第43話 走れ全裸疾走羊飼いのようにでエロい
天道寺さんと杉田の未来を守ることがこのタイムリープの目的だ。
そして、敵側はなんとかして二人の仲を裂こうとしている。
はたして黒幕たちがペナルティやループの仕組みに気づいているかは分からない。
だが知ろうと知るまいとやることは同じだ。
なら、密室に閉じ込めた杉田をどうするかは簡単に想像できる。
杉田を社会的に抹殺すれば、天道寺さんとくっつくことはなくなるのだから。
そう例えば、性犯罪者の烙印でも押してしまえば――。
「……二人の破綻は確定する」
暗い部屋の中、重なり合う男女の影。
志野さんに押し倒されて身動きが取れない杉田。仰向けになったところを、志野さんに上から覆い被さられ、乳房を胸板に押しつけられている。乱れたスカートは彼の膝上に広がっており、二人の下腹部を隠していた。
うっすらと涙を浮かべ、まるでその行為が自分の本意では無いように顔を歪める少女。その姿は、まともな神経をした大人の目には悲痛に映っただろう。
すぐさま、教師が怒鳴った。
「お前、二年生だな! 授業中にこんな場所で何をしている!」
「違う、違うんです、先生! 杉田は、杉田はそんなつもりじゃ――」
僕は、この世界で唯一親友の無罪を知っている人間として彼の潔白を叫んだ。
けれどもその声はあまりに無力だった。
どう叫んでも、杉田を救うことはできない。密室内での出来ごとは、これから彼に不都合な形でねつ造され、この状況証拠だけで彼は罪を背負うことになるだろう。
同級生を暴行したような男にいったい誰が恋心を抱くだろうか。なにより、天道寺さんと志野さんは友人関係であり、杉田とはただのクラスメイトだ。
友人が襲われたという相手を、憎みこそすれ愛することなどできようか。
できるはずがない。
終わった。
全てがここに終了した。
そう思った。
「鈴原!」
けれども、その時、杉田が僕に向かって叫んだ。男性教師に掴み上げられ、腕をひねられて立ち上がらせられる、その最中にありながら彼は僕を見て叫んだ。
いつもの人を心の底から信頼している顔で、僕に向かって彼は語りかける。
「俺は一本も彼女に指を触れていない! 神に誓って潔白だ! 純潔だ!」
「……杉田?」
「お前だけが覚えてくれていればいい! 過去に戻れるお前だけが! だから、もし、何かあったら、次の未来の俺と天道寺に伝えてくれ!」
そして杉田は僕に託した。
「俺は二人の絆を守ったって!」
二人の間にこの先結ばれるであろう絆を。
それが、この次に向かう未来で、再び結ばれることを。
違う。
杉田はむざむざと志野さんの罠にかかったわけじゃない。
そう、これは彼の賭けだったんだ。
強制的にループの条件は彼と天道寺さんの関係の破綻。今回のループで本来のイベントが発生しないことを知った杉田は、あえて志野さんの思惑に乗ったのだ。
次のループで天道寺さんと彼が恋に落ちる瞬間を、僕に確認させるために。
待っていれば訪れるであろう再ループの時間を自らの意思で早めたのだ。
ズボンのポケットの中で携帯電話が激しく揺れる。先生の怒号が飛び交う中で、僕はそれを取り出す。僕は通話ボタンを押下すると、マイクの前で唇を動かした。
「もしもし」
『……ピョン!』
世界が揺れる。かつて無いほどに。
まるで激しい怒りに震えているかのようだ。
そしてどこか悲しい。
意識が朦朧として、一瞬、何もかも身体から感覚がなくなったかと思うと、僕はまた夜の南茨木駅の線路下に倒れていた。
そう、かれこれ三度目になる、この夜に。
「……いた、バニースーツに白パーカーの女」
もはやこのループにも慣れたもの。
僕は頭に響く不快な揺れを気合いで抑え込むと、脚に力を込めて立ち上がった。
見つめるのは線路下に潜む者。
天道寺さんの姿を借りた何者かは、またいつものように闇の中に月光が差し込んでいるわずかなスペースにたたずんでいた。茶色い目に、月の光を取り込んで輝かせる彼女はしかし、これまで見たどの時よりも悲しい顔をしている。
すぐ僕は辺りを見回す。
倒れている影は、全部で三つ。
隣に倒れていたのは相沢。少し離れた所に千帆。
そして――最も遠い所で倒れているのは志野さんだ。彼女は、杉田を襲っていた時の格好とは違いちゃんと制服を着ている。
彼女は倒れている女性の中で最初に目を覚ますと辺りを見回した。
すると、すぐにその顔が悲痛に染まる。
「……そんな! どうしてまたここに! 私は、ちゃんと情報通りに、天道寺さんの未来を変えたはずなのに! なのに!」
「志野さん?」
まるでこのループが彼女にとって不本意なものであるかのようだ。
彼女は取り乱し、そして僕が見ているのも気にせず、おもむろに手にしていたノートを開いて眺めはじめた。
そういえば、前のループでも彼女はノートを持っていた気がする。
いや、持っていた。記憶違いではない。間違いなく、彼女はそれを持っていた。
もしかして――。
「あのノートに何か書かれているのか? このループについての秘密か何かが?」
「……センパイ?」
「うぅーん、あーちゃぁーん? なにぃー、またぁー、夜なのぉー?」
千帆と相沢が目を覚ます。
相沢については心配なかったが、どうやら消えてしまった千帆も、無事に戻ってきてくれたようだ。よかった、本当によかった。
ただ、今は再会を喜んでいる場合じゃない。
志野さんのあの表情の謎を解かなければ。
思えば、彼女は先ほどのループで活動の方針が曖昧だった。
僕にループに挑むのをやめるよう迫ったかと思えば、天道寺さんを狙っていないのであれば敵ではないと言いだす。
そして、天道寺さんと杉田が破局させたのに、こうして激しく動揺している。
何かが食い違う。
彼女について僕はもっと知らなくてはいけない。
「相沢、ごめん、千帆を見ていてくれるか?」
「……何をするつもりなんですかセンパイ?」
「あーちゃーん? ちょっとぉー、やだぁー、危ないことはしちゃやだよぉー! お願いだからぁー、無茶はしないでぇー!」
「大丈夫、ちょっと話をしてくるだけだから」
珍しく抜き差しならない感じで僕を止める千帆。そんな彼女に微笑んで、僕はまだふらつく脚で夜の南茨木駅の線路下を進んだ。
ノートを地面に広げる志野さん。彼女に目線を合わせるために僕は膝を折る。心ここにあらずという感じの彼女。ノートにはなにやら新聞の記事が貼られていた。
彼女の肩に手をかけて、僕は軽く揺する。
「……志野さん」
「……鈴原くん?」
「教えてくれないか、君はどうしてあんなことをしたんだい? 消える直前、君は僕に言ったよね? 天道寺さんを狙っていないなら、僕は君の敵じゃないって? あれはいったいどういう意味なんだい? どうして杉田にあんなことをしたんだい?」
こちらを向いて、そして彼女は肩を落とす。
彼女が僕に対し敵対の意思を持っていないのは表情から伝わってきた。
その艶やかで厚ぼったい唇が月光を舐めとるように動く。
「私のネタ帳に書かれていたんです。小説のネタに、気になった記事を、私、ノートにスクラップしているんです。けど、そこに未来の記事が紛れ込んでいて」
「未来の記事?」
「2009年7月14日の夕方、阪急列車の中で起きた暴行事件の記事なんです。けど、未成年が起こした事件だから、記事の内容は曖昧で」
それがいったい杉田や天道寺さんに何の関係があるというのだ。
そう思いながら、僕の脳裏に、未来に起こるとある事件が浮かび上がった。
暴行事件。
そうだ、そんな話が高校時代にあった。
うちの学校の生徒が京都で中学生を三人殴ったと。
経緯は不明だが殴った奴はどうも野球部の部員らしいと。
そして、それに前後して杉田が野球部を退部したと。
そうだ。
杉田は二年生の夏、突然部活を辞めたんだ。
僕と彼が仲良くなったのは丁度その頃だ。野球部の仲間達となぜか疎遠になり、僕しか高校に友達が居なくなった彼に、同情して付き合うようになったんだ。すぐにまた他の友達ができると思っていたのに、ぜんぜんそうはならなくて。
それで、そのまま、長い付き合いになったんだ。
僕は別にそのことについて特に気にしたこともなかった。
杉田の退部と例の暴行事件は時期的に合致していたけれど、学校側から特にアナウンスがないから気にしなかった。一部の生徒が杉田がやったのだと陰口を言ったが、別に僕はそんなことを信じなかった。
だって杉田は、その話を皆にされている時、とても悲しい顔をしていたから。
事実だったとしても嘘だったとしても、深く悲しむ彼を僕はこれ以上問い詰める気にはなれなかった。別に話が本当だとしても、これだけ後悔しているのだ、一人くらいは彼に寄り添ってやる友人がいたっていいじゃないかと思ったのだ。
まさか、その噂が本当だったのか。
いやけど、どうしてその犯人が杉田だって分かるんだ。
もしかして、書いてあるのかそのノートに。
その事件の真相が――。
「新聞の切り出しと一緒に書かれていたんです。この事件の犯人が杉田くんで、そして、記事に名前は書かれていないけれど、天道寺さんが巻き込まれているって」
「……なんだって!」
「そして、この事件のことを天道寺さんはずっと引きずり続けるって。もし、この事件が起こらなかったらって。だから、だから私、杉田さんにあんなことを……」
何かが繋がった気がした。
ずっと謎だった、7月14日に起こった天道寺さんと杉田が未来で結婚するに至ったイベントとはもしかしてこの事ではないのだろうか。そして、未来の天道寺さんが、杉田との結婚を長らく戸惑っていたのも、これが原因なのではないか。
だとしたらやっぱり話は繋がる。
そして――黒幕の存在について一つの仮説が成り立つ。
「僕たちは、お互いとんだ思い違いをしていた。僕たちは敵同士でもなんでもない、ただ、タイムリープに巻き込まれただけだったんだ」
「……鈴原さん?」
「一回目のタイムリープがループしたのは、天道寺さんと杉田が未来と同じ道程を進んだから。二回目のタイムリープは事件は回避したけれど、彼らの絆を未来ほど深められなかったから。そして三回目は、志野さんが杉田を嵌めたことで、その未来にたどり着く前に破綻したから。そう、僕たちがやらなくちゃいけないのは、杉田と天道寺さんを未来通りくっつけることでも、その関係性を破壊することでもない――」
僕たちが本当にやらなければならないこと、それは――杉田と天道寺さんが結婚するイベントに立ち会い、彼らが間違いを起こす瞬間にそれを止めること。
彼らの後悔を取り除くことだったんだ。
「志野さん、そのノートを僕に見せてくれないか?」
「……え?」
「そのノートに書かれていることを字義通りに受け取っちゃいけない。杉田と天道寺さんの間には確かな愛情がある。天道寺さんが引きずっているのは、二人の関係についてじゃない。その日、杉田が犯してしまった過ちについてだ」
それを取り除くために、僕たちはタイムリープを繰り返していたんだ。
そう気がついた時。
『おっ、おっ、おあぁぁあああああああああ!』
それまで、ピョンとしか喋らなかったバニースーツに白パーカーの女が、怨嗟の籠もった叫び声を放った。
それと同時に、再び僕の視界が歪む。
これまでにない激しい揺れと痛み。
叫びと同質の負の感情を想起させる衝撃が、激しく僕の身体を打ちのめす。
視界は暗転してなお明滅し、まるで見えない拳に殴られているようだった。
やがて、その衝撃が収まったと思い、瞼を上げるとそこは――。
「……嘘だろ、ここは! 京都夢能力開発センター!」
「センパイ! これ、もしかして、もう私たち土曜日にいるんじゃ!」
「あーちゃーん! 今ぁー、携帯確認したらぁー、7月14日14:19ってぇー! どうなってるのぉー、これぇー! もぉー、意味が分からないよぉー!」
ループは巻き戻るものだと僕は思っていた。
けれども、そもそもこの現象の起点が未来にあるとしたら、過去にどれだけ戻るかはそこからの匙加減なのかもしれない。そして、杉田を色仕掛けで嵌めたペナルティは、これまでのどの失敗よりも大きかったのかもしれない。
2007年7月14日14:19。
新京極京都夢能力開発センター前。
祇園囃子が辺りに流れ浮かれた若者達がたむろする。夏祭りの熱と、観光地の開放感に包まれたその場所に、突如として降り立った僕たちは愕然とした。
そんな僕の視界の端を、見覚えのある影が移動する。
夏だというのに白いパーカーを羽織り、黒いタイツに覆われた長い足をその下から覗かせる。明らかに異質な格好にも関わらず、周りの人間は彼女を感知しない。
まるで彼らにその姿が見えていないようだ。
南茨木駅の高架下で月光を浴びていた悪夢がそこに佇んでいた。
「……て、天道寺さん?」
「文ちゃーん? 文ちゃんなのぉー?」
『急いだ方が良いと思うよ。もう、リソースがなくなっちゃったから』
その声は、天道寺さんの声ではない。
複数の女性の声色を重ねたような、不可思議な響きだった。
そんな声で喋ったかと思うと、ぴょんと彼女は地面を蹴る。
人間離れした跳躍力で宙に舞った彼女は、アーケード街を彩っている看板の上に着地すると、そこから僕たちを冷たい瞳で見下ろした。
『泣いても笑っても、これがラストのタイムリープ。もし失敗したら、貴方たちの努力は全部無駄になっちゃう。ご愁傷様ね』
「君は、いったいなんなんだ! いったい僕たちに何をさせようとしているんだ!」
『私? 私は、貴方たちにこの繰り返す日々を与えて、見ることの出来なかった過去を思考させるプロセスよ。そして、その現し身』
何を言っているんだ。
いや、けど、一つだけ分かった。
彼女は黒幕なんかじゃない。
最初から僕たちに対して中立な存在だったんだ。
彼女はループは起こすが、事態には介入せず僕らの成り行きを見守っているんだ。
いや、今回ヒントとチャンスをくれたな。
『私だって鬼じゃないわ。貴方たちに、よりよい結果にたどり着いて欲しくてここに居るの。嘘だと思うかもしれないけれど、これは本当よ。さぁ、タイムトラベラーとその友人たち。この私が姿を借りた少女の不安に今度こそたどり着きなさい。必要な情報は全て与えたわ。後はもう、間に合うか間に合わないかだけよ』
頑張ってね。
そう言い残して、バニースーツに白パーカーの女はまた看板を蹴ると、どこへともなく虚空に消えた。
正直に言って何を言っているのか半分も分からない。
分かったのは、これが最後のループであり、そして、このタイムリープを終わらせるのに、必要な情報は既に僕たちの手の中にあるということだ。
「あーちゃん!」
「分かってる! たぶん、杉田と天道寺さんが出会う時間については、志野さんが把握している! 後は、彼女がどこにいるのかさえ分かれば――」
思い出せ、何かヒントはなかったか。
彼女は言ったぞ、必要な情報は全て与えたと。
僕たちは既に、この状況を打破するだけの情報を手にしている。
志野さんの居場所を突き止める情報を持っている。
考えろ、彼女が今、どこにいるのかを。
志野さんと出会ってからの日々を。彼女との思い出を呼び起こすんだ。
そうだ――。
「……みやこめっせだ」
「みやこぉー? めっせぇー?」
「あの、岡崎の?」
「みやこめっせで開催するイベントに彼女は出るつもりだった。たぶんそこだ」
詳細については分からないが、おそらく杉田と天道寺さんが出会うのは、今日の17:00前後のはずだ。まだ、三時間はある。
大丈夫だ、すぐに志野さんを見つけて折り返せば、ギリギリ戻れる。
やるしかない、行くしかない。
僕は、友達を救うために、今、ここで闘わなくちゃいけない。
「千帆、それに相沢! 二人は天道寺さんを見張ってくれ! ただ、決して接触しないように! これは最後のチャンスだ、彼女の本来の人生に介入しちゃいけない!」
「わかったぁー!」
「それはいいですけど! センパイはいったい!」
「僕はこれから――地下鉄まで走る!」
京都市営地下鉄京都市役所前駅。
新京極を上がりきればそこはすぐ目と鼻の先である。
みやこめっせの最寄り駅である東山までは二駅。充分に間に合う。
今こそ僕よ、友の為に走る時だ。
このタイムリープ、ずっとここまで良い所なしだったけれど、ようやくその汚名を返上する時がきた。
「行ってくる、千帆! 相沢! ここは頼んだ! また、後で連絡する!」
「あーちゃーん!」
僕の名前を呼んで、妻が僕の手を引いた。
驚いて振り返った所を不意打ち同然に唇を奪われる。
濃厚なキスだった。過去に戻って来てから、一度だってしていない情熱的なキス。僕の中に必死に何かを残そうとするそれは、十秒ほど続いて息継ぎにより終わった。
とろんとした目で、僕を見つめる千帆。
こんな時だというのに、千帆はもう。
けれど、そんな妻のことがやっぱりどうして僕は愛おしい。
「おねがーい! 私たちのためにぃー、世界を救ってきてねぇー! そしてぇー、絶対にぃー、戻ってきてねぇー! 約束よぉー!」
「……任せて!」
これまでさんざん、君たちに迷惑をかけてきたけどちゃんと誓うよ。
僕は必ず帰ってくる。
志野さんに会って、事件についての詳細を聞き出す。
そして、杉田と天道寺さん、二人が出会う瞬間に立ち会って、このタイムリープを今度こそ終わらせる。
できるさ。
「旦那ってのは、家族の生活を守るためなら――なんだってするんだ!」
土下座や勘違いに比べたら、走るくらいなんてことはない。
ただ苦しいだけじゃないか。
簡単なものさ。
☆★☆ 執筆の励みになりますので面白かったら評価・フォロー・応援していただけるとうれしいですm(__)m ☆★☆
【連絡】01/30と01/31はクライマックスにつき三回更新(8:07/12:17/20:07)となります。よろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます