こったのか、そしてなぜ二人が強い絆で結ばれるに至ったのか、その理由を察した。


 杉田ならば絶対に、天道寺さんを悲しませるようなことはしない。

 きっと彼は天道寺さんの窮地を救おうとして事件を起こしたのだ。


 だからこそ彼らは長く一緒に連れ添った。そして、こんな悲しい出会いだったからこそ、結婚という一歩を踏み出すのを躊躇したんだ。それはそうだろう。天道寺さんが憧れる、普通の恋愛のはじまりとしてはあまりにも悲しすぎる。


 僕たちがこの世界にタイムリープしてくるのも納得だ。


「ありがとう志野さん。これで、全部分かったよ」


「本当ですか?」


「あとは僕に任せて。このノート、悪いけれど借りていくね」


 志野さんが頷くのを確認して、僕は彼女に背中を向ける。

 もはや真実はほぼ分かった。過去に戻って来た意味も、タイムリープを繰り返す理由も、僕の中で腑に落ちた。友達のために駆けることを馬鹿馬鹿しく思わない訳でもない。けど、この時代の彼らをよく知った僕には、逃げ出す気にはなれなかった。


 走り続けてしびれていた脚に再び活力が戻る。

 振り回しすぎて痛んでいた腕に血が巡る。

 それじゃあ行くよと言いかけて、待ってくださいと志野さんが僕に声をかけた。振り返れば、彼女は手にしたポカリスエットをこちらに投げてよこした。


 ほどよく温い。すぐに糖分と水分補給するにはうってつけの温度だ。


「持って行ってください! 私からのせめてものお礼です!」


「……ありがとう、恩に着るよ!」


 そうお礼を言うと、僕は今度こそ彼女に背中を向けて再び駆けだした。


「頑張ってください! 鈴原さん! 天道寺さんを救ってあげてください!」


「……任せて!」


 君も。天道寺さんも。杉田も。相沢も。そして僕たちも。

 今度こそ僕は救ってみせるさ。


 想いはちゃんとノートと一緒に受け取ったよ。


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【連絡】01/30と01/31はクライマックスにつき三回更新(8:07/12:17/20:07)となります。よろしくお願いいたします。

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